AMYサービスへの加入⑤
悠司は執務机の後ろにまわって椅子に戻ると、整然とした机の上に片肘をついて、手のひらに顎をのせた。
「以上で儀式は終わりだ。ここからは楽な姿勢で応対させてもらうよ。さて、慧くんにはうちの会社に入るにあたって知っておいてもらいたいことがある。君は、宝典魔術師と呼ばれる存在を知っているかな? フリーフロムにも何人かいると報告を受けてるよ」
「異能使いのことか? さすがによく調べている。それが現代の魔法使いの呼び名というわけか」
「そんなところだね。その昔、我々の住むこの世界は、ある一人の怪物によって滅ぼされた。魔人・エスメラルド。怪物は闇夜で碧く煌く翠玉の双眸を持っていたことから、そう呼ばれるようになった。人類の叡智を結集しても及ばぬ力で、彼は各国の主要軍事施設を瞬く間に焦土に変貌させていった。あらゆる国家も、あらゆる兵器も、彼を止めるには至らなかった。だけど彼にも限界があったらしくてね。長い戦いで疲弊、衰弱した彼は、とある組織に討伐されたんだ。でもね、世界が滅んだのはそのあとだ」
悠司が鏡花に目配せする。
視線を受け取った鏡花は頷いて、右手を中空に振り上げた。手をかざした空間に翠玉の光が結集して、一冊の本が出現する。
「彼が死滅した二十三年前から、鏡花のように異能に目覚める者たちが現れた。念じることで特別な本を顕現させられる能力。本に綴られた文章を唱えることで、かつて魔人が破壊のために行使した様々な超常現象を自在に操れる能力。その本の表紙に書かれた名称から、我々は本をエスメラルド宝典と呼び、本の力を得た異能力者を宝典魔術師と呼称している。宝典魔術師は絶大な力を持つ。それこそ、失われた軍事力と肩を並べるくらいにね。そんなものが抑止力の機能しない無秩序の世に溢れてしまったせいで、この世界は一度滅んでしまった」
「この邸宅が立っている辺りも、元は賑やかな街があったんだろ?」
「ここに来るまでの景色を見たなら、それが全てだよ。驚くようなことでもない。慧くんの住んでたアジトだって、似たような場所にあったと聞いてるよ?」
「だが、破壊し尽くされた土地にしては、この邸宅は内装も外装も綺麗すぎる。辺りが焦土と化したあとに建てたのか?」
「ご名答。遮蔽物が少なくて見晴らしがいいと思わないかい?」
見晴らしがよくなったところで、敵に見つかりやすいだけではないか。それが利点だと本気でいっているのか。それとも冗談なのか。もしも冗談でこんな周りに何もない土地に拠点を設けたのなら、彼は正真正銘の変態としか思えない。
「それはともかく、慧くんは宝典魔術師についてどれくらい知っているのかな?」
「大して知識があるわけじゃない。ありえない現象を自在に起こせることと、起こせる現象に個人差があることくらいだ。それらの理由については知らない」
「ならば念のため覚えておいてほしい。この話は統計に基づく有識者の推測でしかない仮説だけど、能力を発現する条件については未成年であり、なおかつ自分ではなく他人に対する強い願望を抱いている者であるらしい。願望の種類に指定はないらしく、破壊衝動、嫉妬、殺人欲求、羨望など、多くの願いによる発現が確認されている。一度能力が発現してしまえば、成人後も力は失われないそうだよ。強さに個人差があるのは、使用者たる宝典魔術師の内面や本質によって扱える魔術が変わるからだね。使用できる魔術が、その魔術師の性格の写しとなるわけだよ」
「そこまで詳しくは知らなかった。魔術に対応した宝石が写しか」
「そういうことだね。宝典に載っている魔術は、条件を満たしていないページは見ることさえできないけれど、現在までに確認されている魔術は全て宝石の名前を含んでいる。その宝石に込められた石言葉が、使用の条件となっていると推測されているよ」
長い説明を終えると、悠司は椅子の背に軽くもたれかかった。
宝典魔術師。悠司ほど詳しくはないが、身近にいたのでその存在は知っている。間近で魔術を見物したこともあるが、あの力には、普通の人間では絶対に歯が立たないだろう。
力の発現条件と魔術の使用条件は初めて耳にしたが……そうか。
それが真実ならば、〝彼女〟が異能力に目覚めた理由としても矛盾しない。
「それで、宝典魔術師とこの組織がどう関係してるんだ?」
「我々の仕事は、この滅ぼされた世界に生き残りながら何も学ばず、魔人の望んだ混沌を支持する不貞の輩を掃除することでね。原点が悪魔の能力なだけあって、我々の敵として宝典魔術師が現れることも多い。我々と働くなら、君も遅かれ早かれ異能力者とまみえる機会が訪れると思う。しかし慧くん、君は宝典魔術師ではないね?」
「何故わかる?」
「君のいた組織・フリーフロムは我々の業界では名の知れた標的の一つだからね。所属している宝典魔術師の外見や特徴も、ある程度は把握してるんだ。資料には二刀流の魔術師に関する記述はなかった」
「正確な情報だな。俺が変哲のない人間では、仲間とは認められないか?」
「とんでもない。それで入社を取り消すつもりは毛頭ないよ。けれど、敵は相手を選んではくれない。君は、もしも敵の宝典魔術師と遭遇してしまったらどうする? 鏡花のような同等の力を持つ味方に相手を任せるかい? それとも、己の力を試したいかい?」
