第一章 火縄銃の撃ち方、教えます -2-
放課後。
そろそろ部活動を決めなきゃと、私は壁中に部員勧誘ポスターが貼り出された渡り廊下をつらつら眺めながら歩いていた。
校門周辺では、各部の広報部隊が新入部員獲得合戦を激しく展開していた。あんなとこ行ったら運動神経皆無にして気弱な自分が、三年間補欠確定の運動部に入らされるという暗黒の未来しか見えないので、時間潰しも兼ねての物見遊山でござる。
「……火縄銃」
足がピタリと止まる。私の視線の先には、他の部員勧誘ポスターとは趣の異なるA2の大判写真ポスターが貼られていた。
それは今度の日曜日に開催される、寄居の『北條まつり』のポスターだった。
河越夜戦で上杉・足利連合軍に勝利し、武蔵国を制圧した北条氏の北関東支配の拠点、鉢形城。豊臣秀吉の小田原征伐の際は、北条氏康の四男・氏邦が篭城し、前田利家・上杉景勝率いる豊臣軍と激戦を繰り広げた。その歴史絵巻を再現したのが北條まつりだ。
埼玉県民として、県内のこの手の歴史はだいたい押さえてるし、北條まつりもちっちゃい頃に家族で見物に行ったことがある。
戦国時代は語りたくないだけで、知識がないわけじゃあない。
ただ、なんで高校の部員勧誘ポスターの並びに、地元でやるわけでもない祭りのポスターが貼られているのかがわからない。
「……あ、そっか」
このポスターが気になったもうひとつの理由がわかった。
ポスターの中央には、凛々しい若武者姿で火縄銃を構えた女性の写真がどーん! とレイアウトされているけれど、その人の顔つきが都落ちモデルさんに似てるんだ。
脇を見ると、祭りのポスターに添えられるように、「古式砲術発達史研究会」と書かれたA4コピー紙が貼られていた。「史」ってあるんだから、歴史系のサークルだろう。
歴史系サークル、なければ文芸部を探していた私としては、偶然ながらようやく目的ジャンルを見つけたわけではある。が。
名前からしていくらなんでもニッチすぎるでしょ。
実際、「古式砲術発達史研究会」に関心を示す高校生なんているわけがなく、他の部員勧誘ポスターを眺めている生徒は何人かいても、北條まつりのポスターの前で足を止めているのは私だけだ。
それに、あろうことか「火縄銃」と来た。
私の戦国時代嫌いの元凶――。
というわけで、「古式砲術発達史研究会」のコピー紙の中身を読むこともなく、その場を後にしようと身体の向きを変えたその時。
「もしかして、戦国時代とかに興味ある人?」
目の前に立っていた人から声をかけられた。
それが武術的に言えば、相手との間合いの取り方の妙たる「敵より遠く、我より近い」位置だということを、ずいぶん後になってからその人に教えてもらった。
でもその時は、いつものように人にぶつかりそうになったから、ごめんなさいしようとして相手を見たところ、「あっ!?」と叫ぶことになっただけだった。
そこにいたのは都落ちモデルさん……と一瞬思いきや、よく見れば北條まつりのポスターに武者姿で写ってた人だんべ!
しかしまぁ、実物はなおさら都落ちモデルさんによく似とるわ。
いわゆる、清楚系黒髪美人。涙袋が彼女より小さいから、目元はすっきりした印象。
同系統の顔を、癒し系に振ると都落ちモデルさんになって、おすまし顔にさせるとこの人になるイメージかな。
「それとも北條まつりの地元の人とか?」
その人はあくまで笑顔で、でも目は私を値踏みしているのがわかる。
「ええと……。北條まつりはちっちゃいころに行ったことがある程度で……」
「それじゃあやっぱり、戦国時代全般が好きな人?」
「戦国時代は苦手で……源平と幕末が専門なんですけど……」
「幕末か! 銃砲史的にも面白い時代だな! 火縄銃から燧石式銃、雷管式銃まで入り交じるあのカオスさは、世界的に見てもあそこしかないからな!」
「げ……げべーるじゅう?」
いきなり喰いつかれた上、専門的な話をまくしたてられて、目を白黒させてしまう。
わりと落ち着いた雰囲気を漂わせているけれど、この人けっこうお喋りだ。
「幕末はむしろ、天然理心流と示現流の戦いが熱いかなと……」
よせばいいのに、自分の土俵で勝負しようと水を向けてしまった。
「ほう、古流剣術にも詳しいのか! 天然理心流と示現流の戦いといえば、近藤勇の『示現流の初太刀は外せ!』というやつだな!?」
「あっそうです! より詳しく言うと、あれは薬丸自顕流に対しての言葉で……」
ああ、この打てば響くような心地良さ! 思わず身体が前のめりになるわ!
