初恋のメディウス
「生体肝移植ですか?」ベッドに上半身を起こした男は、窓の外の澄んだ青空を見つめたまま、あまり深刻な感じでもなく静かに言った。
だが目の前の若い医師は緊張した顔で「そうです。思いの外、進行が早く」と言うと、看護師からレントゲン写真を受け取り症状の説明を始めた。
「最初にお話ししましたが、病巣は肝臓に有る癌です。一ヶ月前は直径約5mmと3mmだった腫瘍が、ご覧の通り、今はそのおよそ1.5倍まで大きくなっています。進行性の早い悪性の癌細胞で抗癌剤やレイザー治療を行っていますが、成長を止める事が出来ません。
それに癌だけを摘出しようにも肝臓の機能低下が著しく効果は期待出来ません。現段階では他への転移は見受けられませんが、そうなる前に一日でも早く手術を行いたいと考えています」医師はそう告げると「ドナーを至急見つけましょう」と男を励ますように言った。
すると男は視線を医師に向け「手術を受けなければ……いえ勿論受けますが、例えばドナーが見つかなければの話ですが、あとどれくらい生きられますか?」冷静な声で聞いた。
医師は黄疸の出現にともない眼球結膜が黄染した患者の目を見据え「そうですね……断言は出来ませんが、早ければ三ヶ月、長く持っても半年でしょう」と言った。
病室に一人残された鏡原祐輔は、小さな整理棚に置かれた写真立てを手にして『ある程度の覚悟はしていたんだ』と、話し掛けると写真に映る妻子の姿を指でなぞった。
鏡原祐輔は二年前の自動車事故で自分だけが助かり妻と子供を失った。
事故の原因は対向車線を走る車の無理な追い越しで、センターラインをはみ出したその車を避けきれずに衝突すると、運転していた妻と助手席の4才になる娘の命を奪い、運転を替わって後部座席でうたた寝をしていた祐輔は重症を負ったが生き延びた。
祐輔は38才、妻の友希は26才で見合い結婚した二人に、翌年には待望の娘、佳菜子が生まれ、祐輔は多少晩婚になったことで、残り物の福を引き当てたと心から喜んでいた。
しかしその信じられない事故で祐輔は自暴自棄になり、傷が完治すると会社を辞めて毎晩のように飲み歩き、その結果半年ほど前から体に異常を感じ始めていた。
あの時すぐに病院に行けばこの状況は回避出来たかも知れないと思いつつ『待ってろ!俺も二人の所に行くからな』と祐輔は心の中で叫んだ。
自から選んだ愚かな行為で終焉を迎えることの自責の念を感じながらも、生体肝移植は三親等内のドナーが条件と言うことで、九州の故郷に住む兄と親族に可能性を求めた。
だが兄の健康状態が不適合だと分かると、親族は揃って申し入れを断ったようで、上京した兄の言葉は歯切れが悪いまま、一般のドナーを待つ手続きが取られた。
しかしそのドナーが現れる確率が如何に低いかは周知の事実で、生体肝移植の成功率は非常に高いと言ってくれた医師の言葉が虚しく“二度と希望は持つまい”と祐輔は思った。
だが、それは絶望を覚悟した心に、まだ生への執着が残る証で、祐輔は己の心の弱さを天国で待つ妻子に詫びる以外なかった。
その時を迎えるのが実家の有る病院と決めたのは郷愁の気持ちからではなく、年老いた両親を始め、親族に負担を掛けまいと願っての事だった。
東京の病院を退院するのを明日に控えたその日、亡き妻、友希の姉、荻野淑子が両親に代わり挨拶をしたいと言って最後の見舞いに来てくれた。
そして淑子が祐輔の黒褐色の顔に一憂も見せず、平然と身の回りの片付けをしてくれる姿に、福岡から手伝いに来ている兄嫁がひどく恐縮しながらも有難がっている。
そんな時に、視力の衰えのせいか目に霞が掛かったような視界の先に、ふと淑子の横顔が友希に見えて、祐輔は慌てて顔を背け胸の高鳴りを抑えた。
その淑子は“私が年下だから”と言って、出会った時から祐輔を”兄さん”と呼んでいたが、二人きりになると「不思議ですね一年前はお兄さんと呼んでいたのに」と言う。
言われてみれば友希と佳菜子が死んで親戚関係は解消され、友希の両親は娘と孫を奪われたと祐輔を今も恨み、この病院にも一度も顔を出してはいなかった。
事故を起こした相手は充分な保険に入っていたことも有って事故対応は弁護士が代行した。
そして初めて葬儀場に加害者の両親が姿を見せた時に、息子も重症を負い入院中だと断りを入れ詫びたが、友希の両親は一切口も聞かず目さえ合わせないので、止む無く祐輔が会いたくもない二人に挨拶をし、聞きたくも無い言い訳を聞かされた。
だからと言うわけでもないが、友希の母親の怒りの矛先は自然と祐輔に向けられた。
ところが、淑子の言葉の意味はもっと神聖で深いところに有り「どちらかが生きていれば、私は二親等以内の姻族、ドナー提供者になれたかもしれないのに……」と言ったのだ。
“何と言う皮肉か”祐輔は、枯れ果てた唇を噛む力もなく、喘ぎ声を出すと“どちらかが生きていれば、そう、この俺も自暴自棄に成らずに済んだかもしれない“と唸り、天を見上げた。
十月の初め、爽やかな秋風の中、福岡に在る郷里に鏡原祐輔は着くと、空港からタクシーで直接先祖の墓地に向い、妻子の分骨が眠る墓に手を合わせた。
本来なら鏡原家の嫁と娘として納骨されていたはずが、先方の母親に狂ったように反対されると、一人生き残った祐輔に反論など出来るはずはなかった。
