前編:戦争前夜
【物語の舞台】
時代:宇宙暦308年12月
場所:火星
戦いが戦いを呼ぶ
闘いが闘いを呼ぶ
終らぬ戦争の環――巡る闘争の輪廻
それは『理』
それは人の性
人は闘争を捨てられはしない
(ゼノ・シールス著『戦争論』序文)
〜〜〜〜〜 『火星の夜想曲』 〜〜〜〜〜
赤き砂漠の大地――アルギュレ平原中央部。
風速100mを超える竜巻が頻繁に観測される火星の大地にあって、もっとも過酷な地の一つと数えられる、この地も否応なしに戦渦に巻き込まれていた。
その戦場に独り、少女が夜空を見上げる。
彼女は想う。
幾多もの、戦場に散った命――彼らは何の為に生き、何の為に死んでいったのだろうか、と。
少女は静かに思索にふける――
火星に於ける独立闘争――『火星独立戦争』と『テラ・ツーの叛乱』と、敵対する双方の勢力から、異なる名前で呼称された戦争は、開戦してから半年、火星各地で激戦が繰り広げられていた。
人類の歴史は、争いの歴史。
人の歴史を紐解けば、それは真っ赤に濡れている。
火星独立を謳った戦争も、これはたった一人の女性の復讐に過ぎないのかもしれない。
それはたった一人の男の死がもたらせたものなのかもしれない。
宇宙暦308年6月、親火星派議員ガゼット・フォルティーナの暗殺。
宇宙民の代表格であったフォルティーナ一族の当主の死は、単なる一人の政治家の死では終らなかった。彼の死は、火星独立運動組織によるテロ行為として、地球連合政府による宇宙民への思想的・政治的弾圧を始めるキッカケを与えた。多くの無辜の人民が政治犯として投獄され、多くの諍いが各地で頻発した。こうしてガゼット・フォルティーナの暗殺事件は、地球圏全てを混沌の渦に突き落とす業火へと大きく発展していった。
結果としてガゼット・フォルティーナの死は、火星に於ける反地球連合感情を爆発させ、後の世に云う『テラ・ツー戦役』の決定的な契機となったのである。そして、その火星独立戦争の独立軍の旗印となったのが、そのガゼット・フォルティーナの一人娘にして、地球連合宇宙軍中佐レカル・フォルテーナであった。
父親の死を契機に火星へ帰った彼女は、火星独立を求めるスペースノイドらの支持を集め、火星解放戦線(MTA)なる組織を結成した。元々燻っていた地球の圧政への不平不満から、MTAの活動は短期間で火星全土に拡大。
火星の惑星改造の基幹である、火星気象制御システム『LILY』の制圧と同時に、同年9月1日に地球連合政府に対し、MTA代表のレカル・フォルテーナが高らかに火星独立を宣言したのった。
こうして、この戦争は始まったのである。
少女は夜の空を眺める。
それは現実から逃れる為なのか、自分にすら理解できなかった。
いつの日かに死んでいった、友人を暫し忘れる為なのかもしれない。
少女は戦車の装甲に腰を掛け、ただただ夜空を見つめる。
戦車の装甲は冷たかったが、なぜか落ち着いた。
小さく地面を踏み鳴らす音が聞こえ、少女は夜空から視線を外す。
そこには、一人若い兵士が歩み寄ってきていた。
「博士、寒くないんですか?」
少女はその言葉の主に僅かに視線を流し、人差し指を上に向ける。
「星の輝きは、人の魂の輝きって知ってる?」
火星のどこまでも続く砂丘を流れる風に乗った少女の声音に、ロマンチックなことだ、と内心思い微苦笑を浮かべた兵士は、少女の指差す夜空を眺めた。この凄惨な戦場にあって少女のような存在は、己らの戦う意味を見出させ、彼らの心の支えになった。彼女が、彼らの部隊に派遣されたのは戦車や機材などの技術指導であったが、それ以外にもこういった戦意維持の意図も上層部にはあったのかもしれない、と兵士は冷静にそう考えた。
我ながら悲観的なだな、と小さく自嘲する。
しばらく兵士は、二つの月が浮かび、幾千もの星々が輝いている火星の夜空を眺めていると「なるほど、確かに死んだ連中は星になったかもしれない」という気分になってきた。
我ながらロマンチストだな、と僅かに双眸を伏せた兵士は、ブルっと身体を震わせた。美しい夜空を眺めた代償に、凍りつくように冷たく澄んだ空気が、身体を冷やしたのだ。真昼でも17℃が精々の火星の砂漠は、夜になれば0℃近くまで気温が下がってしまう。あまり長時間、身体を冷やすのは良くないと考えた兵士は、少女に「テントに戻りませんか?」と声を掛けるが、少女は小さく頭を振る。
「そうですか」
幾分、元気のなさそうに兵士は踵を返す事にした。あの様子では、今しばらくは夜空を眺めるに違いないと思った彼は、彼女に暖かいコーヒーを持って行く事にしたのだった。仮にも、我が部隊にお越し頂いた技官殿に風邪でもひかれたら申し訳ない、などと理由を付けていたが、結局は彼自身が少女ともう暫く一緒にいたいと思ったからに他ならない。兵士はコーヒー淹れるべき、テントへと向かった。
給湯機のあるテントにたどり着いた彼の耳に、奥ではなにやら、ポーカーに興じているらしい仲間達が歓声や悲鳴を上げて騒いでいた。
灯火管制中ではあったが、煌々と輝くランタンを咎める者は誰もいなかった。先行している偵察隊からの報告でも周囲200キロに、地球連合軍の部隊はおろか友軍も確認されていないとの事である。
