4話
あー、腰が痛てえ~
リオルを文官のところまで連れていったあと、氷那斗はいつの間にか決められていた配属先へと向かった。そこは王城の畑だった。
氷那斗は文官に料理とか得意だと言ったのだが、貴様のような下等な人間風情に食事を任せるわけがなかろうと言われてしまったのだ。
(まぁ、確かに毒を盛られる可能性もあるので正論っちゃあ正論なんだが⋯⋯なんか腹が立つな)
そういった鬱憤を氷那斗は草むしりで紛らわせていた。氷那斗の仕事は畑の草むしりやら水やりだ。普通の大きさならばさっさと終わらせられると豪語できるが、なまじ王城の畑であるがゆえにひどく広大なのだ。
気の遠くなるほど果てしなく続く畑に、氷那斗は辟易としていた。まぁ、だからといってリオルの側近と比べてどちらがいいと言われても畑仕事を選ぶくらい王子の側近は氷那斗にとって論外なんだが。
そんな取り留めもないことを考えながら草むしりに没頭していると、誰かが近づいてくる気配がした。注意深く気を探ると、どうやら泣いているらしい、ということはわかった。
なんでオレの近くに面倒ごとが集まってくるのかと溜め息をつきながら立ち上がって近づくと、氷那斗の存在に気づいてなかったのか幼い男の子が目に涙を浮かべながら驚いていた。しかし、そう思ったのも束の間。少年は表情を消し、冷ややかに言い放った。
「ここに配属された人間というのはおまえのことか。どうでもいいが、それ以上俺に近づくな。虫酸が走る」
「⋯⋯はぁ」
こんな感じの人物を知っている。というより、その人物の真似をしようとしているのだろうことがよくわかった。だが、まだまだだ。語彙が少ない上に、必死に真似ようとしているのが丸分かりすぎる。
それにうちの親父はそんなことを言わない。わざわざ口に出して言うほど関心を抱かないからだ。
しかも微かに身体が震えていることから、本心ではないことも無理してるのもバレバレだ。そんなことなら最初から言わなければいいものを。
「お初にお目にかかります。オレ⋯⋯私の思い違いでなければ、ザフィア王子でいらっしゃいますよね」
「だ、だったらなんだ!」
はいアウト。親父はそんなことは言わない。言わないというか、侮蔑と嘲りを含んだ、神経を逆撫でするようなことを言うか、淡々と相手の心をずたずたに切り裂くようなことか精神を抉るようなことを無表情で返すのだ。
「誰かの真似をしようとしているのが丸分かりですし、似合っていないのでやめたほうがいいと思いますよ?しかも、身体が震えています」
「っ、う、うるさいうるさいっ!⋯⋯」
あ、本格的に泣かせた。そういえば、つい忘れてしまいそうだったがまだ六歳だったな。リオルより年下だった。面倒くさい。
「あー、ザフィア王子?王子は、こんなところになんの用ですかね。確か、ザフィア王子の部屋はこことは真逆の方向にあったと思うんですが」
王城の地図を無理やり暗記させられたばかりだ。間違えているはずがない。
そう確信しながら氷那斗はできるだけ柔らかい声音で、まだ幼いザフィアに問い掛けた。同時に優しい笑みを浮かべたからか、おずおずとザフィアは警戒を解き、年相応の顔をしながら目許を強く擦って、たどたどしく答える。兄貴よりも単純だな。
「⋯⋯今日、剣術のお稽古があって⋯⋯でも、全然できなくて…父上や母上に怒られたの⋯⋯つい悲しくて泣いたら、兄上はそんなふうに泣いたりしないと⋯がっかりした顔をされて⋯⋯父上や母上には失望されたような顔をされるし、他の兄上や姉上たちは冷たい顔をなさるし⋯⋯ゲオルグは、ぼくとは顔も合わせてくれなくて⋯⋯」
「そうですねえ、ザフィア王子はザフィア王子なのに、第二王子と同じことを求められて、辛かったのでしょう?ああ、ほら。目を擦りすぎると、後で腫れますよ」
「うん⋯⋯うんっ⋯⋯」
うーん、なんという悪循環。ゲオルグ殿に関しては特にザフィアが悪いわけじゃないんだが。
ああ、そういえば言ってなかったが、ゲオルグ殿というのはオレの父親の幼馴染みであり近侍だったらしいですよ。あの親父に仕えてたということは、相当苦労したでしょうねえ。
と、話は戻しますが、そういうわけで、きっと第二の親父のように扱われることが気に入らないんでしょうね。ゲオルグ殿は。ま、だからといってザフィアにあたるのは大人げないと思いますがね!
