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少女の秘密とロビンのうさぎ  作者: 一里 郷
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第3話

「これ、ここ暫くのお礼」

 青年が少女の掌にブローチを落としていったのは、ある日の別れ際。夕日が二人の影を水あめのように細く長く伸ばしている真っ最中。

 ころりと転がったその図案を見て、千春は目を疑った。

 真鍮の枠に白い陶器のウサギが嵌め込まれた、少し歪んだ手作り感の溢れるブローチ。ウサギは黒いシルクハットとネクタイで、可愛らしい赤と白のステッキが添えてある。

(これって『Candy Cane』の白ウサギ……に見えるけど)

「……あの、これ」

「だから、お礼。アンティークってほど古くないけど、ブローチは綺麗で良いって言ってたし、ウサギは若い女の子が好きだと思って」

「あ、そうですね。可愛いウサギです。でもお礼なんて」

「気持ちだから、取っておいてよ」

 仄かな笑顔を残し彼は駅前の人混みへと歩み去る。

 千春はそれを見送る余裕も無いままで、茫然と手の中のブローチを見下ろした。

(これは偶然なんだろうか)

 ロビン・フェローの初期作『Candy Cane』。案内役はシルクハットにモーニングコート、ネクタイを締め、タイトルにもあるキャンディケーンのステッキを持った白ウサギ。

 確かに女の子のプレゼントグッズとしてこういった可愛らしい小動物は常識的だ。このブローチの図案だけなら実は不思議の国の時計ウサギなのだとしてもおかしくはないが、千春には『Candy Cane』のウサギにしか見えなかった。

 だが修二は千春がロビンのファンであることを知らない。偶然にしても出来すぎている。

 まるで夢が滲み出て来たようなおかしな感覚。

「この出会いは偶然なんかじゃないんだ」

 いつぞやの夢か幻かで聞いた『Moon Jelly』の少年の言葉が蘇る。偶然でないなら何だ。必然か。運命か。

 それともただの夢なのか。

(もしかして私、ずっと夢を見てるんじゃないかな。だっておかしいもの。藤沢さんがずっと私といてくれたり、ポスターの水が溢れてきたり)

 考えは飛躍してしまっているけれど、現実感が無いのは本当だ。自分の気持ちすら雲を掴むようなのに。

(夢なら、どこからが夢だったんだろう)

 ブローチを握って布団の中に潜り込む。丸まった耳にいつもより早い自分の鼓動が聞こえている。

 その日は夢を見なかった。


 明けて翌日、久し振りに行った小劇場で上映していたのは、奇しくも件の『Candy Cane』だった。

 お菓子の国と、それにまつわる物語。件の白ウサギは見た目こそ服を着た可愛い普通のウサギなのだが、謎かけのような皮肉な言い回しといい危険なところからは逸早く姿を晦ます逃げ足の速さといい、性格や行動面の可愛さは皆無と言って良い。それでいて映画のポスターではど真ん中に陣取り気取ったポーズをしているのだ。実際作中の存在感は随一で、物語の大半は彼が引っ掻き回した結果だと言っても間違いはない。

 作品としては初期作のためか今と比べて荒削りである。先述のウサギが目立ち過ぎているのもその一つだ。しかし後に彼の持ち味になる独特な構図や光と影の使い方、ナンセンスで理不尽なのに最後にはじんと胸を熱くする物語の作り方などは、既に特色は表に出てきている。

 勿論、今でもマイナーな映画監督のこと、公開当時は全くの無名でインディーズ映画のような扱いだったと聞く。

 さて、そんな作品のグッズなど出たのだろうか。

 とてもそうは思えない。存在するとしたらファンか誰かが勝手に作ったものだ。さして複雑な構造では無いし、手先の器用な人なら作れなくもないだろう。

 実は修二はこの映画のファンで、密かにこれを作っていて、更に密かに千春の好みも見抜いていて、それでお礼の名を借りたプレゼントをしてくれたとしたら。

(だったら……良いのにな)

 それは現実感の無いただの妄想。勘違いですらない。

 受付先の階段を上ってすっかり日の暮れた地上に出た。いつの間にか冷たくなった風が頬を撫で、予想以上の寒さにぶるりと一つ身を震わせる。見上げれば漆黒の空から細かな雪片が疎らに舞い降りてくるのが見えた。ふわっと吐いた白い息が一瞬だけ、その空を薄曇りに変えてしまう。

