看破する瞳③
「……は?」
駐車場を出入りする車を眺めながら、鏡花が突飛なことをいった。耳を疑ったが、どうも聞き間違いではないらしい。
ルームミラーに映る顔を窺うと、彼女は優しげな微笑みを浮かべていた。いったい何を伝えたいのか。
「昨日初めて会った人間にいう言葉じゃないだろ。どういうつもりだ?」
「純粋にそう思っただけですよ。私は上倉くんが好きで、尊敬できる人だと思ったんです」
まったく説明になっていない。呆れてため息が漏れた。
「そうだな。お前は、そういう性格だったな。俺を高評価してくれるのは嬉しいが、理由がわからん。同情や侮蔑をされども、賞賛されるような話はしてないだろ」
「だって、上倉くんは九条さんを助けようとしてるんですよね?」
「なに……」
まるで俺から直接聞いたように平然といわれたが、彼女にそんな話をした覚えはない。ないはずだ。
フリーフロムを裏切った真意については、彼女だけでなく誰にも教えていない。話すことがあるとしても、全て終わったあとにしようと考えていた。
それを、秘匿していたはずの想いを、彼女に見抜かれていた?
混乱する俺の心境など知らず、鏡花は何でもないふうに言葉を続ける。
「助けたい人のために行動を起こせる上倉くんの勇気を、私は尊敬します。実は昨日初めて会ったときから、そういった事情があるんじゃないかって思ってたんです。上倉くんの瞳は、やましいことなど考えていない、正しい輝きを秘めてましたから」
またも助手席から振り返って、鏡花はにこやかに俺を見る。
ルームミラーにひどく動揺した顔が映っていた。頭が真っ白になって、何も返答することができない。
黙って鏡花の顔を見つめ返していると、彼女は人差し指を顎に当てて首を傾げた。
「でも、どうしてフリーフロムを裏切って私たちの組織に入る必要があったんでしょう? 裏切るにしても、九条さんを置いてく理由がわかりません。一緒にAMYサービスに入れば、それで解決するように思いますけど、違うのかな?」
心の底から不思議に思っているらしく、解答を求める瞳に見つめられる。
俺がAMYサービスに寝返った理由を看破した鏡花ならば、直接教えずとも答えに至る。そんな彼女に嘘をいったところで、どれほどの意味があるだろう。
「いいや、違う。九条千奈美は敵だ」と、そう伝えたとして、信じてもらえないだろうし、信じてもらっても困る。
――馬鹿馬鹿しい。
隠せなかったのは俺の手落ちだ。知られてしまったのなら、策を練り直すしかない。
ごまかすのは諦めた。椅子の背に深くもたれて、彼女から目を逸らした。
「……組織を抜け出すだけでは何も解決しない。俺はともかく、鏡花と同じ宝典魔術師の千奈美が抜ければ、奴らは一旦身を隠すだろう。それでは、奴らが一人でも生きている間、俺たちはいつ来るかわからない襲撃に心休まらない日々を送ることになる。そんなものが解放か? だが、俺一人で裏切れば奴らは潰しにかかってくる。その相手が治安維持組織だと知れば、総力を投入した計画を立てるはずだ。自分たちに目をつけている者を抹殺して、身の安全をより強固にしようと考える」
「組織を壊滅させてから、千奈美さんに説明するつもりなんですね?」
「そのためにAMYサービスに加えさせてもらった、というわけだ」
白状すると、鏡花は僅かに眉根を寄せた。
「もしも九条さんが説得に応じず、上倉くんを信じてくれなかったらどうするんですか?」
鋭い質問だった。暢気な性格のくせに、妙に察しの良い奴だ。
それこそ、この計画の抱える欠陥だった。
確かに、フリーフロムを壊滅させたとして、最後に千奈美を説得できなければ全て破綻する。考え得る限り最悪の事態と言っても過言ではない。
選びたくはないが、千奈美が俺を信用してくれなかった際の対策も考えてある。何年も悩み続けて、その果てに導き出した答えだ。
もしも彼女が説得に応じず、フリーフロム壊滅後も敵として俺の前に立つならば、
「そのときは――」
回答しようとした瞬間、運転席のドアが開いた。
食欲をそそる匂いを振り撒く紙袋を両手に持った俊平が、座席についてドアを閉めた。
「どうやら敵は現れていないみたいだね。ん? ふたりはどうして向かい合っているのかな? 相談が必要なら僕も共有しておきたいね」
「違うの唐沢くん。上倉くんの話がとても楽しくて、つい聞き入っちゃってたんです」
動揺も晒さず、鏡花は何食わぬ顔でごまかしてくれた。
「上倉が? それは残念だね。僕もその楽しい話とやらを聴きたかった。一応訊くけど、異状は発生していないんだね?」
「そうだな。どいつもこいつも平凡な顔をした連中ばかりだ」
「嘆くことではないさ。でも確かに、僕たちにとっては芳しくないね。日中のピークは過ぎたから、次に現れる可能性が高いのは夜か。目立ちたくないなら、人の多い時間帯を選ぶだろうからね。長い任務になりそうだ。焦っても仕方ない。まずは冷めないうちに、昼食を食べるとしよう」
俊平は紙袋から取り出した紙コップにストローを刺すと、それを俺に手渡した。
受け取ってボトルホルダーに置くと、次は丸まった包みを差し出してきた。手にとって表面に印字された文字に目を落とすと、〝フィッシュバーガー〟と書かれている。何を買ってくるかは任せたが、俺の好物が魚だと判断しての選択だろう。
〝ハンバーガー〟の包みを受け取る鏡花を少し羨ましく思いつつ、身から出た錆と諦めて包装紙を広げた。
一口目を頬張ろうとしたとき、フロントガラスを横切った車の運転手の顔が目に映り、口元で手を止めた。
広げた包みを投げ捨てるように座席に置き、後部座席のドアを開けて飛び出す。
車体から頭だけを出して、目標車両の動向を視線で追尾した。
獲物は駐車場の隅にあった空きスペースで停車した。運転席と助手席のドアが開いて、無地のシャツと作業ズボンを着た男が二人現れる。
ふたりとも、俺の知っている顔だった。
車内に戻ると、鏡花と俊平が包み紙片手に俺を見ていた。
「天谷悠司の読みどおりだな。買い出し役の男たちだ」
報告した途端、車内の空気が切り替わったのを肌で感じた。
 




