高貴な執事
日本語って難しい!
大きな屋敷があった。
屋敷の家主は、資産家の五十代男性。
その資産家に仕えるのは、七十代の老人だった。
高貴な老人だった。身長は高く、体躯もしなやか。白髪交じりの髪を一本に束ね、奥ゆかしい笑みを絶やさない。《大人の余裕》を超えた、《老人の悟り》を会得したような人物だった。
その日は、資産家の孫の来訪が昼頃に予定されていた。資産家は執事である老人に屋敷内の清掃を命令し、執事もそれを快く承知した。
その老人、かつては泥棒だった。
この屋敷に忍び込んだのは、二十年も前の話。若くして大成功を遂げた資産家の噂を聞きつけ、一文無しだった彼は、無謀にも泥棒を計画した。
当時の資産家の家は新築で、最新の防犯装置を完備。当時販売されていなかった装置の試作品まで設置されていた。
泥棒の標的は絵画だった。とてつもない大作を飾っているという漠然とした情報しかなく、絵の内用や寸法は未調査であった。
そして、新月の夜に決行する。泥棒としての知識を持ち合わせていなかった彼は、あっけなく捕まった。赤子の手を捻るくらい容易に、天井から逆さに吊し上げられた。
風船のような風采の、当時三十代の資産家が泥棒に対し言う。
「その歳で、泥棒とはな」
「お願いします。許してください」
「だめだ。自警団に突き出す」
「そ、そこをなんとか」
「しつこいやつだな」
かくして、泥棒は牢獄入りを果たす。しかし食事の面倒を見てくれるので生活水準が向上し、むしろ泥棒は感謝していたという。
困ったのは自警団だった。面倒を見る囚人がまた一人増えて、団の資金難に拍車がかかっていた。
打開策、もとい応急措置として、団員は資産家の元を尋ねた。
会話の内容は、以下の通り。
「例の囚人を、執事として雇ってみてはいかがしょう」
「ふざけるな。泥棒を雇うだと? 笑わせる」
「彼も反省しております。聞くところ、明日を生きる財産すら持ち合わせていなかった様子。泥棒も、致し方なかったのです」
「泥棒を正当化するのか。自警団も、落ちたものだな」
「そう言わず」
資産家は、町指定の最低賃金以下で雇えるのなら、と交渉した。
団員は、二つ返事で承諾した。
以降、元泥棒は、資産家の家で働いている。
仕事内容は、雑用と位置付けられる作業のすべて。仕事量は、無駄に水増しされている。
得られる給料では、一日に三回の食事を取るのが精一杯。少しでも無駄遣いしようものなら、栄養失調で昏倒してしまうほどだった。
そこで働いて初めて、盗もうとしていた絵画の巨大さを知った。
絵画の大きさは、縦横に五メートルほどだった。元泥棒は、乾いた笑声を上げた。
元泥棒は、転職を考えた。しかし、前科のある五十代の中年など、どこの間抜けが雇ってくれようか。
元泥棒は、いつしか定年を迎えた。
七十代を迎えた現在も、三食きっかりの給料は変わらない。
しかし、資産家との関係は好転した。一緒に食事を取らせてもらえるようになり、その日暮らしの毎日から解放されたのである。
仕事量も減った。仕事の効率も向上し、余裕すら持つことができた。
今では、この仕事を誇りに思っている。
資産家に尽くしたい。何年も前から、そう願うようになった。
昼頃。
資産家の孫が、大勢のガードマンを連れて、屋敷を訪れた。
資産家は、一回りも大きくなった孫との再開を、心から喜んだ。自分に似てきたと、隣に付く執事に嬉しそうに言った。
執事は微笑んだ。
孫は、執事にも話しかけた。
祖父である資産家への態度とは打って変わり、執事には恭しく辞儀をした。それを見た執事は、令孫の成長を喜んだ。
孫が言う。
「執事よ」
「いかがなされましたか?」
「僕は、お前のような、高貴な人間になりたいと考えている」
「こ、高貴とは、勿体なきお言葉」
執事は驚倒し、吃語する。令孫の予期せぬ言葉に、驚きを隠せなかった。
孫が続ける。
「謙遜するな。僕は真摯に考えている。お前のように高貴でありたいと望んでいる」
「はい」
「そこで、お前の武勇伝を聞かせてほしい。お前と御祖父様の逢着、事細かに聞かせてほしい」
「…………」
執事が沈黙した。
「どのような出会いだった。聞くところ、御祖父様は三十代で大成したそうだな。お前は、五十か」
「……そうですね」
「旧友でもないお前は、どのように知り合ったのだ。お前の輝かしい能力を、御祖父様が見出だしたのか」
「…………」
「聞かせてほしい。僕は、高貴でありたい」
執事は資産家に助け船を求めた。
それを見た資産家が、大仰に言う。
「彼は、実に高貴であった。私の言うことをよく聞き、勉学に励み、成績も優秀。一日三食を絶やさず、ほしい物をねだらず、泰然自若。早くに離乳し、外で遊ばず、仕事に興味を持ち、ブロッコリーを残さず食しーー」
「いやだ僕は下賤でいい!」
令孫は叫んだ。
自分はカリフラワーが無理です(;´∀`)