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罪の終わり②

 耳から通信機器を取り外す。

 鞘に納めていた二本の刀のうち、長いほうの柄を握って刃に夜気を帯びた。

 たしかにこれは、俺が越えなければならない障害だ。

 俊平には失敗した際の保険になってもらっていたが、〝トドメをささない程度〟なんていう気を回してくれたらしい。


 ――礼をいわなければいけないな。


 炎上するヘリの熱を肌で感じる。

 うつ伏せに倒れている肥満体型の男の前まで歩いて、彼の顔を見下ろした。両足を骨折しているようだが、その他に目立った外傷は見られなかった。

 ボスが左手をついて顔をあげた。

 向けられた表情には、品のない作り笑いが浮かべられていた。


「慧、強い仲間をもったな。まさか私の積み上げてきた全てをぶつけても歯が立たないとは思わなかった。降参だ。観念して、おとなしく捕まってやろう」


 この期に及んで命だけは守ろうとするボスの眉間に、大刀の先端を突きつけた。


「他にいい残すことはあるか?」

「ま、待てッ! 見てのとおり私に抵抗する意志はないっ! 慧っ! 私はお前の親のようなものだろ!? お前の人生の半分以上を面倒みてきたのはこの私だ! お前は親である私を殺すのかっ!」

「……」


 必死にいい放たれたその言葉には、思うところがあった。

 突きつけていた刃を一旦引き、右腕から力を抜いた。

 瞬間、ボスの笑みが醜く歪み、隠れていた右腕が俺に伸ばされる。

 握られた拳銃の銃口が、俺の身体を捉えた。


「間抜けがッ!」


 愉悦を叫び、引き金にかけられた指が引かれた。

 標的は心臓。

 千奈美との決戦で気力を使い果たした俺には、銃弾を弾くことも避けることも不可能だった。

 血煙が舞った。

 夥しい量の出血が、コンクリートの床に飛散して鮮やかな赤を彩った。

 千切れたボスの右腕から溢れる鮮血だった。

 ボスの奇襲は予期していた。備えていたのだから、引き金を引くことを許すはずもない。

 拳銃を握ったまま切断された手首が離れた地点に転がった。

 片方の腕の先端を失い、ボスは激痛に耐えるように左腕で右肩を抑えてうずくまる。

 悲鳴をあげ続けるボスの作業服の襟を掴み、力任せに上体を起こした。


「お前がまともな感性を持ってるようで安心した。そうか。お前が俺の親か。そんなこと一度たりとも考えたことはなかったが、お前がそういうのなら、それでもいい」


 片腕で両足の折れた巨体を支え、一歩、また一歩と奥に押し込んでいく。

 視線の先には、依然として勢力の衰えない紅い炎がゆらめている。

 残り一歩で足場からはみ出る地点で立ち止まった。

 死線の境界に追い込まれたボスは一層うるさく喚く。


「な、なにをするっ! 私を落とすつもりか!?」

「ボス、俺はフリーフロムに入っていい奴じゃなかった。俺は例の試験に合格していなかった。あれは俺の母親が、俺に殺されたよう偽装したんだ。本来ならばあの日、俺はお前に殺されて死んでいた。その俺がこうして生きている。この矛盾を解消するには、試験をやり直すより他にないよな?」

「そ、そんなのはどうでもいい! 慧、お前は優秀だっ! 私とお前が組めば何だってできるっ! そうだ、私と二人でフリーフロムを再興しよう! 金ならまだあるっ! お前のような心強い仲間がいれば――――」

「もう遅い」


 戯けたことをぬかすボスの身体を、容赦なく突き飛ばした。

 骨折した足で踏ん張りが利くはずもなく、四肢で唯一無事な左腕を俺に伸ばし、最後まで救いを求める。

 右手に握っていた大刀の柄に左手を沿えて両手で持ち、刃を水平に構えた。

 そして、屋上のふちに右足を踏み出し、

 伸ばされたボスの左腕と交差して、

 敵の胸の中心に、大刀を根元まで突き立てた。


「この刀を、お前の墓標にすると決めていたからな」


 柄から両手を離した。

 苦痛に呻くこともなく絶命した男は手向けの言葉を聞くこともなく、眼下で燃え上がる火炎の海に沈んでいった。

 自分の人生を狂わせた男の最後を見届けて、空になった大刀の鞘も火柱の渦に投げ入れた。

 俺の愛刀は、フリーフロムとして罪を重ねてきた象徴でもある。この刀を使い続けることで、倫理に背いた罪を背負ってきた。

 元凶を滅ぼしたいまならば、半分くらいは処分してもいいだろう。

 無論、それで罪が消えるわけじゃない。

 もう片方の小刀は、誤った十年の戒めとして、この身が果てるまで背負っていく。

 そう自分に誓い、長年に渡った俺の戦いは幕を下ろした。

 急に糸が切れたように身体が重くなった。

 疲労感に身を任せ、異物の消えた綺麗な夜空の下で座り込んだ。

 戦闘の気配はない。

 辺りには自然に溢れた土地らしい穏やかな空気が流れ、心地の良い風があるがままに吹いている。

 背後の階段から足音が近づいてきた。

 とうに感覚は平常に戻っているが、振り返らずとも、それが誰なのかわかった。親しい人間は足音だけでわかるというのは本当のようだ。

 音は俺の隣で消えた。

 横に並んだ人物は、階下から立ちのぼる黒煙混じりの紅い煌きに目を細めた。


「終わったの?」

「そうだ。全部、終わった」

「……そう」


 千奈美は立ったまま、不純物を体内から吐き出すように大きく深呼吸をした。

 それから、寂しそうにまた虚空を見つめる。


「約束、本当に叶えてくれたんだ。……でも、帰る場所がなくなった」


 帰る場所。

 恨んでいて、離脱したいと昔から願っていた組織だが、彼女にとって唯一の家であったには違いない。

 あんなところでも、広すぎる世界でただ一つの居場所だった。自分の居場所がどこにもなくなってしまったことが彼女は悲しいのだろう。

 それは俺も同じだ。

 けれども悲しむ必要なんてない。

 それもまた、彼女も同じなのだから。


「帰る場所ならある。そこでは、もっと素晴らしい生活が待ってる」

「フリーフロムは壊滅したんでしょ? だったら帰る場所なんて――」

「もっと素晴らしい生活だと、そういっただろう?」


 腕に力を入れて身体を起こし、千奈美ではなく階段のほうに目をやった。

 千奈美は未だに理解が及んでいないようで、わけがわからずに焦っている。

 階段の手前まで歩いてから、首をまわして彼女の顔を眺めた。


「そういうわけだ。あいつらが待っている。帰るぞ、千奈美」

「え……帰るって、いったいどこに?」

「決まってるだろ」


 フリーフロムが世界で唯一の居場所だったとしても、それはもう過去の話だ。

 暗く深かった井戸の底の閉塞感からは解放された。

 俺も千奈美も、日の当たる世界で生きていく未来を勝ち取った。

 夢とも呼ぶべき願いが叶っただけではない。

 望んだ世界には、俺たちの帰る場所まで用意されている。

 俺はいま、どんな表情をしているだろう。

 鏡がないので確実なことはいえないが、随分と久しぶりに両頬の重みが取れたような気がしている。

 困惑する彼女の問いかけに、俺は、やわらかな顔で答えた。


「俺たちの、新しい家だ」

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