祐輔は妻子に体の具合を報告し“余り待たせないよ”と告げてハイヤーに乗り、親友の家に着いたのは夕方の四時を少し過ぎた時だった。
郊外の小さな町はいつ来ても静かで人影もなく、見慣れた一軒家の玄関を開け「こんにちは」と声を掛けると、奥から駆け付け「よう」と言って成宮浩二が顔を出した。
土間から居間に続く短い廊下を一歩一歩進むごとに鏡原祐輔の脳裏には二年前の記憶が鮮やかに蘇える。
妻の友希と愛娘、佳菜子を亡くし、友希の母親からは容赦無い責を浴びせられ、狂乱寸前の精神状態でこの廊下を這うように歩いたのだった。
居間の座卓に着くと浩二の妻、典子がお茶を出し「具合は如何ですか?」と聞くので、祐輔は「まあまあです」と答え、日頃のお礼を言いながらそのお茶を啜った。
「随分と痩せたな」誰もが避ける言葉を浩二が神妙な顔で言った。
「うん、電話でも話した通り、随分と厄介な病気を罹ってね」祐輔が詫びるように言うと「時間は有る。ゆっくり話そう」と言う浩二の顔が祐輔には慈悲深い菩薩に見えた。
成宮浩二と一つ下の祐輔は小さい頃からお互いの家を往来してよく遊んだ中で、祐輔の両親が老いた今、近いからと言って親族よりもこまめに実家の様子を見てくれていた。
そして二年前のあの日、狂気に犯された祐輔は自分の両親、親族からも逃れ、この家で心の平常心を取り戻そうと篭っていたが、結局は耐え切れずに浩二の引き止めを振り払い、この家も飛び出し東京に戻り酒に溺れて行ったのだった。
「ドナーが現れなければ余命三ヶ月だと言われた」祐輔はか細い声で言った。
つい先日、祐輔の兄がドナーを求めて親戚を訪ね歩いたことで、祐輔の病名も症状も第三者のドナーを待っている事も住民の誰もが知っていた。
それでも本人から聞かされたその事実に、成宮浩二の表情は歪み、麩を挟んで奥で控える典子の息の詰まる音が“くっ”と、静寂を裂いて響く。
浩二は静かに立ち上がり、居間の障子を力任せに開くと、勢い余った扉は柱に叩きつけられ“ターン”と甲高い音を響かせ“ぶるっ”と震えた。
庭先の柿の木に茂る枝葉を包む真っ赤な夕日が一瞬にして居間を染め、背筋を伸ばして構える修行僧のような祐輔の横顔を赤黒く覆った。
「泊まっていけばいいさ」と言う浩二の言葉に「両親が待っているので」と断り、夕食をご馳走になると幾度も御礼を述べてその家を後にした。
実家に戻ると年老いた両親が哀れみの目で「具合はどうだい?」と聞く。
その両親が普段は寝たきりの状態だと知っている祐輔には返す言葉も無く、ただ笑顔を見せて「先に寝るよ」と言って用意されていた布団に入った。
新しい入院先は、車で一時間程の所に有る福岡癌センターで、直ぐに入院し治療を受けるつもりが、翌朝目覚めた祐輔は体調が比較的良かったので身辺整理をと思い立ち、二階に上がり自分の部屋で若い頃の私物を手にした。
そして本棚のアルバムを手に取り、久しぶりに懐かしさに浸ると、万感胸に迫り自分の成長に関わった人と、もう間も無く縁が切れる事実を認めなければと漠然と思った。
それにしても、若い日の笑顔は余りにも眩しく、そして今は虚しく“見なきゃ良かった”と、つぶやき祐輔はアルバムをそっと仕舞った。
そしてその横に有った青いハードカバーの本を“これは何だ?”と思いながら抜き取ると、本の隙間から小さな赤い石が付いた指輪と手紙が床に落ちた。
なぜか未開封の手紙の送り主は川澄史帆、宛先は祐輔が大学生の時に住んでいたアパートの住所で、宛名は“鏡原祐輔様”と書かれていた。
微かな記憶の揺れを感じながら、手紙と本を手にして指輪を見るが記憶は戻らず、祐輔がもどかしさを感じながら、手にした本を開いて見るとそれは交換日記だった。
そして日記の相手も同じ人物だと分かると、祐輔は同級生だと確信して卒業アルバムの中にすました顔で写る川澄史帆を見つけ出した。
三年生の時に同級生だが同じクラスでは無かった彼女から“好きだから付き合って欲しい”と告白され、かわいい子だったので“いいよ”と返事を返し、交換日記が始まった記憶が蘇り胸の奥を切なく締めつけた。
進学校に通う祐輔には、受験の追い込みの真最中で、浮ついた気持ちなど有ってはならないが、史帆の澄んだ目に吸い込まれ、まるで呪文に掛かったように返事をしたのだ。
だが、祐輔のアルバムに史帆の姿は無く、二人が如何に周囲の目を恐れ、秘密裏に付き合っていたかを裏付ける事実のようにも思えた。
思春期の少年少女の清らかな交際は、受験戦争を闘いながらも、現実を逃避する史帆の夢物語に祐輔が付き合う内容の文章だった。
祐輔はその幼すぎる文章に物足りなさを感じながら、最後のページ二月二十四日の卒業式前日に書かれた史帆の文章を読んだ。
そこには卒業の悲しみと、これからは祐輔と同じ学校に通えない辛さが切実と綴られ、“明日この日記帳を祐輔に渡すから大事に取っていて下さい。そして大人に成って結婚出来たら二人の宝物にしましょう”と書かれて終わっていた。
祐輔は何とも純情過ぎる日々を送ったものだと苦笑しながらも当時のことを確実に思い出し、確かに一度手にした覚えの有る手紙にハサミを入れ、便箋を取り出し読もうとした時に、突然腰の辺りに激痛が走り階下の両親に助けを求めた。
鏡原裕輔は成績が良く推薦入学で東京の私立大学に入学すると、アパートを借りて都会生活を始めた。