そう問いかけてきた悠司は、心底楽しげな笑みを口の端に浮かべていた。まるで俺がどう回答するか訊く前から知っているかのようだ。それで俺が不快感を抱く可能性を憂慮しないとは、やはり社長という立場の人間は傲慢な性格らしい。
宝典魔術師との対峙といわれて、俺は真っ先に〝彼女〟と向き合っている状況を想像した。それは永遠に訪れない空想ではない。おそらく、いや確実に、遠くない未来に起こるであろう確定した現実。言い換えれば、彼女と戦場で遭遇したときにどう行動するつもりなのかと、悠司は問い質しているわけだ。
そう考えてしまえば、何も悩む必要はない。
答えはとうの昔、彼女と出会った八年前に決めたのだから。
「異能力者だろうと何だろうと関係ない。俺の敵は悉く殲滅する。これは、そのための刃だ」
大抵の者は無謀だと嘲笑するであろう回答に、悠司は特段驚くこともなかった。
悠司の視線が、俺の腰の両端に差してある二本の得物に移動した。
「直刀の大刀、それに小刀か。左右に一本ずつとは変わった帯び方だね。私も侍は好きだよ。しかしね、慧くん。いまは侍も機関銃を乱射する時代だ。ましてや君が相手にしようとしているのは機関銃ですらも豆鉄砲同然にあしらう異能力者だ。それでも君は戦うのかな?」
「答えるまでもない」
「――はっはっはっ! そうかいそうかい!」
急に滑稽そうに声を大きくして、悠司は天井を仰ぎながら大笑いした。
上機嫌になった彼はもう一度椅子から立ち上がり、机を挟んで立つ俺に右手を差し出した。
「服も乾いていないのに長く引き止めて悪かったね。改めて、AMYサービスへようこそ。今日からここが君の家だ。何も忌憚することはない。我々のことは家族と思ってくれ。私も、君を実の息子として扱おう」
皮膚の厚い彼の手のひらに目を落として、望み通りの契りを交わした。
心から信用したわけじゃない。これも、鏡花たちにしたことと同じだ。俺を心から信用させるために、相手の望む行動を意図的にこなしているに過ぎない。
ただ、俺の手を握る若々しい親父には、個人的に訊いておきたいことがあった。
「一つ教えてくれ。お前も、宝典魔術師なのか?」
「宝典魔術師が誕生した二十三年前は、私の年齢もまた二十三歳。残念ながら、生まれるのが少々早すぎた。だからね、私は〝君と同じ〟だよ、慧くん」
「そんな年齢なのか」
「若く見えるかい? そういってもらえると嬉しいね。あまりうちの連中は褒めてくれないんだ。まぁその話は、また後日ゆっくりと聞かせてもらうとしよう。そんなわけで私は異能力者ではないんだけど、AMYサービスには宝典魔術師が三人いる。その一人が鏡花というわけだ。残りのふたりも、わざわざ教えなくたってすぐに知ることになると思うよ。まぁまずは風呂に入ってきたまえ。うちの風呂はでかいぞー!」
「期待しよう」
お喋りな社長に背を向けると、鏡花が執務室の扉を開けてくれた。
「――訊くまでもないかもしれないけど、私を信用してもらえたかな、慧くん?」
一転して声色を重くした社長の問いかけに、足を止めて振り返る。
「訊くまでもないことだ」
「ははっ、そうだったね。ここにある全てを信じろとは言わないけど、鏡花が信用に足る人物であることは、鏡花の魔術を見た君にならわかるだろう。第三三宝典魔術はターコイズに由来した魔術。その石言葉は〝開放〟。嘘をつく者には扱えない魔術だ」
「社長には扱えそうにないな」
愉快そうな笑みを見届けて、俺は社長との会話を終わらせた。
◇◇◇
「失礼しました」
一礼して、鏡花は入室したときと同じように淑やかに扉を閉じた。
「違ったら悪いが、あの男は鏡花の父親か?」
「そうですよ。二人でいるときはお父さんって呼んでるんですけど、他の人がいる場では社長と呼びなさいって、子供の頃に散々注意されました」
「あれが父親か……お前も、相当苦労しただろう」
「そうでもないですよ。私が戦えるようになったのは、お父さんが色々教えてくれたからなので。お父さん、とても強いんですよ」
「だろうな」
明言されるまでもなく、あの男が無力な中年ではないことくらい、最初に目が合った瞬間からわかっていた。
◇◇◇
見たこともない広大すぎる風呂場で髪と身体を洗い流したあと、お湯を張るだけで眩暈を覚える水道代とガス代を請求されそうな巨大な浴槽に肩まで浸かった。満足に湯に浸かるのは何年ぶりだろう。感慨深く思いながら、じっくりと身を清めて疲れを癒した。
悪くない気分で脱衣所に戻ると、雨に濡れた黒色のシャツと深緑色の作業ズボンがなくなっており、代わりの服が用意されていた。
バスタオルで水滴を拭き取り、与えられた制服に袖を通す。パリッという爽快な音が、他に誰もいない静かな脱衣所に響いた。
上下の着替えを済ませて、愛用の大刀と小刀を腰の左右に帯びる。脱衣所に設置されていた姿見に向き直ると、濃い青色のジャケットを身に纏った自分の姿がそこに映っていた。
これで、肩書きだけでなく外見もAMYサービスの色に染まったわけだ。
計画は順調に、予定どおりに運んでいる。
「千奈美……少しの間、お前とは敵同士だな」
鏡に背を映して、俺は、いずれまみえるであろう〝敵〟の名を呟いた。