「ですがね、ザフィア王子も悪いと思いますよ」
「⋯⋯え」
ここは、リオルと同じように言ってやるか。
「貴方はザフィア王子なのであって、第二王子ではないでしょう。貴方は魔王陛下や魔王后の傀儡ではないのですから、きちんとご自分の意思を伝えなければいけませんよ」
「で、でも⋯⋯」
「でも、なんです?それではザフィア王子は、第二王子に向けられた愛情を自分に向けられたものだと偽ってこれからも過ごされるんですか?そんなの、淋しいとは思いませんか?」
「さ、びし、い⋯⋯?」
強張った顔でザフィアはオレの言葉を繰り返した。そういうところはリオルにそっくりだ。
「そうですよ。それは貴方に、『ザフィア』王子に向けられたものじゃないんでしょう?陛下たちは、第二王子がなさっていたということを貴方に押しつけているのです。同じようにあれとね」
「でも!父上と母上がそれを望まれているんだ!それがぼくの存在価値なんだもの⋯⋯そしたら、父上たちはぼくのことを見てくれるんだ!だから、父上たちのために、ぼくは⋯⋯」
「それが、己れの人格を無視して、ねじ曲げてまでもしなければいけないようなことですか。⋯⋯わかりませんか?第二王子と同じようにあれということは、第二王子の身代わりであると言われているのと同じことですよ。ザフィア王子としてではなく、第二王子としてあれと」
「⋯⋯っ、⋯⋯父上と、母上は⋯⋯少しもぼく自身を見てくださっていたわけじゃ、ない⋯⋯?」
「本当は、とっくに気づいていたんでしょう?」
「⋯⋯ぼく、は⋯⋯⋯⋯ぼくは⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「はい」
あやすようにオレが優しく頭を撫でると、ザフィアはオレにしがみついて、わんわん泣きながら叫んでいた。
「ぼくは、ザフィアだ。兄上じゃないっ⋯⋯だから、兄上と同じことを求められても、できないよ⋯⋯ぼくは、ぼくは⋯⋯ザフィアなんだから⋯⋯」
「そうですね」
「ぼくは⋯⋯父上たちに、喜んでほしかった。褒めてほしかった!っ⋯⋯だからぼくは⋯⋯必死に、頑張ってきたのに⋯⋯いつかは、ぼくのことを見てくれるって信じて⋯⋯」
「陛下方が求めているのは第二の兄君で、ザフィアという貴方自身ではなかった。それは、貴方が望んでいることではないでしょう?」
「ん⋯⋯うん⋯⋯っ⋯⋯」
「まだ間に合います。少しずつでいいので、貴方自身の意見をきちんと陛下たちにお伝えするようにしてください。初めは難しいと思いますが、そうしたら他の兄君や姉君がとも和解できるようになると思いますよ。貴方は貴方であって、他の誰でもないということを忘れてはいけません」
「う⋯⋯ん⋯⋯⋯⋯」
素直に頷くザフィアは泣きつかれたのか、氷那斗にしがみついたまま眠ってしまった。リオルといいザフィアといい⋯⋯オレって、そんなに幼子に懐かれやすいのかね?
なんで一日に同じことを二回も言わなければいけないのかと、溜め息をつきながら思う。それにしても、立ちながら寝るなんて器用だと言いながらザフィアを抱え上げた。そして視線を動かすことなく氷那斗は口を開いた。