「へーっ、以外に綺麗にしているね」ゴールデンウィークに親に内緒で東京のアパートまで遊びに来た川澄史帆は満面の笑みで自分の事のように喜んでいる。
「史帆こそ、国立に受かるなんて、見直したよ」と言って祐輔も心から褒めていた。
付き合い始めて直ぐに史帆は祐輔と同じ大学を受けたいと言い、祐輔はその思いに多少驚きを感じながら「親は知ってるのか?」と聞いた。
東京に志望校を変える史帆の動機が両親に判った時の事を思うと、仮に合格しても地元の大学と違ってお金も掛かるので積極的には応援できなかった。
「説得するから」と言っていた史帆の切なる願いは、担任が受験に難色を示してあっさりと挫折したが、その結果、国立に受かったのだった。
「えっ!?帰るのか?嘘だろ」祐輔の驚く声が狭い部屋に響き渡ると「友達と遊んでいる事になってるの、だから今日中に帰らないと」史帆は薄っすら涙目で言った。
朝早くから羽田で待ち合わせをし、予定通りにディズニーランドに行き、大混雑の中で目的のアトラクションを何とか体験して祐輔のアパートに着いて間もない時間だった。
「泊まるって言ってたよな」祐輔が言うと「ごめん、無理だった」と史帆は謝った。
祐輔は“何て馬鹿なことを言い出すんだ”と怒鳴りたい気持ちを必死に抑え「それならそうと言えば無理はさせなかったのに、飛行機代も勿体ないし」と言った。
すると史帆は祐輔を睨んで「そうね、日帰りなら、来なくていいって思っていたでしょう」と言い返し、更に詰め寄り「会いに行くって決めてたから、会いに来たかった。ただそれだけのことよ」と言い放つと、子供のように泣きじゃくった。
“ただ会うことを楽しみに来た”と言う史帆の心に、祐輔に返す言葉は無く「送るよ」と言った後で“もう終わったな”と思った。
本能で身体を求める祐輔とそれを頑なに拒む史帆の間に有る溝が埋まるとは思えず、 羽田空港で見送り、帰りのモノレールを降りて山手線に乗り込むと、虚しさは膨らむばかりで、何気無く乗り合わせた乗客を目で追っていると若い女性と視線が合った。
髪が長く背の高い綺麗な女の子を見ながら“どこかで会った人だ”と祐輔が思っていると、相手も驚いた表情で見つめ返していたが、直ぐに祐輔に歩み寄り「鏡原くんじゃない?」と言って来た。
祐輔は目の前の相手が大学の講義で何度か会っている人だと判っても、名前までは知らないので「何で俺の名前知ってるの?」と聞いた。
すると「友達に教わったの」と答えながら、定期入れを見せ「私は柳井真涼子、宜しくね」と言って「これから帰るの?家、何処?」と聞いてきた。
祐輔が勢いに押されるように「吉祥寺のアパートに帰る」と答えると「近くの居酒屋で飲もうよ」と真涼子が軽いノリで誘うので、吉祥寺で降りて居酒屋に入ると二人は生ビールで乾杯した。
だが「ここがイイ」と真涼子が言った店は結構な値段ばかりのメニューで、祐輔は財布の一万二千円が実に微妙だと焦り始めた。
柳井真涼子は祐輔の出身が福岡で有ることも知っていて「私は世田谷」と言うと、聞きもしない身の上話を酒のピッチに合わせて話し始めた。
エスカレーター式で今の大学に通う真涼子は、どうもお嬢さん系だと判り、祐輔が正直に所持金を言うと「いい、いい、私が誘ったんだから、私が払うから心配しないで、どんどん食べて飲んでよ」とサラッと言うと、その後も凄い勢いで飲み続けた。
初めて一緒に飲む相手で有り、普段の酒量を知らない祐輔は、真涼子にこのまま飲ませていいのかと思いながらも、酒の勢いも手伝い淡い期待も徐々に膨れていた。
「そろそろ帰ろうか?」本音とは裏腹に、既に二時間以上飲み続けている真涼子に祐輔が言うと、かなり朦朧とした目で腕時計を覗き込むと、おもむろに席を立ち歩き出すので「トイレかい?」と聞くと真涼子はふらつきながらも「そう」と言って店の奥に消えた。
万が一にもこのまま居なくなったり“お金が足りない”なんて事を言われたらシャレにならないと浮き足立つ祐輔の元に戻った真涼子は「払いが済んだわ、次、行きましょう」と言った。
それから四ヶ月が過ぎ、お盆休みに帰省した祐輔は史帆とあの日以来のデートをした。
「祐輔、変わったね」無意識に東京の言葉で話す祐輔を目の前にして、その態度もよそよそしく感じ、史帆は訳もなく寂しさが込みあげて自然と出た言葉だった。
「そうか、何も変わってないけど」と、さり気なく言った祐輔だったが、実は史帆を見送った帰りに出逢った真涼子と居酒屋で飲んで意気投合し、そのまま家に招き入れ関係を持つと今も続いていた。
史帆に対する後ろめたさは有ったが、あの日“終わった”と感じた裕輔は、この数ヶ月は史帆の手紙や電話に対して惰性で相手をしてきたに過ぎず、相変わらず純粋過ぎる史帆を重荷に感じ、手を繋ぐのも億劫で素っ気ない態度のままでその日は別れた。
しかしこの祐輔の態度が史帆の心を激しく動揺させ、女の勘が働いたのだろうか?史帆は一大決心をし、裕輔には内緒で再び東京に向かった。
実家に戻っていた祐輔は突然の激痛に救急車で福岡癌センターに運ばれると、その日の午後には成宮浩二が両親に代わって入院に必要な物を持って来た。
個室の部屋に入ると、祐輔は呼吸器と点滴を繋がれた身体で浩二を出迎え「ありがとう」とだけ口を動かしたが声には成らなかった。
浩二は「気にするな」と言うと「これだろ、持って来たぞ」と言って手提げ袋から日記帳、手紙、指輪を出して枕元に置くと静かに帰って行った。
