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灰色の流星④

 標的は最上階である三階にいるようだった。

 一段踏む度、敵の気配に近づいていることを肌で感じる。

 目的の階に立つと、漂う空気は静寂に満たされていた。

 だが、それで誤魔化されるようでは異常者は名乗れない。

 コンクリートの壁に背中をつけて、頬と耳を壁面に密着させる。聴診器が人の心音を聞き取れるように、俺の耳にも建物内の雑音が聞こえてきた。

 自らの皮膚と同化したコンクリートの肌が、〝異物〟の鼓動を検知している。鋭敏化された感覚は、どれだけ微細な異常も見逃したりはしない。


 ――見つけた。


 外敵を待ち伏せる緊張に脈拍を乱す存在が一つ、廊下を進んだ先の部屋から生気を放っている。

 鼓動の乱れは焦燥のためか、それとも高揚か。

 いずれにしても、有利な立場にありながら平常心を忘れる時点で大した相手ではない。残念ながら、千奈美ではないだろう。彼女ならもっと冷徹に事を運べる。

 わざと靴音を鳴らして近寄っていく。甲高い音は静寂によく響いた。

 一歩近づく度に、待ち受ける敵の心拍数は増しているに違いない。

 伏兵の潜む部屋の手前で足を止めた。

 踏み出せば、室内にいる敵に俺の姿が映るだろう。

 待ってみたが、敵はしかけてこなかった。

 壁越しに攻撃してこないなら、爆弾の類を持っておらず、宝典魔術師である確率も低い。となれば、凶器は銃か。銃口を廊下に向けて、俺が出てくるのを心待ちにしている様子が容易に想像できる。

 憐れな奴だ。

 昔の俺と、同じように。


「無駄だ。そこにいるのはわかっている」

「――なっ」


 敵対している身でありながら、馬鹿馬鹿しく思えるほど呆気なく伏兵は自らの存在を明かした。

 若い男の声だった。

 フリーフロムでは比較的話すことの多かった、五歳年上の元同僚の声だ。

 先日尾行した車の助手席に座っていたのも、壁で隔てた先にいる彼だった。


「お前か。これで合点がいった。新しい潜伏先が割れるきっかけを作ったお前に、名誉挽回のチャンスを与えたわけか。あの男の考えそうなことだ」

「……慧。お前が裏切らなければ、こんなことにはならなかった」

「そうだな。俺は行動を起こした。逆にいえば、お前が先に行動していたら立場は逆転していたかもしれん。自業自得だと割り切れ。

 それはそうと、昨日一緒にいた相方はどうした。建物の外で俺を連れてきた連中を奇襲でもしてるのか?」

「殺られたよ。キレちまったボスにな。それもこれも、全部お前のせいだ」

「突飛な発想だな。現実から目を背けるな。お前は知っていたはずだ。ボスが身内だろうと無能力者には容赦しない性格だってことを。同僚が理不尽に殺される場面を散々見てきたはずだ。それでも逆らう勇気すら持てなかったのはお前の罪だ。俺が悪いんじゃない。単にお前が犠牲にされる番が回ってきただけだ」

