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利用するために④

「千奈美、勘違いするな。俺は、俺の意志でお前を裏切った。囮としてアジトに残されて、生き延びるためには敵の軍門に降るしかないと判断したんだ。ボスがそうであるように、俺も自分の命が惜しいからな。手段は選べなかった」

「そんな……冗談やめて。こんなときに、笑えないよ」

「誰が冗談をいった? 俺はそんな戯言を口にしていない」

「じゃあ慧は、あたしを置いて一人で裏切ったってこと? あたしに黙って、一人だけで」

「だからそういっている。お前には話したことがあったかもしれないが、俺は昔から裏切る機会を狙っていた。ボスから囮の役目を命じられたとき、今日が行動を起こす絶好の機会だと判断したわけだ。だから、一人になれるタイミングを待って寝返った。できればお前にバレるのは避けたかったが、ここへ来てしまったのなら仕方ない」


 誤解の余地がないよう、きっぱりと説明してやった。

 千奈美の両腕が、だらりと両脇に垂れた。彼女の宝典は支えを失ったように、ゆらゆらと虚空を漂う。

 千奈美の生気の失われた瞳に、AMYサービスの制服を着た俺の全身が映っていた。


「約束……」


 指先で触れるだけで崩れてしまいそうな脆さで、彼女は悄然と呟いた。

 一旦言葉が途切れて、しばしの間を置いて続きが紡がれる。


「約束、したのに……私に約束してくれたのにっ! 慧、忘れちゃった? 私からじゃない。慧が私に約束してくれたんだよ? 八年前に!」


 その一言は、悲痛な声色と相まって俺をひどく苦しめた。。

 しかし、同時に嬉しくもなった。


 ――覚えていてくれたのか。


 俺が大事にしてきたものを、彼女もまた大切に忘れないでいてくれた。

 当時はお互い十歳の子供で、誓約の意味すらも曖昧だった。約束は守るべきもので、守られるべきもの。そんな程度の認識で、どうして守らないといけないのか、なぜ破ってはいけないのか。そういった細かい点には目もくれなかった。誰かが聞いていたら、きっと半年も経たずに忘れて、せいぜい数年後にふと思い出して感傷に浸れれば上出来だとでも思ったことだろう。

 忘れて当然。覚えてくれているだけでも望外の喜びだ。

 それなのに、彼女は覚えているだけでなく、昔と変わらずに期待してくれていた。

 同じだった。

 俺もまた、幼い彼女と交わした約束を今日まで一日たりとも忘れたことはない。

 そのことをすぐにでも伝えたい。きっと彼女は喜んでくれる。

 ……だが、


「そんな昔の話、覚えてるわけがないだろ。わけのわからんことをいうな」


 約束を果たすためにも、彼女にそれを知られるわけにはいかなかった。


「忘れたって、私との約束を? 本当に、忘れちゃったっていうの……?」


 千奈美に流れる時間が、周りの空気ごと停止した。結ばれた淡い色の唇が、絶えず動揺に震えている。

 悲哀に襲われる彼女を見るのはつらかった。その悲しみを与えているのが自分であることを考えると、すぐにでも真実を伝えたい衝動に駆られた。

 奥歯を噛み締めて、痛む胸を緊縛して、湧き上がる欲望を必死に抑える。

 器用なやり方じゃないのは自覚している。もっと賢い方法があるのなら、迷わずそちらに飛びつきたい。

 けれどもこの八年間、どれほど頭を捻っても、より適した方法は思いつけなかった。

 だから、目的を遂げるにはこの方法しかない。

 彼女を確実に救うため、彼女に対するすべての想いを偽って、彼女の敵を演じるしかなかった。


「上倉くん」


 呼ばれて振り返ると、玄関から鏡花が近寄ってきていた。服装は先ほどの寝間着ではなく、AMYサービスの制服に着替えている。鏡花の後ろには、俊平も立っていた。

 鏡花はその手に、初めて会ったときに見せた薙刀ではなく、俺の愛用している大刀を手にしていた。わざわざ俺の自室から持ってきたのだろう。彼女は両手でそれを俺に差し出す。

