AMYサービスへの加入①
「わかりました。そういうことであれば、たしかに拘束する必要はありませんね」
「…………は?」
逡巡もなく、彼女はそう即答した。あまりに想定外で呆気ない展開に、思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
一瞬前まで俺の心臓を眼力だけで貫こうとしていた彼女だったが、いまはもう表情を軟化させ、口元には柔らかな微笑みさえ浮かべている。
「ま、待て。俺はお前の敵だぞ? 普通、そう簡単に信用するか?」
「ですが、もう敵ではありませんよね? これからは、私たちは仲間です」
「いや、それを簡単に信じるのかという話をしているんだが……」
「信じますよ。それでは下に行きましょう。他の仲間たちを紹介します。ええと、お名前はなんというのですか?」
僅かに首を傾げて、そんな暢気な質問を投げかけられる。
名前を教えろという要求。それが、敵であった俺に対して彼女が最初に求めてきたものだった。
観察している限り、冗談をいっているようでもなく、感情を偽っているようにも見えない。理解に苦しむが、心の底から本当に俺の言葉を信じているようだ。
こうも簡単に信じられるのは拍子抜けだが……
――そのほうが、都合がいいか。
いずれにしても、名前を教えておいて損はないだろう。
「上倉だ。上倉慧」
「私は天谷鏡花といいます。上倉くん、これからよろしくお願いしますね」
「こちらこそ。よろしく頼む、鏡花」
「はい」だなんて律儀に相槌を打って、鏡花と名乗った女性は朗らかな笑顔を作る。どうにも何を考えているか読めない奴だ。
「では、皆さんのところへ行きましょうか。いつまでも雨に打たれていると、お互い風邪を引いてしまいますからね」
彼女は平然と俺に無防備な背を向けて、機械のように規則的な足取りで階段室に踵を返した。信用しているのは、やはり本当らしい。
俺もまた、彼女の背中を追って屋上をあとにする。
階段を下りるにつれて、耳に届く雨音は遠くなっていった。
◇◇◇
電気の通っていないアジトに比べれば、曇天といえども外の世界は幾分明るく感じた。
一階にあるアジトの玄関に、雨宿りをするように鏡花と同じ制服を着た男女が佇んでいた。俺が廊下から現れると、ふたりとも会話をやめて俺に注目した。
ひとりは銀色短髪の若い男。目があっても、彼は無感動に俺を見据えている。
もうひとりは、長い髪を頭頂部で一本結った若い女。こちらは目を合わせる前から、鋭利な眼光で睨みつけられている。
よく見れば、女の風貌には見覚えがあった。鏡花と出会う前、屋上にいた俺を発見した女だ。身長が低い割りに髪は誰よりも長く、一本にまとめられた後ろ髪は尻尾のようである
平気で背中をさらして俺の前を歩く鏡花に気づくと、彼女は尻尾を振り乱して声を荒げた。
「ちょっと鏡花ッ! そいつ敵でしょッ!? なに野放しにしてんのよっ! ていうか何ッ!? どうしてそんな普通でいるわけッ!? 敵を自由にさせとくなんておかしいでしょッ!」
「吉永さん、焦燥は弱点になる。落ち着いたほうがいい。それに、野放しにされてる彼をよく見てごらん。敵意を感じるかい? 僕は感じないね。屋上で何かあったんだろう。そうだよね、君?」
銀髪の若い男が、その風貌に見合う異様に冷静な口調で訊いてきた。
「そちらの女からは、親の仇でも見るような敵意を受けているがな」
「へぇ……このあたしを挑発するとはいい度胸じゃないの。いいわ、その勇気だけは褒めてあげる。そのあとで、その何百倍も貶してあげるわッ!」
「他のふたりと違って元気なんだな。大事な話をしたいから、少し黙っていてもらえると助かるんだが」
「な、なんですって……ッ! 出会って早々にこのあたしを侮辱するつもりッ!? もう我慢ならないわッ! 表に出なさいッ! 今日をアンタの人生最後にして最悪の日にしてあげるからッ!」
