序章 雨天 -2-
伝令を受けて、烏帽子、甲冑に陣羽織といういでたちのうら若き乙女が本部テント前に現れた。
長篠流砲術宗家・設楽環。
この一年、長篠流砲術隊を率いて全国の時代まつりを飛び回り、鉄砲隊ブームを巻き起こした最大の功労者である。
その彼女の面前に座っている紋付き袴姿の三人は、種子島流砲術宗家・種子島時葉、井上流砲術宗家・井上記子、稲富流砲術宗家・稲富夢路という古式砲術界の三巨頭だ。
種子島流は、一五四三年にポルトガル人からもたらされた鉄砲伝来で有名な、日本の火縄銃発祥の地・種子島に伝わる流派である。出羽米沢の上杉家でも、鉄砲重視策を進めていた直江兼続の尽力によって流行するなど、日本最古の伝統と格式を誇る。宗家の時葉も鉄砲伝来時の島主にして、「百発百中一つも失する者無し」と南浦文之の『鉄炮記』にも記された銃豪・種子島時堯の正統を継ぐ種子島家の現当主で、まさに日本の砲術界における最高位の家元といえる。
井上流は、徳川三代将軍家光の下で江戸幕府鉄砲方を務めた、播磨出身の井上外記が創始した流派である。鉄砲玉の秘伝書として現存する『御伝授玉』や『玉込様秘伝書』を見ると、弾丸の工夫に特色のある流儀といえよう。また井上家に伝わる古式銃コレクションは世界最大と言われ、全日本銃砲史学会常務理事でもある現当主・井上記子は古式銃や伝書の鑑定の最高権威として、TV番組出演や海外の競売会社からの鑑定依頼も多い。
稲富流は戦国時代に鉄砲第一人者といわれた砲術家・稲富一夢が創始した流派で、現在も時代まつりの本場である東海・近畿地方に多数の門人を持つ一大勢力だ。そして稲富一門の総帥たる稲富夢路は、前装銃の射撃技術を競う国際大会の銃器委員(火縄銃部門)を務め、自身も世界選手権の元メダリストという、日本を代表する火縄銃の名手だった。
これらの素性により、「位は種子島、力は井上、技は稲富」と称され、日本の古武道界全体からも一目置かれる存在となっていた。
そんな名流派の現宗家が三家とも女性なのは、戦争で本家筋の男性がほとんどいなくなってしまったためである。
もっともそのおかげで、三人とも若い頃は美貌の武道家としてマスコミにも持て囃され、齢七十を数える今では老いが凄味となって、相対する者を威圧する。
大の男でも腰が引ける三女傑の前で、設楽環は左脚を立て、右脚は正坐で座る建膝で、揃えた右手の指先を地面に着ける貴人礼を取った。
だが、その背中から立ち昇るは殺気。
戦国の敵将どうしの対面のような、隙あらば斬りかからんと前差しを手挟んで臨む真剣勝負の場であった。
「設楽先生。事情が事情どすさかい、率直な意見をお聞かせもらえやしまへんやろか」
千葉氏から順序変更の提案がなされた後、稲富夢路がはんなりとした京ことばで、設楽環に水を向ける。
稲富師は若い頃はかわいらしいタイプの美人で、今もやわらかな物腰を維持しており、極度に張りつめた場の緊張感を解すべく、穏やかな空気を放っていた。
そして上京区の細川邸跡に住む京都人でありながら、五十も年下の小娘に、あくまでも砲術宗家という同格としての姿勢で臨むような人物でもあった。
「花山鉄砲隊を先にしていただいて構いません。ただし、雨が酷くならないようであれば、大トリは当流にお任せ願いたい」
時間も差し迫っていたため、設楽環は提案を即座に受け入れた上で、ひとつの要求も提示した。
時代まつりの盛り上げ役を担ってきた者として、状況は察しているし、花山鉄砲サミットで花山鉄砲隊を出さないわけにはいかない事情にも同意できる。
だが、自分たちが今日この会場において、観客に一番求められている存在であることも自認しており、その答えが出演順の交換だった。
ますます強くなる雨脚を見て、どうせ花山鉄砲隊で終わると判断した種子島師がその提案を受け入れたため、出演順の変更は関係各所にただちに伝えられ、川越鉄砲隊の演武が終わったところで来場者全員に場内放送で通達された。
見物客の間でも、仕方がないという理解の声と、雨の中を待ち続けてようやく次の出番となるはずだった噂の女子高生鉄砲隊を観に来たのに、ここまで来てふざけるなという怒声が入り交じり、会場内が一時騒然となる。
設楽環は川越鉄砲隊の次の出番に備えて待機場所にいた長篠流砲術隊のもとへ大急ぎで戻ると、ただちに説明を始めた。
「次の我々の演武は飛ばされ、花山鉄砲隊がやることになった。この雨では先がわからないからな。とにかくメインだけは済ませてしまおうというわけだ」
昨日から泊りがけで宮城県に来て、朝からこの時間まで甲冑姿で待機していたのに、自分たちだけ出番なしかと、隊員の少女たちの全身にどっと疲れが押し寄せる。
「相変わらず時葉御前は、当流をお気に召さないらしい」
以前から折り合いが悪い種子島時葉と長篠流砲術隊の関係を鑑み、設楽環が皮肉を口にする。
「それでは、我々はこれで撤収ですか?」
隊を代表して、副長の内陽菜がみんなの不安を設楽環に問う。
「いや、稲富先生のお力添えもあって、花山鉄砲隊の後の大トリを任せてもらえることになった。ただし、これ以上雨が強くなった場合は、花山までで終わりとなる」
すべては天次第。
かつてない大観衆に囲まれ、ここで演武をするのかと怖気づいていた朝方の不安は消し飛び、今はなんとしても演武をやり遂げたいと、全員の士気が一気に高まる。
「当流は今や、時代まつりでの砲術演武にかけては最も場数を踏んでいる鉄砲隊だ。観客を沸かせるという一点において、当流は堂々と日本一を掲げてよい。伝書の技を復元する執念が、受け継ぐだけの古流に劣ると誰が決めた!? 流儀名のみを重んじ、実態を吟味しようともせず、“おまつり鉄砲隊”と嘲笑した骨董品に我らの力、見せつけてやるぞ!!」
設楽環の檄に中てられて、少女たちが戦国武者の顔になる。
「運良く出番があっても、我々の演武時間は三分もないかもしれない。基本の型はナシだ。風林火山を一気に畳みかける!」
普段の演武では、基本七箇条の型に始まり、各種射撃型を披露して、最後の盛り上げ用に長篠流砲術の集団射撃術“戦場銃陣法風林火山之形”から二つ程度の型を行っている。
今回は風林火山の四つの型だけを、立て続けにやろうというのだ。
「井上砲士、山崩の三段目を任せる。信玄砲を使え」
一年生の井上まつりが、設楽環から指名を受ける。
鉄砲サミットの大トリを飾る長篠流砲術の演武で、最後に披露する三段撃ちの型“山崩”の決めの一発を任されたことにより、井上まつりのアドレナリンは一気に沸騰した。
井上まつりが愛用の国友筒を銃架に置き、筒袋から信玄砲を引き抜く。
大会本部テントから長篠流砲術隊の様子を伺っていた井上流砲術宗家・井上記子が、信玄砲を見て、隣の稲富夢路にそっと耳打ちをした。
「夢さん、もしかしたら人死にが出るかもしれない。あたしが合図したら、頼むね」
稲富夢路が瞬きで了承する。
不穏な空気が漂う花山鉄砲サミット。その半年前に時間は遡る――。