 無言で受け取り、左手で鞘を掴み、右手で柄を握って素早く刀身を引き抜く。鈍く煌いた刃で、絶望に打ちのめされた千奈美の喉元を捉えた。

 心中で叫ぶ激しい抵抗を黙らせて、眼球には虚偽の殺意を宿して千奈美を見据えた。


「話は終わりだ。ここからは、お前の命を懸けてもらう」

「っ!」


 俯いていた顔をあげ、千奈美が俺を凝視した。彼女の口は半開きのまま、拳銃を持った手が小刻みに震えている。

 視界の端で、琴乃に倒された敵が起き上がった。片方は早々に門を出て行って、もう片方も千奈美に何事かを耳打ちすると、邸宅の庭から足早に逃げていった。

 千奈美は唇を閉じて、瞼をおろして瞳を隠す。

 次に目を開けたとき、彼女の瞳からは当惑の色が失せていた。

 迷いのなくなった眼差しが、俺の左右に並ぶ鏡花、琴乃、俊平を順番に眺める。

 最後に俺を見据える頃には、寸前までの手の震えは完全に治まっていた。

 俺だけを映す千奈美の瞳には、再会した直後の歓喜も、裏切りを知った悲哀もなく、誰の目にも明瞭な深い怨嗟の念が、暗く濁った眼光を生み出していた。


「わかった。そういうことなら、慧、お前は私の敵だ」

「消えるならさっさと消えろ。どうせ数日の命だ。ボスに伝えておけ。お前たちは、必ずこの俺が潰す――」


 喋っている最中に、金色の閃光が頬を掠める。

 向けられた銃口から、微かな白煙が夜空に立ち上っていた。

 一発だけ銃弾を放って、千奈美は髪を振り乱して邸宅の庭から出ていった。

 名状しがたい混沌とした感情に襲われているが、ひとまずはうまく演じることができたように思う。張り詰めていた気持ちを弛緩させて、大きく深呼吸をした。

 隣にいる琴乃も周囲の衛星を夜気に溶かした。まだ青紫の粒子が残っているうちに、彼女は納得がいかない様子で俺を見た。


「なに逃がしちゃってんのよ。どうせなら捕まえるなりすれば良かったのに」

「ここを汚すわけにはいかんからな。宝典魔術師が全力で戦ったら、どれほどの被害が出るかわかったもんじゃない」

「そんな心配してたの? でも、それもそうね。一応ここはあたしたちの家だもの。アンタも結構わかってきたじゃないっ!」

「琴乃に褒められるのは初めてだな」

「ふふんっ、光栄に思うことねっ! にしてもあの女、アンタと親しそうにしてたけど、その……なんというか、あんなふうにあしらってよかったの?」


 意外にも、琴乃は遠慮がちに言葉を選んだ。てっきり千奈美を絶対悪とでも認定して好き放題に罵倒するのかと思っていたが、どうも誤解だったらしい。

 濁しているが、要は俺と彼女の関係について知りたがっているのだろう。

 そばにいた鏡花と俊平を一瞥すると、ふたりとも琴乃と同じ疑問を抱えているのか、興味深そうにこちらの会話に耳を傾けていた。


 ――ここで、本音を話しておくべきか。


 AMYサービスの戦力を利用するためには、どちらのほうが都合が良いだろうか。

 迷った末、誰とも視線を合わさずに口を開いた。


「……良いも悪いもない。これは俺の選んだ道だ。行く手を阻むなら、どのような障害であれど排除する。それだけだ」


 決然と告げた言葉。反応は誰からも返ってこない。

 束の間の緊張から解放された庭に、穏やかな夜が戻ってくる。

 見上げれば、静寂をもたらす空に世界を照らす星と月の姿はなかった。

 底の見えない井戸にも似た暗闇が、天高くどこまでも広がっていた。

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