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チョコレートケーキは時を止める

作者: 桜枝 巧

 小学校の校門を抜け、東公園を突っ切ったところに「お化け屋敷」はある。当然人が住んでいた時期もあったのだろうが、少なくとも私が実際に小学校の帰り道寄っていた頃からはずっと無人だ。

 以前は白かったのであろう洋風の壁は雨や泥にまみれ、青々とした蔦が張っている。広い庭には雑草が所狭しと自己主張を繰り返していた。奥の方にはさびたイスとテーブルらしきものの残骸が埋もれている。

 空を見上げれば、吸い込まれそうなくらい蒼い空が広がっていた。もう、夏が近づいてきているのだ。間違ったことなんて一つもないんだよ、と言っているようで、思わず視線が下に落ちる。

 私はチクリチクリと刺してくる草をよけながらドアノブを握った。軽くひねれば、すんなりと開く。鍵が壊れていることくらい、ずっと前から知っている。コンビニエンスストアの袋を握る反対の手に、力がこもった。

 中は毎日掃除しているので比較的綺麗だ。一回はリビングとキッチン、バスルーム。二階には寝室だったらしい部屋が三つと、物置。滞在するのは一時間ほどなので、二階にはほとんど上がらない。

 リビングにつく。庭に捨ててあったソファとテーブルが仲良く並んでいる。あとは私自身の家から持ってきたラジオが一つ。リビングとキッチンはつながっていて、奥の方には大型の冷蔵庫が見える。もちろん、電気なんてものは来ていなかった。

 小学生のころから何一つ変わっていない、私の秘密基地だ。かっこいいので「お化け屋敷」だなんて言っている。実際に幽霊を見たことは、ない。

 中学二年生にもなって秘密だのなんだの言っているのは、まあ恥ずかしいものではある。でも、ただ一人を除いてこの場所のことは誰も知らないから、いいのだ。

 途中コンビニエンスストアで買ってきたものを広げる。紅茶が入ったペットボトル、それからチーズケーキとチョコレートケーキ。

 私はいつものようにソファに座り込む。

「いただきます」

 小さく口にして、袋の中に残っていたフォークを取り出す。パッケージを取り除くと、少々形の崩れたチーズケーキが姿を見せた。そっと切り分け、口に運ぶ。上品な甘さとチーズ特有の味わいが口の中に広がった。最近のコンビニってすごいなあ、なんて、毎日言っているような感想が浮かぶ。飽きない味だ。紅茶を一口飲んで、一息つく。

 ラジオの電源をつけると、知らない曲が流れ出した。曲調からして、親の世代くらいのものだろうか。知らない場所から、知らないものを、全く知らない人々が同時に受け取っている、だなんて考えると、なかなか面白い。

 チーズケーキはすぐになくなってしまった。ごちそうさまでした、と呟く。

 何であれ食べる前はちゃんと挨拶しろ、と言ってくるお節介は、もういない。

 今頃、こんなコンビニのケーキよりももっと高いスイーツを、奴の大切な人と味わっているのだろう。

 すっと、空気が冷えていく気がした。壁の方を見上げれば、壊れて止まってしまった掛け時計が見えた。私みたいだ。単純に、そう思う。

「……何一つ変わっていない、だなんて嘘だ」

 自分の精一杯の強がりに苦笑する。じゃあ、なんで私はチョコレートケーキを買ってきたんだ? 今日だけじゃない、昨日も、おとといも、一週間前だって。あいつが他の子と付き合いだした一年前から、私はこんな無駄遣いを続けている。

 小学生の頃、あいつが見つけて無理やり連れてこられた秘密基地。二人で家財を運び入れ、好きなお菓子を持ち寄って遊んでいた。恋愛感情、だなんてものはなかった。そんな甘ったるいもので、私たちを縛り付けてほしくはない。

 ただ、一緒に遊んで、はしゃいでいるだけだった。今も、きっとそう。あいつは私にとって大切な友人、遊び友達、だったんだ。誕生日の日には二人でお金を出し合って、それぞれ好きなケーキを買った。不思議と毎回、チョコレートケーキとチーズケーキだった。