夕方になり目覚めた祐輔は酸素マスクを外し、川澄史帆からの手紙を改めて読み始めた。
“鏡原祐輔さんへ、これは貴方宛への決別の手紙です、だから最後まで読んで下さい”と、挨拶抜きで冒頭に書かれた一行を目にして祐輔は息を飲んで読み始めた。
あれは二人で迎えた初めてクリスマス・イブの日、福岡ファションビルのロビーに六時に待ち合わせをした時の事です。私は三十分前から待っていたけど、二時間経って七時半になっても祐輔が現れないので私は祐輔に何か有ったのかと心配に成りました。
でも、私達は別の友人と一緒だと嘘を付いていたので、電話で確認が出来ずに時間だけが過ぎて行きましたが、八時になるともう私には我慢出来ずに貴方の家に電話をしました。
すると「祐輔は友人と出掛けたままで、まだ帰って無い」とお母さんに言われ、私はその言葉に何も言えずに、貴方が何処に居るのか判らないまま仕方なく家に帰えりました。
そしてその夜、十一時過ぎに祐輔のお母さんから電話が入り「福岡ファションビルの裏口に有るロビーで、祐輔が貴方を待ち続け、肺炎で倒れて今は病院にいる」と告げられたので、私は両親に理由を言って父の車で駆け付けました。
すると祐輔は暖かな病室でお母さんの優しい眼差しを受けてぐっすりと眠っていた。
「一晩泊まれば大丈夫だそうです」と言うお母さんに「起こさないで起きましょう」と、私の父が言うと、お母さんは自分が座っていた椅子に「ここに座って」と私に進めた。
そして私が座ると「はい、これ、祐輔からのクリスマスプレゼント」と言ってリボンの付いた小さな赤い箱を渡して「開けてご覧なさい」と言ってくれました。
私は二人の視線を熱く感じながら、少し震える手で蓋を開けると、赤く輝く宝石の付いた指輪が目に入ってきました。
私がそれに目を奪われていると、貴方のお母さんが「貸してご覧なさい」と言って指輪を手に取り、私の右手の薬指に指して「とっても似合うわ、これ小さいけど本物のルビーよ」と微笑んでくれた。
私が指輪を付けた手を左手で支えるように合わせ、祐輔の寝顔と指輪を重ねるようにして貴方を見ると「祐輔が恥ずかしがるから、この事は二人の秘密にしましょう」とお母さんに言われ私は微笑んで頷いた。
父と二人で家に帰えると出迎えた母は、私が嘘をついていた事を咎めず、薬指の指輪の事も聞かないので、祐輔のお母さんが電話をしてくれたのだと判った。
私はこの日、祐輔の愛と祐輔のお母さんの愛、そして私の両親の愛を感じ、私なりの祐輔に対する愛の形を誓ったのです。
それは貴方のお嫁さんに成るまでは清らかな身体でいようという決心こそが、私からの貴方への愛と双方の家族への愛の証だと信じたからです。
“それならそうと言えば良かったのに”と言う貴方の声が聞こえて来ますが、言われるまでもなく、何度もこの気持ちを貴方に伝えようと思いました。
でも、私は貴方の優しさに甘えて、いつか判ってもらえると信じていたのです。
そしてその結果がこの最後の手紙です。恋愛の勝ち負けを考えなかった私が疎かで情けないですが、この手紙を書き綴る事実は私がこの恋に負けた証拠でしょう。
貴方のお母さんと交わした約束を破るのは心が痛みますが、これが最後の手紙になるので、あの日の出来事と私の心を正直に書きました。
祐輔、プレゼントの指輪、本当に有難う。でも、私も当然貴方へのプレゼントを用意していたんです。今となっては何も残ってないから事実だけ書きます。
“ニューオータニホテル№1707”あの日、貴方を待つ間、私のコートのポケットに忍ばせていたルームキーは使うこと無く返しましたが、今更ながら、私の決心がイブの夜に報われなかった事が悔やまれます。
一つのビルに二つ有ったロビーに、お互いが背中合わせで待ち続けてしまったばかりに、私達の恋愛は今日破局を迎えることになりました。
でももしかしたら今日の日の決別はもうあの日から決まっていたような気がします。
だから私のことは忘れて、祐輔は祐輔の道を歩んで下さい。さようなら祐輔。ごめんなさい祐輔。私も私の道を歩みます。……と、書かれて川澄史帆の手紙は終わっていた。
高校3年生の春に川澄史帆から告白され始めた交換日記は一年続き、二人は希望の大学に受かり祐輔は東京での生活が始まった。
その一年数ヶ月の間にキスをして抱きしめ合ったことも有ったのに、史帆が頑なに最後の一線を越えなかった理由が初めて判り、祐輔はなんとも切ない気持ちになっていた。
飢えた狼ほどに史帆を求めたつもりは無かったが、男の欲望を何度か史帆に曝け出していた自分が恥ずかしく情けなくも感じ、イブの夜に史帆のプレゼントを自らの勘違いでフイにしたことも、今と成っては自業自得と笑えなくも無かった。
ただ、一つの仮定としてクリスマス・イブの待ち合わせが上手く行っていたら、ニューオータニホテル1707号室で二人は最高のイブを迎えて結ばれていたのだろう。
そして敢えて言うなら祐輔自身の人生は史帆をパートーナーに選び、あの悲惨な事故も起きず、ここで闘病生活を送ることは無かったのかと思った。
それにしてもこの手紙と指輪が自分の本棚に有ったことは不思議だと祐輔は思った。
少なくともこの手紙は祐輔の手によって闇に葬ったものだと思い出していたからだ。