すでに開戦してから、半年。
火星解放戦線に参加している兵士の多くは、火星の住民有志から編成された義勇軍である。軍組織として訓練をされた訳でもない彼らに、敵軍の動きもない中、緊張しろという方が無理な相談であろう。
彼らの部隊長クラウス・ハウトマンは、元地球連合軍の将官だったらしいが、非常に融通が利く人間であり、義勇兵たちは、その恩恵に与っていたという訳である。
慣れた手つきでコーヒーを淹れた兵士は、二人分のカップを手にし、バカ騒ぎを続けている仲間達を尻目に少女のいる戦車へ戻った。
「飲みます?」
兵士が声を掛けると、少女はゆっくりとした動作で兵士に振り向き、両手のカップに気がつく。
「ん、ありがと。もらっておくわ」
身軽にステップから飛び降り兵士の前に着地をすると、少女はニカッと健康そうな笑顔を見せた。それに思わず兵士の頬が紅潮する。何もこれは寒さの為だけではないだろうが、少女はそれに気づく事無くカップを受け取った。そして両手を温める様にカップを持った少女は再び満天の星輝く空を眺め始めた。
兵士も少女に誘われるように夜空を眺める。そして時折、彼女の顔を盗み見た。正直な話、兵士には星輝く空を見つめ続けることの何処が面白いのか分からなかった。彼女が何を想い、空を見つめ続けるか、兵士には想像もできない。だが、少女の隣にいられる事が、兵士は少しだけ幸せだった。
「コーヒー」
「ん?」
兵士の一言を聞きとれなかった彼女が振り向く。
「なんか云った?」
「コーヒー、冷めますよ」
視線から逃げる様に上を向いた兵士の言葉に、彼女は微笑んだ。
「そうだね、あんがと」
「……いえ」
兵士にとって心地よい沈黙であった。
コーヒーを啜る音すら砂に吸い込まれて行くような感覚。静寂が二人を包み込んでしまったかのように、テントで騒ぐ声すら幽かにしか聞こえない。
ただ、星たちの瞬きだけが二人を照らす。
そして、どの位経ったであろうか――
「ねぇ」
突然、少女が口を開いた。
「なんですか?」
「この戦いが終わったら、君は何するの?」
そんな事を訊いてきた。兵士はちょっと考え込み、溜息混じりにぼんやりと言葉を紡ぐ。
「まずは学校に戻って、それから考えます」
「君、まだ学生なんだ」
意外そうな響きを持った声を紡いだ少女が続ける。
「そうね、まだ若いもんね」
「それでも博士よりは年上ですよ。博士はどうするんです?」
「私? そうね、私は家が欲しいな」
「家?」
「そう、帰るところ」
聞きようによっては陳腐な台詞であったが――少女の言葉に戸惑う兵士。
そこへ煙草の匂いが漂ってくる。
「それは高望みだな、軍医殿」
突然隣から降ってきた声に驚いて振り向くと、そこには肺いっぱいに吸い込んだ有害煙をわっかにしながら吐き出している女がいた。地球連合軍からの転向組であり、戦車部隊のエースとして知られるジネブラ・ヴェンチ中尉であった。ジネブラがこちらをチラリと見てニヤニヤと口の端を歪めている所を見ると、兵士と少女の逢瀬を見つけたのと、勘違いしているらしかった。
「こんな所へどうしましたか、中尉?」
「なに、向こうが騒がしいんでな。ちと一服しに来ただけさ。お二人の邪魔はせんよ」
イヤラシイ笑みを浮かべそう云うと胸ポケットから煙草を一本取り出し、兵士に一本差し出す。だが、丁重に兵士は断った。肩を竦めて、煙草をしまうとジネブラは胸いっぱいに煙を吸い込み、夜空に向かって吹きかける。
同じ部隊にいるとはいえ、殆ど口も利いた事のないジネブラに、兵士は困っていたが、少女は彼女を気にするでもなく、コーヒーに口をつけている。この気まずい沈黙を打破しようと、兵士は中尉の言葉に疑問をぶつける事にした。
「――中尉。なぜ家が高望みなのですか?」
やや口調が攻撃的になってしまったな、と兵士は後悔した。別に責めるつもりはなかったが、いきなり高望みだ、というジネブラに無意識に憤りを感じていたのかもしれない。だが、それに気付かなかったかのように、ジネブラは応えた。
「簡単なことだよ、コリン。我々は敵兵士からそれを奪わなきゃならない存在だからさ」
その言葉に少女がジネブラを無感動に一瞥にした。
一方で、兵士――コリンは、ジネブラの言葉に同調をしていた。
どんな大儀を掲げようが、自分たちは銃を持って、相手を殺す為に、打ち破る為に、今、ここにいるのだ、という意識が己を支配する。この半年間で何度も銃弾を敵部隊に打ち込み、ひょっとしたら幾人も殺しているのかもしれなかった。もちろん、自分も無傷ではなかったが、それでもジネブラの言葉はコリンの心傷を抉った。
「なんてな、冗談だよ。軍医殿の云う帰る場所を護る為の……あるいは創る為の戦争だよ、これはね。そういう気持ちは誰にだってあるし、戦場じゃツイツイ忘れちまう大切なもんさ」
冗談めかしてジネブラはそう言うと上を向いて煙を吐き出した。白い靄が星空へと吸い込まれていく。
戦場での他愛ない話であった。
ジネブラは時折長くなった灰を落としながら、それから暫く二人と会話をすると、寝床へ帰るように命じた。
こうして、いつもの夜が過ぎていった……