 でも、あいつは違った。もちろん、私だってそんな子供みたいなこといつまでも続けていられるとは思っていなかった。それでも、信じてはいた。

――それは不意に訪れた。

 奴は秘密基地に急に来なくなった。元々学校ではあまり話してこなかったから、直接理由を聞く勇気はなかった。帰り道、ふとばったり会ってどちらからともなく公園の方へと走り出す、そんな関係だったのだ。

 しかし、その日奴はいつまで待っても来なかった。一人、暗くなっていく空の下を走って帰ったことをよく覚えている。その後、学校であいつとそれなりにかわいらしい女の子が一緒に帰っている、だなんて噂を耳にした。

 それから私は毎日、こうしてチーズケーキとチョコレートケーキを持ってこの屋敷にきている。奥の冷蔵庫は、近寄ればひどい異臭が漂うことだろう。もしどちらかが先に来たらお菓子はそこに入れておく、という決まりだったのだ。毎日チョコレートケーキの残骸をコンビニの袋に詰め、屋敷を後にしている。

 私はこの習慣をやめられないでいた。いつか、あいつが「ごめん、遅れちゃった。お菓子余ってる?」だなんてひょっこり顔をのぞかせる気がして。

 あーあ、と一人呟く。その声はどこに届くということもないまま、広いリビングの空気の中へと溶けていく。

「私は、何がしたいんだろう」

 声に出しては見たものの、もちろん答える者はいなかった。うらやましかった? 寂しかった? あの日に戻りたかった? もう、どうでもよかった。

 チョコレートケーキを持って立ち上がる。上にはココアパウダーがかかり、茶色いクリームが可愛らしくスポンジの上に乗っかっている。あいつが好きなケーキだ。きっと食べたら、甘くって少し苦いんだろう。

 リビングを抜け、キッチンの方へ行く。冷蔵庫の前に立つと、私はふっと息を止めた。蒸し暑いこの季節、中は相当ひどいことになっているに違いない。

 そして、私は扉を開けて――

空っぽの冷蔵庫を、目にした。

「――へ?」

 茶色くドロドロに溶けているはずのそれが、見当たらない。どころか、いつもよりきれいに掃除されていた。そう言えば異臭だなんて何も感じなかった。

「どういう、こと」

 そこで、私は見つけてしまう。奥の方に、小さな紙切れが一枚落ちている。それは、ケーキの下によく敷かれている半透明の紙だった。端っこの方には、まだ少しだけ茶色のクリームが残っていた。

『ごめん』

 殴り書きのような字で、そう書かれている。誰が書いたのかは、明白だった。

「うそ、だ」

 あいつが来るはずがない、だってもう忘れているはずで、覚えていたってこんなところに来る理由なんか、ないはずで。

 私の中で、何かが終わる音がした。時計の針が動き出すような、そんな感覚。いやだ。だって、私は、ここであいつを待っていて。待ち続けていて。待ち続ければ、いつかかなう気がして。そんなまどろみに、ずっと浸っていたくて。

 思わずその場に座り込む。静寂が、その場を包んでいく。

 一つだけ残ったチョコレートケーキ。本当は、私の好物だ。あいつが好きなのがチーズケーキで、私はチョコレートケーキ。でも、毎回なぜかお互いの好きなものを食べていた。その空間が、温かさが、何よりも好きだった。

 チョコレートケーキのパッケージを開く。 もう、ここへ来ることはないだろう。ここは、終わってしまった場所だ。私がよくわからない未練に浸って終わるのを必死に食い止めていた場所。

 やっぱり、ここはお化け屋敷だった。どうしようもなくなってしまったもやもやとした想いがずっしりと詰まっている場所。

 でも、終わってしまった。

 窓を開け放ち、未練なんてものをケーキの異臭とともにすべて外へと追い出してしまったのだ。

 あいつが、終わらせてくれた。

 終わってしまったんだ。

 時計は、動き始めてしまった。

 テーブルに残っていたフォークを取ってくると、一口食べた。ココアパウダーの苦みが下を侵食していく。

 久しぶりに食べた好物は、とってもとっても苦かった。



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