”ある夏の日”
ハイヒールの踵がモルタルの通路にコツコツと響き玄関ドアの前で止まると、コンコンとドアをノックする音が鳴ったが、それは室内から響くウオーンという音で掻き消された。
そして暫くすると“コッ”と何かが落ちる音がした後に、その人物は足音を忍ばせるようにそこから去って行った。
それから二日後、郵便配達人の足音が近づいた後に“コトッ”と小さな音をたて、玄関ドア郵便受けの四角い枠から何かが落ちると、配達人の去っていく足音が聞こえた。
だがそれらの音を掻き消したのは、窓に埋め込まれたウインドエアコンで、真夏の熱気に果敢に挑みウオンウオンと唸り声を上げている。
ユニットバスから裸のまま出て来た真涼子は、洗い髪を拭きながら顔をエアコンの吹き出し口に当て「結構冷えるのね」と言って笑った。
質素な生活に刺激を受けて笑う真涼子に、祐輔が「だろ?先輩のお古だけど、助かってるよ」と答えると「ホテル代を気にせずに私を抱けるしね」と言って真涼子はまた笑う。
初めてベッドに入った時、祐輔と真涼子は酔いにまかせて夢心地で抱き合った。
そして翌日、蒸し暑さに目覚めた真涼子はシャワーを浴びた後に部屋に戻るとエアコンが無いことに驚き「嘘でしょうー」と非難とも同情とも取れる声を出した。
だからといって“買いなさい”とも“買おうか”とも言わない真涼子のために少し無理をして祐輔はこのエアコンを手に入れた。
周りには掃いて捨てるほどいい男が居るのに、真涼子は二度目のベッドに入った時に「初めから祐輔を狙っていた」と言い「もてるでしょう?」と真顔で聞いた。
「もてないよ」祐輔が答えると「それは嘘よ、この部屋に何人連れ込んだの?」と、珍しく嫉妬心を含んだ声を出した。
そして「初めての夜、二軒目に行こうって私が言ったら、貴方は“良かったら家で飲もう”って誘ったわよね。私としては願ったり叶ったりだったけど、部屋に入ると余りにも綺麗に片付いていたから、これは誘い方といい、かなり女の扱いに慣れているなって思ったの」と真涼子は言う。
「それは、考え過ぎだよ、実際、この部屋に女気無いって判るだろ?」祐輔は有りのままを言って、史帆のお泊りに備えて前日に大掃除したことが幸いした事に苦笑いをした。
「まあ、私としては、どうでもいいことだけど、私は誰とでも寝るような軽い女じゃ無いわよ」と、以外にも念を押すように言った。
そんな真涼子を横目に祐輔はシャワーを浴びて、冷蔵庫の有る台所に向かうと玄関の土間に手紙が見え、祐輔は拾い上げて送り主を見た瞬間、慌てて真涼子の姿を確認した。
そして真涼子に見られてはいけないと祐輔は台所を見渡し、通帳を隠すのにいいと聞いていた冷凍庫の奥にその手紙を仕舞い込んだ。
最近の女性は手紙を書く事を嫌がるのに、史帆に関しては電話より手紙が多く、今日みたいな日に呼び出し音が鳴って心臓が縮むよりはマシだと祐輔はほくそ笑んだ。
だが「何?どうしたの?」台所から戻った祐輔に真涼子は鋭く聞くので「別に、何も」とトボけると「そう?ならいいけど、女の忘れ物とかを隠しているんじゃないの?」と言ってまた大笑いをしたが、鋭い女の勘に祐輔はおもわず“ぶるっ”と背中が震えた。
咄嗟に冷凍庫に隠した手紙を祐輔は完全に忘れ、史帆からの電話と手紙が途絶えると自然消滅のように二人は別れ、真涼子と真面目に付き合うようになっていた。
電車で偶然出会った祐輔と真涼子はその日の内に自然に結ばれ、川澄史帆とは一年経っても結ばれないままに別れた。
祐輔には二人を比較するつもりは無いが、真涼子との生活は特に波風も立たずに一年近く月日が経ち“真涼子は俺にとって運命の人だった”と祐輔が確信を抱いた頃に、真涼子は唐突に「両親とイギリスに引っ越す」と言った。
「そんな嘘だろ」と焦りを隠せずに追い縋る祐輔に、真涼子が「たまに遊びに来て」と無責任な言葉を残し笑顔で去って行ったのは、まだ寒さの厳しい三月の始めだった。
その後遺症という訳でも無くそれから三年後就職が決まって部屋を出たが、独身寮に移る時に手伝いに来ていた母親が、部屋の掃除を終えて冷凍庫の中に眠っていた手紙を親切にも教科書と一緒に持ち帰っていたとは知らなかった。
福岡癌センターに入院して二週間が過ぎた鏡原祐輔の病状は、表向きは一進一退を繰り返しながら、肝臓内の癌細胞が少しずつ大きくなっていることを本人も自覚していた。
もう未練を断ち切ろうと家族写真を実家に残してきた祐輔は、時折交換日記と手紙を読み、病魔と戦う日々の中でほんのささやかな癒しを感じていた。
見舞いといえば、成宮浩二と典子で、二人は共に町役場に通いながら何かと言っては病室に顔を出してくれた。
「おっまた読んでるな、傷まないようにラミネートでも貼るか」浩二が手紙を読んでいた祐輔をからかうと「そんな、プライバシーの侵害ですよ」と慌てて典子が夫をたしなめた。
「いや、いいんですよ。若い時の手紙を読み返しているだけですから」と言った後、狭い街のこと年齢も近い典子が知っている可能性は有ると思い、祐輔は典子に封筒を渡して「この川澄史帆さんをご存知無いですか?」と聞いた。
手紙を手にした典子が「私には覚えは無いですね」と答えた後に、宛先を見て「東京の住所なんですね」と聞くので「そうです。今から二十年以上前、学生の頃住んでいたアパートに福岡に住む同郷の女の子から届いた手紙なんです」と祐輔は照れた表情で言った。