「あげるといわれても、そんなものを頼んだ覚えはないぞ」
「キーーーーッ!!!!」
沸騰寸前といった具合に顔を紅潮させて、唐突に機械の異音のような奇声をあげた。精神状態に異常が発生したように思うが、女の相方らしい銀髪の男は検査を行うそぶりもなく、気の抜けた表情で俺たちを観察している鏡花に視線を移した。
「それで天谷さん、どういうことか僕たちにも説明してもらえるかい? 連絡もとれず、合流したら敵の男と一緒にいるんだ。相応の理由があるのだろう?」
「あ、通信を切ったままでした。上倉くんとは戦うことになると思ってましたから、集中するために電源を切って、戻すのを忘れてたみたいです。ごめんね、唐沢くん」
「謝るほどのことではないよ。それより、上倉くんというのは、彼の名前かな?」
「はい。私たちの新しい仲間です。上倉くん、紹介しますね。こちらにいるふたりは、女の子が吉永琴乃さんで、男の子が唐沢俊平くん。ふたりとも、私が所属しているAMYサービスという会社の同僚です」
「仲間って、こいつがッ!? なんでそうなんのよッ!」
「そのように申し出てくれましたので」
「申し出るって、それだけ!? そいつは敵なのよッ! あたしたちを騙して油断したところで襲いかかる算段に決まってるわッ! そう簡単に信用していいわけッ!?」
琴乃は俺の加入を拒絶したいようだった。都合の悪い展開ではあるが、本来それが正しい流れだ。いっていることは鏡花よりも正しい。
困った事態には違いないが、まともな人間がいてくれて少々胸を撫で下ろした。AMYサービスは鏡花のような変わり者ばかりの集団なのかと危惧していたが、そうでもないようだ。
怒涛の勢いで抗議する琴乃に、鏡花は微笑みを崩さず応対する。
「騙すつもりなら私はもう殺されてますよ。それと、私は上倉くんを信用しています」
「な、なんでよッ! 初対面なんでしょ? どうして初めて会った、それも敵の言葉を信用できるのよッ!」
「私には、上倉くんが悪い人に見えないからです」
「……」
「……」
「…………え、それだけ?」
「はい」
何故か琴乃から親の仇でも見るように睨まれた。いまのやりとりに俺は無関係のはずだが。
絶句している琴乃とは対照的に、俊平は随分と落ち着いた様子だった。
「僕も信じよう。天谷さんのこういう行動は、今日が初めてというわけでもない。天谷さんの行動で僕たちが窮地に陥ったことだってないしね」
「お前とは、いい友人になれそうだ」
「そうかな? それを決めるのは僕か、それとも君か、はたまた運命か。針を動かすのは誰か、その一点には興味があるね」
「ん……? あ、ああ。そうだな……?」
この唐沢俊平という男も、他の二人とは違った意味で一癖ありそうだ。前言を撤回しようかと思ったが、せっかく得た信用を失うのは愚行だろう。反射的に顔に苦味を浮かべてしまったが、気づいていないか、気にしていないようだ。
俊平は俺と鏡花と琴乃の三人を見回すと、アジトの玄関に身体を向けた。
「ともあれ、まずは帰還しよう。僕たちで最後だ。この建物の横に車をつけてあるから、上倉くんも乗ってくれ。タオルも用意してあるよ」
「上倉でいい。俺たちは友人なんだからな」
「なら、そう呼ばせてもらうよ。上倉、吉永さんと天谷さんも、続きは車の中で話そう」
新しい友人が雨の景色に歩いていく。彼は傘どころか武器すらも持っていない。その後ろ姿は無防備で隙だらけのはずだが、どういうわけか、仮に斬りかかっても勝てる気がしなかった。
「ところで、誰が運転するんだ? 他にも仲間がいるのか?」
「安心してくれ」
俊平は青色の服のポケットに手を突っ込み、鍵に付けた銀のキーホルダーを人差し指に引っ掛けて取り出した。それを鬱陶しく指先でくるくると回してみせる。
「運転するのは僕さ。ファーストクラスに勝るほど快適に、僕たちのアジトに君を送り届けよう」