 修二と出会ったときはまだ蝉が煩く鳴いていたのに、もう町には冬が来ていた。


「矢野さんって最近、早く帰っちゃうよね。何かあるの?」

 学校の映画仲間から、唐突にそんな言葉を投げかけられたのは、クリスマスと冬休みを過ぎて少し経った一月の半ば頃のこと。

 いや、唐突というのはおかしい。暫く前から物問いたげな視線を帰宅時の背中に感じていたから。

「たまには映画の話、しようよ。矢野さんマニアックなのよく知ってるから、盛り上がるんだよ」

「……私、そんなに話してたかな」

「そんなには話してないけど、質問したら大体のこと知ってるし、良い映画もすごい知ってるじゃん」

 ねえ、と彼らは顔を見合わせて頷き合う。

 自分などいてもいなくても変わらない程度の立ち位置だと思っていたから、千春は正直驚いた。持っている映画の知識なんてどれも中途半端だし、映画以外のことについてはからっきしだ。

「習い事とか、大事な用があるんなら無理強いは出来ないけどさ、たまには残って欲しいなって」

「うん……」

「あれ、そんなに抜けられない用事なの? もしかして、彼氏でもできた? めくるめく放課後のロマンスかな?」

「え」

「え? もしかして本当なの? それならそうと早く言ってよ、隅に置けないなあ!」

 男女混成の野次馬たちの冷やかしと声援を背に、千春は愛想笑いを残して教室を出た。

 帰宅というか学校を出るのが早いのは、勿論、修二と会うためである。そして彼は当然、まだ彼氏などという甘い単語が当て嵌まる相手ではない。

 彼氏彼女、恋人、放課後のロマンス。銀幕の中でなら幾らでも目にしたストーリー。そしてスクリーンの向こうでなら、紆余曲折はあっても必ず叶うと約束された物語。

(私がヒロインだったら、叶うんだろうな)

 告白をしたら受け入れられるだろう。しなくても彼が気付いてくれるだろう。ただ眠っているだけでも、待っているだけでも、王子様の方から迎えに来てくれるのだ。

 そう、もしも映画の中ならば。

 しかし現実は映画では無い。千春はヒロインでは無く、修二も王子様では無い。だから怖い。

 何もしなければ彼との距離は変わらないけれど、千春は今でも十分に、砂糖菓子の甘さの中にいる。これ以上を望んだら罰が当たってしまうんじゃないかと不安になってしまうくらい。

 だからきっとこのままで良い。

 そう言い聞かせている。


 冬木立に雪がちらつく。

 修二はカーディガンの上からダークグレーのライトダウンを羽織り、チェック柄のマフラーを巻いている。今時珍しく染めていない黒髪と、女性として羨ましくなるほどの白い肌のため、そんな服装だとまるでモノクロ写真のようだ。それが拘りなのかも知れないが冬景色の中では特に保護色のようでもある。

「この間は、ウサギ、ありがとうございました」

 千春も冬服の上からコートにマフラーと着膨れていた。丸まった子ネズミのようなイヤーマフは会話の間、外して鞄に掛けておく。

 道すがら礼を述べると修二は、いいよ、と片手をひらひらと振った。

「いつも案内して貰ってるから。それとも、パフェとか、そっちの方が良かったかな」

「いえ、こっちの方が良かったです。パフェは美味しいですけど今は寒いし、こっちは形に残りますし」

 千春は学校指定の鞄に付けたブローチを指で示して見せる。会うのは放課後だから服はいつも制服でお洒落のしようが無いけれど、こういったワンポイントアピールは無駄では無い筈だ。

「確かに、冬にパフェは寒いね」

 修二の答えは何だか少しずれていた。

 白い息を霧のように吐きながら今日も新しい道を行く。修二の案内をするようになって、ずっとこの町に住んでいるくせに知らない道を沢山発見した。これではもう案内人と言えないけれど、そんなことは隠して知ったかぶりをしている。土地勘があるのは嘘ではないし最初にメモした店もまだ幾つか残っているから、まだ身分詐称にはなっていない筈だ。

 ずっと店巡りに付き合って目線を追っているうちに、修二の好みがだんだんに見えてくる。

 その半分くらいは千春にも理解できる素敵なものだった。

 茨を巻いた古城のヴィネット、とろけたような細工のキャンドルスタンド、羽を広げた妖精のオルゴール、舞台の一場面を描いたらしい飾り枠付きの陶板。和風より洋風、どこかファンタジックでメルヘンチックで、少し歪んだグロテスクにも見えるようなものたち。

