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激情のアンダルサイト②

 姿勢を低くしたまま、膝をあげて小刀を前面に構える。

 煙幕を裂いて飛び込んできた千奈美が左手に持ったナイフを振り下ろす。

 崩落した天井の瓦礫が積もる床の上、

 月明かりを直に受け取る夜空の下、幾重となく刃の重なる音が奏でられる。


「死ねッ! 私の前から消えろッ!」


 迫る凶刃より明瞭な殺意で彼女は俺を斬りつける。


「全部慧を守るために磨いてきたッ! 強くなったのも慧のため! ずっとそう思い込んできたッ! でも違った! これは守りたかったものを殺すための刃ッ! お前がそう変えたんだッ!」


 凶刃をいなす度に肉体に負荷がかかった。

 それ以上に心が痛かった。

 彼女の悲痛な訴えが、どんな凶器よりも鋭く身体を抉り傷つけた。

 俺の得意とする近接戦では勝てないと判断してか、彼女は不意に距離をとった。

 鋭利な言葉に意識を奪われ、咄嗟に追撃に転じることができない。

 千奈美は拳銃を収めて右手を夜空に伸ばす。その手の動きを追う。

 無数に並んだ氷柱が、通路上空を覆い尽くしていた。

 あまりに現実離れした光景に戦慄する。

 その隙に、彼女は奥側の通路の接合部に飛び退いた。

 画策された攻撃を察して、一足遅れて瓦礫の敷かれた床を駆け出す。


「さよなら」


 感情の失われた低い声色で囁き、彼女の右手が振り下ろされる。

 指示を受け、天井の氷柱が支えを失ったように一斉に落下した。

 戻ったところで入口は塞がれている。

 助かるには、千奈美の待ち伏せる出口に逃げるしかない。

 けれども、とてもじゃないが逃げ切れる間合いではなかった。

 剣山を逆さにしたような天井の落下速度が急激に加速する。

 三階の高さにある通路に取り残された俺には、どうあってもそれを避ける術は残されていない。

 ならば、避けるのは諦めよう。

 通路の中央を越えた辺りで立ち止まり、大刀と小刀を巻きこんで腰を捻り、屈んで右膝を立てた。

 身体の正中線に軸を作るよう想像して、音と空気の変化を頼りに天井が最接近する瞬間を瞳を閉じて待つ。

 一秒も数えぬうちに、その瞬間は訪れた。

 収縮したバネを弾くように、二本の刀で頭上を半月状に切り裂く。

 氷柱は通路根元まで突き刺さり、一面の瓦礫が異質な氷に覆われる。

 青く染まった景色のなか、俺のいる狭小とした周囲だけが凍結を拒み、原形を留めていた。

 周辺には、ガラス片にも似た砕けた氷柱の欠片が散乱している。

 必殺の魔術を跳ね除け、口を真一文字に結ぶ彼女を見つめ返す。

 凍った床に一歩踏み出そうとして、

 自分の立つ足場の異状に気がついた。

 とんでもない違和感に冷や汗が噴き出す。

 思わず背後を振り返ると、


「なんだと――」


 凍結された異様な床の一面に、幾筋もの亀裂が走っていた。

 視線を前方に戻せば、奥まで伸びる通路にも同様の損傷が現れている。

 通路の終端に立つ千奈美はつまらなそうに俺を眺め、正面に手をかざした。

 通路の出口が、左右から出現した細長い氷柱によって塞がれる。

 入口と出口。その両方を失い、崩落秒読みの足場に孤立する。

 それでも――窮地に立たされても、彼女を救うことだけを考えた。

 ここで逃せば、もはや彼女に接近することは叶わない。

 ボスに連れていかれたら、次に会う機会はいつになるかわからない。

 後戻りは許されない想いが、選ぶべき答えを教えてくれた。

 ささやかな音を立て、端から順に床が崩れ始める。

 閉ざされた奥の出口を凝視して、氷の上を駆け出した。

 大股で、素早く。衝撃は極力抑えているつもりだが、踏んだ箇所は即座に欠けて、地上約一〇メートルの高さからボロボロと崩れ落ちていく。

 あと十歩。

 さっきは失敗したが、今度は失敗は許されない。

 あと五歩。

 出口はないが、進むより他に道はない。

 あと二歩――

 氷壁が覆う出口への到達を目前にして、

 残りの歩幅が踏むはずだった足場が崩壊した。


「まだ――――ッ!」


 普段は出さない声で気合を入れ、最後の足場を強く蹴って上空に飛び出す。

 着地する場所はない。眼前にあるのは氷壁のみ。

 空中で、逆手に持った小刀を腰の後ろに引いた。

 跳躍は充分だ。

 この速度ならば問題ないと確信して、小刀を握る拳に全霊を込める。


「――別れの挨拶には早いぞ、千奈美ッ!」