すると典子は頭を傾げながら「福岡から……ですか?ねえ、貴方、そのメガネ貸して」と典子は言うと浩二のメガネレンズを虫眼鏡にして切手の消印を覗きこんだ。
「どうした?何か気になる事でも有るのか?」と尋ねる夫に典子は「ねえ、これ羽田空港の消印よね」と夫に確かめさせると「確かに羽田だ」と浩二も言った。
過ぎ去った歳月で消印は丸い形と赤い色を僅かに残しているだけで、そこに有る滲んだ文字を見過ごしていた祐輔は「えっ?羽田って読めるんですか?」と聞いていた。
「ええ、上から日付、中央に空港ビルと飛行機の絵、一番下に東京羽田空港と入っています」と言う典子の手から「日付も読めるんですか?」と手紙とメガネを受け取り、祐輔も目を凝らして見たがぼやけて確認は出来ない。
「年号は読めませんが、日付は八月十六日で間違いないですよ」と典子は断言した。
この手紙が間違いなく八月十六日に羽田空港郵便局で消印を押されたとすれば、川澄史帆はこの日に東京に来ていたことに成る。
十四日に史帆と会い、気まずい雰囲気のままで別れた翌日の十五日に祐輔は予定通り福岡から東京に帰っていた。
あの日、史帆は東京に行くとは言っていなかったのに、突然のように十六日に東京に来た目的は何だったのか?そして何故祐輔に東京に来ていると伝えなかったのか?祐輔はその答えの可能性として或る一つの考えに辿り着いた。
“何てことだ”祐輔は自分の頭を抱え込み“俺は人として最低のことをしてしまった”悔やんでも悔やみ切れない憤りに襲われていた。
「何だ?祐輔、どうした?急に黙りこんで」浩二が典子と一緒になって、明らかに動揺している祐輔を覗き込む。
すると祐輔は二人を見て「会えないだろうか?」と言葉を絞り出すと「誰だ?この手紙の川澄史帆さんか?」と浩二が聞くと祐輔は大きく頷き「一言謝りたいんだ。俺はあの人に謝らないと死んでも死に切れない」と縋るような目をして真剣な表情で言った。
「理由を聞かせろよ、話によっては連れて来るから」と言う浩二に祐輔は重い口を開いた。
それは祐輔が描いた確信めいた推測だった。
八月十四日、お盆休みに帰った祐輔と会った史帆は祐輔の冷たい態度に女の影を感じ取ると、その事実を確かめようと東京に向かった。
だが心中には祐輔がクリスマス・イブの夜、肺炎に成っても待ってくれていたと言う事実の支えが有り、今も私だけを愛してくれていると信じる心が有った。
“私はあなたを信じるわ”そんな自信を持ってアパートに向かったが、そこには明らかに東京で知り合ったと思われる女が居て、史帆の甘い夢を砕く現実が待っていた。
そんな祐輔の推測した話を聞き終えた浩二が「なる程ね、そう言う事なら手紙の内容と消印の日付が一致するな」と典子に同意を求めるように言うと「それが事実ならその時のショックは相当のものだったでしょうね」と典子は言った。
すると祐輔は「その日から電話も手紙も途絶えたのに、俺はその理由も確かめずに、寧ろ都合よく捉えて真涼子と付き合いを続けたんだ」と唇を噛んだ。
「確かに史帆さんのその時のショックを考えると祐輔は恨まれても仕方ないし、謝りたい気持ちも充分に判るけど、でも祐輔、そうは言っても二十年以上も前の出来事なんだろう。今更謝ったとしてもどうにも成らないさ」浩二は祐輔に諭すように言った。
ところが「いいじゃない、祐輔さんが、川澄史帆さん会って謝りたいのなら、その願いを叶えて上げましょうよ」と言って、夫に向けた妻の目は“これは立派な遺言よ”と訴えていた。
祐輔と同じ四十二才の川澄史帆は普通に考えれば結婚をして子供もいるだろう、突然初恋の相手が入院先で会いたがっていると伝えても迷惑がられる可能性の方が高かった。
だがそんな不安を払拭するように「兎に角ね、彼女を探してみましょう。その後の事は、その時に考えればいいでしょう」典子が言うと「そうだな、お前の言う通りだ、まずは探してみよう」と浩二も後押しをするので、祐輔は今でも覚えている史帆の家を地図にして浩二に渡した。
川澄史帆は大学を卒業後、地元の銀行に勤め社内恋愛の末に結婚をした後で夫の転勤に伴って九州の各地を転居していたが、夫の横領事件が発覚し夫婦は離婚した。
その後史帆は、実家に身を寄せたが、離婚することで事件から逃れたと言う噂が後を絶たず、小さな町での生活に耐え切れずに一人家を出て行き、現在は行方不明だと言う事が成宮夫妻の調べで判った。
「ご両親は暫く住んで居たそうだが結局は売りに出し、今は別の家が建っていたよ」と、浩二は、会う度に少しずつ顔色が悪くなる祐輔に出来る限る淡々と話しをした。
「子供は居なかったのかな?」祐輔は落胆の色を隠せずに呟くように聞くと「それが、三年以上も子供が出来なくて病院で調べると奥さんに問題が有ると判って、まあそれが原因で旦那がホステスにのぼせ上げ、その内にたちの悪い女に引っ掛かりお金を貢ぎ、挙句に銀行の金に手を出して事件になったようだ」浩二は言った。
病室の窓の外は秋雨が朝から降り続き、もう間も無く冬の訪れを感じさせるような厚く黒い雲が空を覆っていた。
祐輔の脳裏には史帆がこの雨に傘を差し宛てなく彷徨姿が浮かび、不思議なほどに愛おしく思う感情が湧くと“なんて辛い人生を送っているんだ”と心の中でつぶやいた。