 こういうものたちばかりが置いてある店ならきっとロビンの映画に出てくるだろう。それこそ今ここが映画の舞台でもおかしくないくらいだ。

 ただ、残りの半分のブリキの船やロボット人形、金属製のライター、銃器の模型、歯車やパイプやその他正体の分からない箱やら壁掛けやら置物などは、ちょっとハードルが高かった。クエスチョンマークを浮かべている千春に修二は時折説明をくれたが、彼の知識の広さに感嘆して益々惹かれることはあっても、物品の正体や価値についてはちんぷんかんぷんのままだった。

 それに、物の好みは分かっても結局異性の好みは分からない。同じ趣味、同じロビンファンなら好感度が上がるだろうか。でもそれだけではただの同好の士で終わってしまうのでは無いだろうか。

 そもそも告白に至るまでの道に架かる予定の、心の準備という名の橋は、今なお工事中のままである。

 今夜もそんなもやもやのエネルギーを発散するかのように、ベッドの上を枕を抱えてごろごろと転がった。

 頭をくしゃくしゃにして起き上がれば目に入るのは二枚に増えたポスター。『Moon Jelly』と『Candy Cane』。新しく手に入れた『Candy Cane』のポスターに描かれているのはキャンディやクッキーやマシュマロや、その他色とりどりのお菓子の山。その真ん中に陣取り、タイトルのキャンディケーンを片手にポーズを取っているのが例のウサギだ。黒いシルクハットにモーニングコート、ネクタイは斜めに歪んで、正装なのにだらしない雰囲気。顔もリアルタッチで少し狡そうな、意地悪そうな表情をしている。

 その顔が突然にやりと歪み、姿に似合わない低い声で喋り出した。

「怠惰は罪だ。知っているかい、レディ」

 ぎょっとしてポスターをまじまじと見る。ウサギはお菓子の山から立ち上がり、赤と白のステッキの先で足元のビスケットをこつこつと叩く。

 これは確か、仲間とはぐれた主人公が、問題の大元である女王の夢の中に落ちて来たシーンの台詞だった筈だ。『Candy Cane』も観たのは一度や二度ではないから分かる。ここまで主人公一行を適当な言葉で惑わしてきたウサギが、唯一まともな助言をする場面でもある。

「君に行きたいところがあるのなら、ここには長居すべきじゃない。ここの事件の起きなさと言ったら、酒飲みの家の紅茶缶だってもう少し意地を見せるっていうほどだ。ほら、そこらの砂糖菓子をご覧。動かな過ぎて他の菓子と混ざってしまった。ああなってはもうどこにも行けないよ」

 芝居じみた口調でウサギはすらすらと長台詞を吐き出す。

 気付けば千春の部屋はビビッドカラーのお菓子で埋め尽くされ、コットンキャンディのチュチュと飴玉のアクセサリを身に着けたお菓子の精たちがそこらじゅうを飛び回っていた。ウサギは巨大なマカロンに座った千春の正面のマシュマロの上をゆっくりと歩き回る。

「何でこんなことを言うかって? 僕も全く本意じゃ無いが、幸いにも僕はここが嫌いでね。ここはね、女王の庭で胃袋で恐ろしい罠なのさ」

「……」

「助けは期待しないことだ。君は自分で出なきゃいけない。おねだりをしなくてもプレゼントを持って来てくれるのはサンタクロースと君のママくらいさ。王子様だって、ガラスの靴を抱えたりガラスの棺を探したり、駆けずり回ってくれるとは限らない」

 白いウサギの赤い目が、横顔から千春を見上げている。

「僕はお先に失礼するがそこに居たいのなら居ると良い。君が何もしなければ、何もかもずっとこのままだ。道はいつまでも草の下、橋はずっと架からない、どこにも行けない袋小路さ」

 この後ウサギは姿を晦まし、それは嫌だと主人公は主張して、夢の世界の出口を探すのだ。

 白い扉を押し開ける主人公の背中を遥か遠くに眺めながら、千春は仄暗い眠りの闇に沈んでいく。

(何もしないなら、ずっとこのまま)

 ウサギの台詞をおぼろげに反芻しながら。

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