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少女の秘密とロビンのうさぎ  作者: 一里 郷
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終話

 上映が終了し明るくなってから、千春は修二を揺り起した。

 青年はあくびを一つして目を擦り、残った眠気を払うように頭をぶんぶんと振る。

「ああ……いけないな。深夜のバイトは入れすぎるものじゃない」

 随分と俗っぽい愚痴を聞いた気がする。

 それ以外、小劇場を出るまで二人は無言だった。映画が始まる前の沈黙とは、少しだけ空気の違う沈黙だった。甘くはないが気まずくもない。

 外の、人気のない商店街には、切れかけの街灯だけがちかちかと光る。風は冷たい中にも微かに温もりを持って春の主張をしている。

「送っていこうか」

 ぽつりと修二が言う。

「こんな夜だから、女の子一人じゃ危ない」

 千春は修二の方を見ずに、数歩先にゆっくりと歩いた。

「大丈夫ですよ。私、これくらいの時間にならよく帰りますから」

「……でも、危ないから」

「一度送ってくれたら、次からもずっと送ってもらいたくなっちゃいます」

「……」

 少し戸惑っているような空気が背中越しに伝わってくる。まだだ、これからが本題なのだ。

「藤沢さんも、映画好きなんですね。でなきゃこんなところの映画館まで来ませんもんね」

「……うん。そうだよ。ここには、年の始めくらいに来たんだ。君は隠していたんだね」

「はい。とっておきのものは、誰にも内緒にしておきたかったんです」

「……」

「映画は、詳しいんですか?」

「それなりに。今日やってたロビン・フェローも、処女作から知ってる」

「……じゃあ、あのウサギはやっぱり『Candy Cane』のウサギだったんですね」

「うん。知ってる人なら分かるアイテムだし、知らない人にも受け入れやすいものだから、布教を兼ねて高校のときに作ったんだ」

「……」

「この町にはロビンをやってる箱は無いと思ってたから、ただの不出来なアクセサリに成り下がってしまったけどね」

「そんなこと、ありませんよ。あれは私の宝物になりました」

 千春は大きく深呼吸をして修二の方を振り向いた。

「初めて、好きな人から貰ったものですから」

 青年の目が驚きで丸くなるのが見える。

 振られてしまったら仕方ない。元々勝ち目の少ない勝負だ。

 でも、こんなにみんなが背中を押してくれたのだ。常連たちが今日をセッティングしてくれたのもきっと偶然では無い。上映中の不思議な出来事、あれはもしかしたら自分の夢か無意識の集合体だったかも知れないけれど、それなら自分は、今日言わなければならないと思ったのだ。今までの停滞を振り払って、今日こそ飛び込まなくてはならないのだと。

 言い聞かせる間にも自分の顔がみるみる熱くなっていくのが分かる。早く返事を貰えなければ卒倒してしまいそうだ。

「だから、お願いします」

 震える手を修二の方に伸ばす。

(ああ、飛び込んでしまった)

 永遠にも思える一瞬が、春風とともに流れ過ぎていく。つい目を閉じてしまったのは怖かったからだ。耳は激しく打つ鼓動の音が塞いでくれたから、目さえ瞑ってしまえばどんな答えも知らなくて済む。そんな無駄な抵抗。最後の足掻き。

「君は……」

 心臓の音越しに修二の声が聞こえた。何を言ったのだろうと思った瞬間、差し出した掌が温もりに包まれる。

 飛び上がるようにして目を開けると、彼が千春の手を取っていた。

「ここで手を取らなかったら、君は風邪を引くまでここから動けないんだろうね」

「……え……」

「でも、本当に良いの」

「何がです」

「僕なんかで、君は良いの」

「藤沢さんでないと駄目です。他の人のことなんて考えられません」

「僕、変な古いものが好きな、そういう趣味の人だよ」

「知ってます」

「イケメンでもないよ」

「分かってます」

「即答はちょっと傷つく」

「あ、ええと……ごめんなさい」

 もっと他に言い様があったろうと落ち込むより先に、千春の口から鳥のように言葉が出ていく。

「でも、藤沢さんと一緒に居るのが、私とても楽しいです。ちょっと天然なところも、よく分からないものに夢中なところも、色んなことを知ってるところも、それにそれに、ただ立ってるだけで空気が透明で涼しくなるような、そんなところも、全部まとめた藤沢さんが好きです。初めて会った時からずっと」

 まくしたてる少女の勢いに青年はただただ驚いているようだった。

 千春の言葉の響きが夜に溶けてから一拍おいて、修二は小さく頷いた。

「分かった。ありがとう。正直、こんな可愛い子に告白されるなんて思ってなかった」

「……」

「僕は自分で思っているより鈍かったんだな」

 それから短い沈黙。まだ片手は繋がっている。

 続きの言葉を期待して、千春の鼓動は子猫のように早まっていく。

(あの、私……)

「これでは一緒に歩くの不便だね」

 突然、修二が握手状態になった手を持ち替えた。すると少女の体は、まるでそこが定位置のように青年の隣にすぽりと収まってしまう。

 ぽうん、と心臓がはちきれそうに大きく鼓動を打った。

「あ、あの」

「何」

「これ、良いんですか?」

「君にとって悪いことが無いなら」

「いや、そうじゃなくて、藤沢さんの気持ちとか」

 青年はふーっと少し長い息を吐いて、空を見上げた。細面の顔のラインを切れかけた蛍光灯の光が縁取る。

「僕の気持ちはさっき言った。こんな可愛い子に告白されるなんて思わなかった、って。僕は、そういうのに積極的じゃないし、冴えない男だし、趣味もあんな古いもの巡りとマニアックな映画だし、本ばかり読んでた。女の子には魅力的じゃないって、そう思ってた……だから……」

 深呼吸を一つして、修二は狼狽する千春に真顔を向けた。 

「つまり、嬉しい」

 頭がくらくらする。春先の冷たい空気も気にならないくらい体中が火照っていた。きっと湯気が出ているに違いない。それがピンク色をしていたって千春は驚かない。

 こんな素敵なこと、映画でしか起こらないと思っていたのに、映画のヒロインはみんなこんな気持ちなのだろうか。思考の八割を占めるのは混乱。だけど心と体はぷわぷわと空を飛びたがるハート型の風船でいっぱいだ。

 これを幸せと呼ばないのなら、一体何と表すのだろう。

 傍らの混乱と幸せをよそに青年はふうっと空に白い息を吐いて、棒立ちのままの少女に笑いかける。

「家まで送るよ。次からは、ちゃんと話そう」

「次……次は、何を話しましょう」

「勿論、お互いの趣味の話を」

 千春は真っ赤になった顔を修二に向けて、こくりと一つ頷いた。


 人気のない夜のシャッター通り。寂れた小さな映画館を背に、寄り添う二つの影が遠ざかる。

 これはハッピーエンドだろうか。それともプロローグだろうか。

 今はまだ誰にも分からない。

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