私の歴史ガチオタトークについてこられる女子はこれまで周囲にはいなかった。
中学時代の新選組好きという友達も、ゲームやコミックでイケメン化された新選組キャラが好きなのであって、本気で幕末を勉強しようとまではしてくれなかった。
ところがこの人は、私が振る話題に完全に対応してくるどころか、私以上に歴史全般に詳しそうな雰囲気を漂わせている。
人見知りの強い私にしては珍しく、幕末を語り合いたい欲求が勝ってもう一歩前に出ようとした刹那。
「そうそう。申し遅れたが、私は火縄銃同好会の者だ」
「……え?」
私の動きが止まったところに間髪入れず、その人は畳み掛けるようにチラシを差し出しながら、高校の部活動としてはおよそ聞いたことのない名前の会について説明を始めた。
さすがは秘境・秩父。マタギの伝統とかで、きっと火縄銃も身近なものなんだろう。
「正式には古式砲術発達史研究会というのだがな。このチラシに部室の場所などが書いてあるから。そうだ、もしも時間があるなら、今から部室に来てみないか? 幕末の話をもっとしようじゃないか!」
しかし、先ほどまで熱を帯びていた私のテンションは、急激に冷めていった。
「どうかしたのか?」
私の様子を訝しんだその人が、顔色を伺うように聞いてくる。
「いえ、火縄銃にはいやな想い出があって……」
私が北條まつりのポスターに目を向けた最大の理由、それこそは自分にとってトラウマである「火縄銃」が写っていたことだった。
火縄銃同好会なんて言語道断も甚だしい。
ところがこの人にとって、その言葉は私をひやかしから標的に変える引き金となった。
「火縄銃に想い出があるのか!? 差し支えなければ、ぜひとも聞かせてくれないか!?」
そりゃそうだ。
そもそも普通の女子高生は、火縄銃の存在自体を知らない。
それが「いやな想い出」を持つということは、過去に火縄銃との関わりがあったわけだから、火縄銃同好会としてはそこに喰いつかないわけがない。
圧倒的な熱意に中てられて、私は普段ならば絶対に明かさない火縄銃の想い出を、誘いを断ち切るつもりで口にした。
「私、火縄銃に撃たれたことがあるんです」
もちろん死ななかったから今ここにいるわけだけど、あれ以来火縄銃と聞くだけで、あの時の痛みや恐怖が甦ってきて、火縄銃が活躍する戦国時代にも苦手意識を抱くようになってしまったのだ。
どうだ、この私の人生最大の事件の告白は!? さぞかし肝を冷やしたんべ!?
と思いきや、この人は小野派一刀流の切落の如き正面突破で踏み込んできた!
「その話、ぜひ詳しく聞かせてくれ!!」
もはや完全に捕食者と化したこの人が、じりじりと壁に追い詰めてくる。
身の危険を感じた私は、ただもうここから逃げ出したかった。
「ごっごめんなさいっ! 今日は用事があるので失礼しましゅ!!」
若干噛んでしまったことに赤面しつつ、緊張すると手と足が一緒に出てしまう独特の走法で五〇メートル一〇秒を誇る私は、足をもつれさせつつも十五年の人生で三本の指に入るスタートダッシュを決め、廊下をドタドタと疾駆していった。
その人は一瞬驚いた顔を見せたものの、その後は捕まえようと思えば余裕で捕まえられる全力疾走に頬を緩め、さらには私の必死の形相を見て、追うのを諦めてくれたようだ。
それでもせっかくの獲物を逃がしたことにはしょんぼりしていたらしい……。