犠牲者に願うもの
「……ボス、奴らを追っていた連中との通信が途絶えました」
「ふん、役立たず共が。長い間養ってやったというのに、とんだ無駄な出費だったな」
助手席の男が、私の隣にいるボスに恐る恐るといった声色で報告した。どうやら、敵への奇襲を命じられた連中が返り討ちにあったようだ。
私たちのアジトを襲ったのはAMYサービスという名前の組織らしい。ボスが懇意にしている情報屋に尋ねると、その名前はすぐに特定された。この近くに活動拠点があるそうだが、私たちの組織が狙われたのは今日が初めてとのことだ。
AMYサービスは結成されて数年と歴史が浅いうえ、構成員も少ない。けれどもアジト襲撃時の苛烈な攻撃からして、その少ない人員は精鋭揃いのようだ。異能を扱う者もいた。それも、私が見ただけでも二人はいた。奇襲を挑んだ無能力者たちには、もとより勝ち目などなかったのだ。
そもそも、奇襲なんていうのは彼らを焚きつけるための嘘だった。ボスは初めから彼らに撃退なんて期待していない。自分の逃げる時間さえ稼げればそれでよかったのだ。
〝彼〟もまた、同じように捨て駒として利用された。
あの状況では、敵との交戦は避けられない。逃げてくれていれば……そうしていてほしいと願うけど、彼の性格からして敵前逃亡はありえない。
強大な敵を前にして、何年もずっと諦めなかった彼だから。
「ん? どうしたの千奈美ちゃん、そんな暗い顔をして。心配しなくてもいいんだよ? 私の組織・フリーフロムには、あいつらの代わりなんていくらでもいるでしょ?」
他の部下に対しては横柄な態度のボスが、いつものように私にだけは気味悪いくらいに近い距離感で話しかけてくる。品のない外見に見合う、卑しい性格だ。私の〝力〟を恐れているんだろう。だから私が手元を離れないように頭を低くする。
「慧が無事なのか、気になって」
「あぁ……千奈美ちゃん、もうあいつのことは忘れたほうがいい。あの連中を相手に生き残るのは無理だよ。慧は私たちを助けるために、命を張って囮になってくれたんだ。私たちがしなければならないのは、慧や他の仲間の敵討ち。そのために、私はいま全国に散らばってる部下たちに召集をかけているんだよ?」
自分の人脈を誇らしげに語っていたようだけど、ボスの話は途中から耳に入ってこなかった。
――慧が、死んだ……?
そんなこと、いわれるまで考えもしなかった。
あの慧がそんな簡単に殺されるわけがない。
まだ自分の目的を果たしていない彼が、こんなところで倒れるはずがない。
ボスたちは知らないだろうけど、慧は強い。毎日怠らず一緒に鍛錬してきた私だけは、彼の本当の強さを知っている。
でも、今回は相手が悪い。
もしも戦いを挑んだのだとしたら、敵組織がアジトから離脱している時点で、慧は、もう…………
「ボス。その、慧のことなんですが」
「なんだ? まさか、生きているかもしれないとか抜かすつもりじゃないだろうな? お前の憶測なんぞ聞いとらん。私は考え事をしておるんだ。無能なゴミ共のおかげで不測の事態になってしまったからなァ!」
「い、いえっ! その、さっき通信してた奴から聞いたんですが、慧と思しき男が、敵車両に乗っていたそうです」
漏れ聞こえてきた会話に、濁りかけた意識が鮮明になる。
私の心情とは対照的に、隣に座るボスの顔には深い険しさが浮かんだ。
「……確かなのか? 捕虜にされたというわけか?」
「そこまではわかりません。ですが、青い制服ではなく黒色のシャツを着た慧に似た男が、車から身を乗り出して銃撃してきたそうです」
「銃撃だとッ!? あの男、まさか私を裏切ったのかッ!」
「ただ、銃弾は一発も当たらなかったそうです。もしかしたら、敵に脅されていたのかもしれません」
唾を飛ばして激昂するボスを部下が宥める。
怒りのあまり上体を起こしたボスだったが、部下の証言を聞いて両肩から力を抜いた。
「そんなところだろう。あいつは私の下で十年も働いてきたんだ。いまさら簡単に裏切るとは思えん。しかし……本当に裏切ったのだとしたら、即座に抹殺しなければならんな。本拠地の場所は教えてないが、内情を知る者を生かしておくと厄介だ」
ボスは組織の情報漏洩を恐れているみたいだった。
けれども、私はそれが杞憂であると知っている。慧に限っていえば、裏切りなんてありえない。彼は不本意に捕まったんだ。
私にはわかるんだ。彼は絶対に、組織を裏切ったりはしない。
だって、この組織にはまだ私が残っているから。
私を置いてどこかにいったりはしないと、彼はそう誓ってくれたから。当然、それは私と彼だけの秘密だ。
もしかすると、彼は私との約束を果たすための準備として、敵に寝返ったフリをしているのかもしれない。そうだとしたら、一言くらい教えてくれてもよかったのに。
しばらく何事かを考えていたボスが、至極めんどくさそうな顔を見せた。
「真相をはっきりさせるために、調べなきゃならんな。本拠地に到着しだい〝能力者〟を入れた偵察チームを組む。実態を探って、クロなら抹殺する」
「ボス、慧が捕虜にされてたら助け出してもいい?」
その申し出は、つまり場合によっては慧と一緒にこの組織から脱退するためのものだ。
私の懇願を聞いた直後、ボスは少し戸惑っていた。だけどすぐに気持ち悪く表情を崩して、汚い笑みを私の眼前にさらした。
私が組織から逃げ出そうとしているなんて、夢にも思っていないのだろう。
「もちろん構わないよ。千奈美ちゃんが入ってくれるなら安心だね。じゃああとはテキトーに二人くらいいればいいかな? そいつらにも、慧がシロなら救出するよう命令しておくからね」
「わかった。敵は私がなんとかするから」
「頼もしいねぇ。慧がうらやましいよ。千奈美ちゃんみたいに強くてかわいい子に好かれてるんだからね」
上機嫌になったボスは、ポケットから電話を取り出してどこかに連絡を始めた。その様子を尻目に、窓枠に頬杖をついて流れていく外の景色を眺める。
雨に濡れた世界は、どこまで進んでも荒廃していた。半壊や全壊した家屋が、撤去されることもなく無惨に放置されている。
ここは瓦礫の山で作られた街。かつて異能によって滅ぼされた世界の一部だ。
私の心も、昔はこの景色のように荒れていた。様々な理不尽に人生を狂わされて、命を絶ったほうがマシだとさえ思った時期もあった。光の届かない井戸の底で、私は孤独に膝を抱えていた。
残念ながら井戸の外から手を差し伸べてくれる人は現れなかったけど、暗闇を共有する仲間が私の痛みを和らげてくれた。
それが上倉慧という同じ歳の男の子。
私にとって、かけがえのない大切な人。
私は、彼がいたから今日まで生きてこれた。
彼が、いつか私を外の世界に連れ出すと約束してくれたから。
一緒に組織を抜け出して、誰にも恥じることのない普通の生活をさせてくれるって、そう約束してくれたから。
――約束を果たしてくれるんだよね、慧。
だけど、
だけどもしも、彼が不本意に捕らえられたのだとしたら?
そうだとしたら……
「……そうだとしたら、絶対に許さない」
暗い呟きは自動車の駆動音に掻き消える。
何よりもまず彼が無事でいること。私は切にそれを願った。