 氷壁に衝突する間際、小刀を握る拳を前方に突き出す。

 小刀の柄頭が氷壁の中心点に激突する。

 強固な氷壁に亀裂が入り、瞬時に破片が飛散して壁に穴が穿たれた。

 割れた穴から内部に侵入して、身体を一回転させることで衝撃を緩和する。

 九死に一生を得た。

 どうしようもなく緩んだ心のまま、起き上がろうと上を向く。

 目の前に、煌く切っ先があった。

 自身の体重をも乗せられたナイフが、全霊を賭して掴み取った命を呆気なく奪い取ろうと襲い掛かる。

 突き落とされたナイフから間一髪で逃れ、起き上がりざまに小刀を構える。

 追尾してきたナイフを弾く。しかし銀閃は留まらず、苛烈に縦横を暴れまわる。

 俊敏な動作に、彼女のズボンから薬莢が数発こぼれ落ちた。

 刃の触れ合った反動を利用して、呼吸を整えようと距離を取る。

 それが間違いだと気づいたのは、彼女が一度しまった拳銃に手をかけたからだ。

 寸秒の猶予もなく、流麗で無駄のない動きで拳銃の引き金が引かれる。

 辺りに物陰はない。全方位が銃の射程である以上、自力でなんとかするしかない。

 薄暗いフロアの窓際で、左右に揺れて二発の凶弾をかわす。

 攻撃と回避のスイッチを切り替えるように、即座にこちらから肉薄。

 千奈美が右手の銃を下げ、左手のナイフを構え歪めた表情で迫り来る。

 金属と金属が幾重にも火花を散らして、死を呼ぶ甲高い衝突音が暗闇に反響する。

 虚をつくように水面蹴りが飛んできた。

 地面から足を離して回避する。

 宙に浮き避けようがない状況で、眼下から垂直に弧を描く刃が来襲する。

 小刀でなんとか防いだが、地に足を着いていなかったために体勢を崩した。

 連撃は中段蹴りに繋がる。

 大刀を引き寄せ、衝撃を刀の側面で受け止める。

 着地して姿勢を正そうと足を下げれば、またもや銃口を向けられた。

 身体に鞭を打ち、寸前で回避する。

 銃声は三度連続で響いた。

 避けても距離が空いたままでは埒が明かず、たまらず駆け寄り銀閃を重ねた。

 今度はすぐには離れず、二つの刃が互いの信念をぶつけあうように競り合った。


「慧、満足そうだったよね。AMYサービスの女と肩を並べて私を睨みつけて。あのときの私の気持ちがわかる? 私の人生を踏みにじった慧にわかる? よくもあんな態度がとれたなッ!」


 ――もちろんわかる。

 ――伝えなければ。

 ――伝えなければ、手遅れになる。


 肉体と精神の限界が近かった。

 限界を迎えれば、この身体は立っていることはおろか意識を保っていられるかもわからない。

 そうなれば終わりだ。彼女はボスに利用され続け、いつかゴミのように捨てられてしまう。


「――よく聞け千奈美ッ! 俺が裏切ったのは、お前を救うためだッ!」


 気づけば俺は、面と向かう彼女にそう伝えていた。

 いえた。

 焦燥に任せてしまったが、ようやくいえた。

 伝えたくて、伝えられなかった、たった一言の短い言葉。

 気持ちを共有できれば、この苦しい戦いにも終止符が打てる。そんな楽観的で、都合の良い考えが頭を過ぎる。

 隠し続けていた真意を耳にした千奈美は、

 鉾を収めるどころか、憎悪を増幅させた。


「ふざけるな。私を救う? 約束も忘れたお前が、そんな台詞を吐くなッ!」

「約束なら覚えてる! 片時も忘れたことはないッ!」


 千奈美が振り抜いたナイフを受け流す。

 彼女は後ろへ跳び、俺も足を引いた。

 予想どおり飛来した銃弾を左後ろに転がって避ける。

 立ち上がる際、足元に落ちている数発の薬莢が視界に映った。近接戦の際に千奈美がこぼしたものだ。

 暗闇から俺を狙う拳銃が、空虚な音を奏でた。

 装填可能な六発の弾丸を撃ち尽くした状態では、本物の拳銃も玩具に成り下がる。もはやそれは脅威ではない。

 玩具を握りしめたまま、彼女は俺を眺めた。


「……いまさら覚えてるといわれて、信じられると思う?」

「信じてもらうしかない。そのために俺はここに来た」

「どうやって信じればいい? 私の心はこんなにも慧を憎んでるのに。騙し続けた男の言葉を、どうすれば信じられるの? ねぇ、答えて」


 ――方法、か。


 俺の心を証明できれば、彼女は銃を置いてくれるという。


 ――。


 ――――。


 ――――ならば、やるしかない。



「わかった」

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