「偉そうにいうんじゃねぇッ! さっさと出てこい慧ッ! お前を殺せば俺は許してもらえんだよッ!」


 ――そうして、お前はまた戻るのか。


 かつての同僚の悲痛な叫びに、その運命は変えられないことを悟った。

 俺は誰をも救えるほど強くない。誰をも救おうと思うほど傲慢でもない。

 だから、進む道を邪魔するのなら、障害は取り除く。


「いいだろう。お前と俺は知らない仲でもない。先手はくれてやる。ただし、手を出せばこちらも手加減はしない。わかったな?」

「はっ! 何をするつもりか知らねぇが、異能力者でもないてめぇがこの状況で俺に勝つ方法があんのかよッ!」

「その目で確かめろ」


 二本の刀を垂らして、スッと敵の潜む部屋の入口に姿を晒した。

 案の定、敵はライフルを構えていた。

 驚愕に染まる敵の銃口を、引き金を、指の動きを捉える。

 寸秒の逡巡。元同僚と互いを認識しあった。

 それも虚しく、弾丸の射出を確信して標的に駆け出した。

 疾走する視界。

 水面を走るがごとく殺した足音。

 大刀の刃を水平に、剣尖で敵の心臓部を狙う。

 初撃を難なくかわした俺に、敵は動揺した。無理もない。銃弾を避けるなど、本来あってはならない出来事だ。

 信じられないものでも見るように剥かれた瞳に、色のない刃が迫る。

 危険を察知してか、敵の指が咄嗟に動いた。

 その指が引き金を引くよりも早く、

 突き出した大刀の刃が、敵の無防備な胸元を貫通した。


「がぁっ……!」


 すでに俺の通り過ぎていた空間に一発だけ銃弾を放って、彼の手から銃がこぼれた。

 彼は口角から吐血して、わけがわからないといった様子で当惑する。


「な、なんで……」

「知ってどうする。もう、意味がないことだ」


 かつて同僚だった男の肉体から刃を引き抜いた。

 血糊のべったりと付着した刀身から解放されると、彼はよろめいて後ずさった。

 意識を失っていてもおかしくない状態だが、彼は倒れなかった。

 男は苦悶を浮かべ、荒い呼吸を繰り返す。

 哀れだった。俺や千奈美と同様に、フリーフロムに入ったのは不本意だったのだろう。それなのに、折角一人になれたのに反抗する意志すら持てない。救いようのない弱者だ。

 千奈美と出会わなければ、俺も彼と変わらない弱者のままだった。その可能性を思うと、彼の弱さには同情を覚えた。

 ふと、階段室のほうから微かな振動を感じた。

 音は規則正しく、着実にこの部屋に近づいてきている。

 何者なのか知らないが、共犯者ならば悠長に構えている暇はない。

 大刀を一振りして鮮血を払い、瀕死の彼に歩み寄った。


「答えろ。ここにはあと何人いる」

「くるな……くそ……しくじった。おれは、終わりだ」


 無地の黒シャツに、胸元から絶えず溢れ続ける染みが浸透していく。

 彼は傷口を手で押さえて、俺から一歩でも逃れようとおぼつかない足取りで後退する。


「終わりじゃない。答えれば治療してやる。馬鹿な真似はするな」

「いや、終わりだ……へへっ、ほんと、ろくでもねぇ人生だった」

「ボスに脅されてるんなら案ずるな。フリーフロムはすぐに壊滅させる。逆らわなければ、お前も自由を得られる」

「……そうか。そのために、お前は、ひとりで、自由になるために……」


 階段から近づいてくる気配が濃くなっていた。

 もはや、一刻の猶予も残されていない。

 後ずさっていた彼の背中が壁にぶつかった。

 ペンキをぶちまけたような夥しい量の鮮血の軌跡を残して、壁にもたれかかるようにして座り込んだ。

 これ以上の問答はできない。彼の喉元に刃を突きつける。


「これで最後だ。仲間は何人だ」

「いねぇよ、そんなもん。

 ……さとし、ひとりで戦うなんて、お前はすげぇな。おれは、最後の最後まで、搾取されるだけだった」


 彼は俯いたまま、泣いているのか笑っているのか判然としない声色で呟く。


「……でもなぁ」


 眼前の男は、もはや死んでいるも同然だ。

 そんなことより、廊下から迫る気配の動向のほうが気がかりだった。

 数秒後には、その正体が部屋の入口に現れるだろう。

 落ち着いた足取りから、この男とは違い相当な実力者であると窺えた。即座に応戦できるよう、背後に意識を集中する。

 だが、異様なまでに鋭くなっている直感が、泣き言をこぼす男の気配に警鐘を鳴らした。

 風前の灯となっている男を見下ろすと、彼の片手は作業ズボンのポケットに隠れていた。

 俯瞰の視線を少しあげた。

 立っているときには気づけなかったが、彼の腰周りが不自然に膨らんでいた。脂肪のような自然な膨らみではなく、服の下に何か角ばったものを巻きつけているようだ。

 瞬間、脳内に一度捨てた想像が蘇る。

 彼は捨て駒で、

 確実に敵を仕留めるならば、


 ――馬鹿がッ!


 大刀を投げ捨て、座り込む敵から一歩でも距離を取ろうと踵を返す。


「お前さえいなけりゃ、おれだって――――」


 憤怒と悲哀を混合した無念が吐き終わる直前、室内の空気が圧縮されるのを全身で感じた。

 可能な限り衝撃から逃れるため、振り返ると同時に跳躍して床に伏せようとしたが、


 もう、間に合わなかった。


 両足が地面を離れ身体が浮いた状態で、辺り一帯が白光に包まれる。

 視界を奪う鮮烈な光とともに、皮膚を焦がす灼熱の熱風が吹き荒れた。

 その様相を、どういうわけか自爆に巻き込まれたはずなのに見届けていた。

 何が起きたのか。俺は青色のジャケットをまとう人物の腕のなかにいた。

 状況の把握に思考が追いつかないまま、爆発が治まっていく過程を呆然と眺めていた。

 床に伏せようと飛び込んだ身体が、いつの間にか背後に立っていた人物に抱きとめられていた。

 そいつは薙刀を握る左手を俺の腰に回して、右手を俺の肩越しに爆心地へと伸ばしている。その右手を視線で辿っていくと、手のひらの先で淡い緑の燐光が盾のように広がっていた。

 燐光の中心で、所有者に異能を授ける宝典が浮遊していた。

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