夜襲、待ち人を望む③
敷地を警備していた三人の哨兵が、琴乃の雷光を受けて倒れた。
異様な光と音に敵も異常事態を察したのか、宿舎と思しき建物の窓に次々と明かりが灯っていく。
鏡花も宝典を出現させて、詠唱文を読み、魔術名を声にした。
《――フレンジィ・ターコイズ》
詠唱の完了により、宝典は青と緑の入り乱れる無数の粒子に分解されて四散した。
鏡花が薙刀を水平に構えると、飛び散った粒子は吸い込まれるようにして薙刀にまとわりついた。漆黒の柄に白銀の刃を持つ薙刀が、青と緑の輝きを放つ。
鏡花は薙刀を掲げると、その場でオーラをまとう武器を縦に一振りした。
呼応するように、周囲に強烈な風が巻き起こる。
谷底に落ちかけた車体を吹き飛ばしたときほどではないが、周りの土は巻き上げられ、立っているのも困難な暴風が背後の俺にまで及ぶ。
《ふがああああああっ!!?? ちょ、ちょっと鏡花ッ! ここで暴れないでくれるッ!?》
《あ、ごめんね、吉永さん。久しぶりだったので試してみたかったんです》
《吹き飛ばされるとこだったじゃないのッ! あたし軽いんだから気をつけなさいよねッ!》
《はい。気をつけます》
琴乃は身体を低く丸くして、髪を逆立てながらも必死に踏ん張っていた。
嵐が弱まると、青紫の衛星で周囲を固めた琴乃が敷地内に侵入した。鏡花も淑やかな歩み敵陣に進み、琴乃の隣に並んだ。
ふたりの所に歩み寄りつつ、右手で大刀を引き抜く。
小刀も抜いておこうとしたが、いまはやめておいた。
感覚を覚醒させる技は無制限に使えるわけではない。体力が限界に達すれば覚醒状態は保てない。連続して発動していられるのは、疲労がない状態で五分前後。宝典魔術師である千奈美と対峙する前座では、浪費は避けておきたかった。
右手にだけ刀を装備して、鮮やかな光を展開する彼女たちに追いつく。
「俺はヘリのある建物の屋上に向かう。琴乃、援護をお願いしたい」
「悪いけど、あたしはそんな暇じゃないわ」
「そうか……ならば、一人で切り抜けるしかないか」
「早とちりな奴ね。暇じゃないけど、手を貸さないとはいってないじゃない」
言葉の意味を理解しかねていた俺に、琴乃は人差し指を向けた。
まさか雷撃を食らわせようとしているのかと身構えたが、そんなことはなかった。
彼女を軸に公転する十個の衛星。そのうちの二つが軌道を外れて、俺の身体に接近する。
二つの青紫の輝石は軸を琴乃から俺に替えて、ゆったりと規則的な公転を再開した。
「貸してあげるわ。といっても攻撃はできないわよ? アンタは魔術師じゃないからね。できるのは防御だけ。二回だけ、アンタの命を守ってくれるわ」
「敵が何人いると思っている。これでは紙同然だ」
「はぁ? 文句いってんじゃないわよ! 没収するわよッ!」
「いや、わるい。失言だった。ありがたく頼らせてもらおう」
「まったく。アンタ宝典魔術師の女に勝たなきゃいけないんでしょ? そんくらいで弱音吐いてんじゃないわよ」
苦言する彼女を見て、俊平に聞かされた台詞を思い出した。
なるほど。吉永琴乃という少女の魅力が、少しだけ理解できたような気がする。
「――敵が来ました」
宿舎の陰から続々と人影が現れ、ライフルの銃口が一斉に向けられる。
だが即座には火花を散らさなかった。どういうつもりなのか。
互いの出方を窺い膠着していると、敵の群れから二人の男が悠然と歩み出てきた。
そのふたりは、銃を装備していなかった。
「わっかりやすいわねぇ。見るからにくだらないことが好きそうな顔だわ。アンタたちがフリーフロムの雇った宝典魔術師ってわけね」
琴乃の挑発に、ボスの雇った傭兵の片割れが嘲笑をこぼした。
「こいつはツイてる。運命の神様とやらは、まだ俺の味方でいてくれるみたいだ。どんなヤバい奴が出てくるかと思いきや、ションベン臭いガキだけとはな!」
「けど、女どもは宝典魔術師には違いねぇ。異能力者を始末すれば特別報酬だ。年齢なんざ関係ねぇよ。楽して稼がせてもらおうぜ! それか、遊んでからにするか?」
「お前ロリコンかよ。こんなもんに俺は欲情できねぇぞ。つーわけで、悪いねお嬢ちゃんたち。これも食い扶持を得るためのお仕事なんでね。正義の味方なんて金にならない職業を選んだ自分を恨むんだな!」
傭兵の二人は挑発を返すなり、腕を伸ばし燐光を手先に発生させる。
次の瞬間には宝典が現れ、それぞれが異なる詠唱を開始した。
「慧、アンタの助けたい女がヘリのある建物に逃げたわ」
自分自身の目でも、宿舎から出た千奈美が奥の建物に移動するのを目撃していた。ボスも一緒のようだった。
琴乃は敵の安い挑発に激昂すると思っていたが、意外にも周囲の状況に気を配れるほど冷静だった。眉間に皺を寄せるのではなく、唇に嘲りを浮かべている。
どこか楽しげな様子で、琴乃は詠唱途中の傭兵を見据えた。
「何も知らないっていうのは幸せね。第四宝典魔術は主に降りかかる全ての障害を排除する魔術よ。それは守られるに値する高貴な者にしか許されない力。アンタたちみたいな下衆じゃ、束になっても敵わないわ」
琴乃の身体を巡る衛星が、より鮮烈な雷光をまとった。
蒼い輝きに照らされながら、琴乃は隣に立つ俺を横目で見た。
「早く行きなさい。アンタのためにこんな面倒を起こしてるのよ?」
「あ、ああ。……わかった。予定通り、俺は千奈美を追う」
「――上倉くん」
千奈美とボスを追うために駆け出した直後、鏡花に名前を呼ばれ足を止めた。
以前にもこんなことがあった。数日前を思い出しながら、彼女の顔に目をやった。
薙刀がまとう風に長髪を揺らす鏡花は、戦闘の最中であるというのに、いつもと変わらず優しく微笑んでいた。
「頑張ってね」
かけられたのは、そんな短い言葉。
いい加減で適当な発言だと、そう受け取られかねない安い言葉。
ただ、そうは思わなかった。
単純で簡素な言葉だが、応援してくれているのは充分伝わった。
俺は、彼女のそういった気持ちが素直に嬉しかった。
「任せろ」
気恥ずかしさを覚えながらも勇ましく返答する。
待ち人を求めて駆けだした直後、背後で苛烈な銃撃と魔術が沸き起こった。