「それで、写真は手に入れてくれたかい?」祐輔が聞くと、浩二は「勿論」と言って、背広の内ポケットから銀行員時代の仲間四人とお揃いの制服姿で写る史帆の写真を出した。
史帆は左から二番目に居て二五才前後だろうか、その笑顔と大きな目があの頃のまま大人に成った印象を与える幸せに満ちた一枚だった。
しかしこれを選んだ浩二の手元には史帆の花嫁姿の写真や横領事件の記事も有るだろうが、祐輔は敢えてそれを見たいと言わなかった。
手元の写真を見ながら、これから更に史帆を探すには専門家が必要で、そんな余裕の無い祐輔は史帆への慕情を断ち切る覚悟を決め、写真を日記帳に挟んで枕元に置いた。
一度は手に入れた幸せな家庭が、子供が出来ないと言う理由で崩壊したのが事実で、その原因が史帆に有るのなら彼女の心の傷は今も癒えずにいるに違いなかった。
だが、明日知れぬ我が身の祐輔に何が出来る訳でも無く、行方知れない史帆の幸福を心で祈る以外無かった。
暦が十一月に変わると祐輔が故郷に帰って一ヶ月が経とうとしていた。
幸い先週までは癌の転移は無く、ドナーが現れれば直ぐに手術が出来る状態だが、季節が冬を過ぎ春を迎えるまでに、祐輔にドナー現れる可能性は風前の灯と言えた。
そんな時に意外な人物が祐輔の前に現れた。
告げられた訪問者の名前に祐輔が複雑な心境で身構えていると、ドアがノックされ聞き慣れたナースの「入りますよ」と言う声が届いた。
左腕に片腕式の杖をついて病室に現れた海道英樹は、見た目は若く体格も備わり、身なりもそれなりに整った好青年に見えた。
だが祐輔の顔を見ると、突然深々と頭を下げ「申し訳ございませんでした」と言うと、瞬く間に床に涙が止めど無く落ちはじめ、側に居たナースがその姿に驚きながら戸惑いを見せるので、祐輔は仕方なく「もういいから、そこの椅子に座って」と男に進めた。
心の準備などなかったが、妻子の命を奪った憎むべき加害者を初めて目にして、一言 “帰れ”と怒鳴って追い返すことをしなかった自分自身の感情は祐輔本人にも判らなかった。
“母娘の未来を奪った殺人者”としてテレビ、新聞を賑わせ、業務上過失致死罪の判決を受けて収監された海道英樹がその後どんな苦しみを味わったにしろ、祐輔が一番憎むべき相手、殺しても殺し足りない人物で有ることに何らかわりはなかった。
海道に下った判決は懲役四年の実刑だったが、病院で半年過ごした海道は刑務所には二年服役をしただけで出てきたことに成る。
“もう出てきたのか”と嫌味を言おうと思い海道を睨むと、椅子に座ろうともせずに怯えて震えている姿は重度の鬱病を患っているようにも見え、祐輔は出鼻をくじかれた気分を味わっていた。
立ち尽くす男をナースが椅子に座らせると、海道英樹は長身の背中を丸め俯いたままで「申し訳ございませんでした」と再び謝り、両膝に置いた手の甲に涙を落とした。
一目見た好青年のイメージは表面上だけで、顔に表情を出すことも出来ず精神も不安定な男だと判ると、祐輔は為す術を失い途方に暮れ、余りにも複雑なお互いの関係を目の前にして、あの事故の関係者の全てが被害者なのかと改めて思い、加害者で有り被害者と成った目の前の海道英樹が少なくとも今は祐輔の敵では無いと感じていた。
始終俯いたまま無言でいそうな気配の海道に妙な威圧感を受ける祐輔は、仕方なく「今日は何処から来たんだ?」と聞くと、海道は少しだけ顔を上げ「東京から来ました」と声をだした。
事故当時二十四歳だった海道のか細い声がまるで未成年者のように聞こえ、祐輔が勝手に描いた高速道路で無理な追い越しをした世間知らずの身勝手な男のイメージが壊れて行くようだった。
二人の関係をそれとなく悟ったナースは、祐輔の脈を取り額に手を当て特に異常が無いと判ると、海道の足を気遣ってか「帰るときはナースコールを」と言って席を外した。
そして二人きりになると海道は祐輔の質問にぼそぼそと返事を返した。
海道は二週間前に出所をして、直ぐに両親に連絡を取ったが弁護士から、事故後に離婚をした両親から海道は会うことを拒否され、仕方なく弁護士の指定したホテルに行ったと言う。
すると弁護士から住み込みの働き先も見つけていると言われ、その前にどうしても祐輔に会って詫びたいと頼むと、弁護士は祐輔の妻の実家に電話を入れて、妹の荻野淑子からここの連絡先を聞いて教えて貰ったと言った。
だから「東京へ帰ったら直ぐに働きます」と言う海道に、祐輔が「そうか」とだけ言うと「今日はホテルに泊まるので明日も来ていいですか?」と聞かれると「ああいいよ」と反射的に返事をした。
こんな日が来るなんて一切考えていなかった祐輔は、明日も会う事になった事実に困惑しながら、この状況を伝えようと浩二に電話を掛けた。
「ええっ!?本当か?本当に海道がそこに来たのか?」成宮浩二は祐輔以上に加害者、海道の訪問に驚き「何しに来たんだ?」と興奮して聞いた。
すると祐輔が「一言謝りたいと言っていたよ」と呑気な返事を返すと「おい、祐輔、ふざけているのか?あんな奴に会う必要は全く無いんだぞ。それにしても図々しい奴だな。病院の場所を誰に聞いたんだろう?教えた奴は誰だ?」と浩二の興奮はヒートアップした。
そして「明日も来るのか!判った。それなら俺が行ってぶん殴ってやる」と本気で言うので「明日は仕事だろ、無理するな。殴りたく成ったら俺が殴るから、取り敢えずは俺からの電話を待っていてくれ」と言って、祐輔は浩二を宥めると電話を切った。
祐輔が浩二を海道に会わせることを躊躇ったのは、海道の成の果てを見て気落ちさせるより、憎み続けることが、浩二のためにいいのではと思ったからだった。
断じて会うことは無いと思っていた男が、吹けば飛ぶような抜け殻の状態で目の前に現れ、縋るように泣いて詫びる姿に、祐輔には少しだけ満足する感情が生まれたような気がしていた。
海道の不幸話を聞いて溜飲を下げることが、一時の気晴らしに成るのか祐輔には判らないが、海道の苦しんでいる姿をもう少し見たいと思う心と、これ以上の関わりを持つなと言う心が揺れながら、こんな不愉快な思いをするのは俺一人で充分だと思っていた。
翌日の午後一時、海道は部屋に一人で来ると、昨日祐輔が会ってくれた事へのお礼を言った。
祐輔が話さない限り、何かを聞かない限り、海道が自分から話を始める様子は無く、だからと言って二人で沈黙を続ける訳にも行かず、まずはこの態勢を変えようと祐輔がベッドから出て下に降りようとした時、 枕元に置いた日記帳が床に落ち、その弾みで史帆の写真が空を舞った。
祐輔が“あっ”と声を出すのと同時に、床にしゃがんだ海道がその写真を拾い上げ「これ奥さんですね」と、床に正座をすると写真を両手で持ち「すいませんでした」と泣き始めたために、祐輔は海道の勘違いを正す機会を逸してしまった。
それでも祐輔は海道から写真を取り「この人は俺の初恋の人なんだ」と言うと、海道は呆然として「初恋のひとですか」とオウム返しのように呟き、そして一呼吸置いて「綺麗な人ですね」と言った。
何故そんな事を言ったのか祐輔には全く判らない。
一時間近く一緒にいて“もう帰ってくれ”と言えない自分に“やはり憎みきれない”と思いながら、目の前の海道に確かに困惑はしていたが、史帆の写真を見て“綺麗な人ですね”と言った海道に“彼女を探している”と言った事は、口が滑ったとしか思えなかった。
だから「僕が探しましょうか?」と海道に言われた時も“何で君が”と否定をせず「素人には無理だよ」と、まるで友人に話すように返事をしたのだ。
それが償いの欠片にでも成ると言う気持ちは互いの心には無く、大切な人を探し出したいという純粋な気持ちだけが有ったことはお互いに判っていたのかも知れない。
だから「写真をコピーさせて下さい」と言った海道に祐輔は逆らわずに、持ち合わせた情報も全て教え部屋を出る海道を黙って見送った。
“何も期待はしない”と、親族にドナー検査を拒否された時の誓いは今も生きていたが、本能的に生に執着する心の奥で蠢き“見つけてくれるかもしれない”と、期待していたのかは判らなかった。
ただ、そんなことも忘れ、過ぎゆく時の中で自分と同じ境遇の闘病者と励まし合い、そして亡くなる人を見送りながら、祐輔自身も少しずつその覚悟を向かい入れてその時を待っていた。
そうしてまで覚悟を決めているのに、銀杏の枝が粉雪舞う風に煽られ揺れる光景に、真冬を迎え今年の終りを突き付けられると、温かい部屋に居るというのに寒気を感じ震えが襲った。
そして新しい年を迎え、東京で入院した日から三ヶ月が過ぎると、医者の診断を裏付けるように祐輔の症状は悪化し、もはやモルヒネで痛みを抑えるだけの治療に成っていた。
枕元にお守りのように置かれた日記の横に眠る祐輔は、黒ずんで窪んだ眼球を黄疸が覆い、ミイラのように痩せ細った身体は枯れ果て、風邪の症状でもその生命を断つ状況で、見舞いの浩二も雑菌を持ち込まないように医療服に着替えて部屋に入る。
ここまで症状が進んでも祐輔の両親は共に寝たきりの為に、下手に心配事を増やしては身体に悪いと考えて詳しい状況は伝えられず、成宮夫妻がいつでも看取れるように交代で来ていた。
意識を取り戻したか思えば再び混濁し、時間の経過と共に意思の疎通も難しなると、祐輔は朦朧とした意識の中で譫言を呟くようになり“指輪、手紙、史帆”と、声にした。
亡くなった妻子の名前を呼ばないのは、既に記憶から消え去っているのかと浩二は思いながら、それならそれで悲しみも薄れるだろうと目尻に滲んだ祐輔の涙をガーゼで拭き取った。
八月十六日、二回目に訪れた吉祥寺のアパート周辺に人影は少なく、一人で街に佇むせいか真夏の日差しが意地悪く纏わりつき、日傘の無い史帆はハンカチで額の汗を拭いた。
一昨日の祐輔の態度に不信感を抱いたのは事実だったが、それよりも祐輔を信頼する気持ちが優っていた史帆は、自分が突然目の前に現れる事で祐輔の驚きながらも喜ぶ顔を見たくて、アパートの階段を登り二階の部屋の前に立つと一呼吸してドアをノックした。
コンコンと乾いたドアの音に近くで鳴く蝉の声が重なり、祐輔からの返事が無いことに不思議な孤独感を覚えながら「祐輔居ないの?私、史帆よ、福岡から会いに来たのよ」と史帆はドアに向かって願うように声を出した。
だが室内からはウオンウオンと何かの機械音が聞こえるだけで祐輔からの返事は無く、史帆は仕方なく背中に太陽の熱光線を受けながら屈み込むと、ドアに有る郵便受けの小窓の蓋を指で押し開け室内を覗き込んだ。
すると玄関土間に祐輔の運動靴と紫色のパンプスが目に入り、史帆は思わず息を呑み慌てて顔を上げ“女が居る”と心が叫ぶと、史帆を動悸が襲い目眩がした。
現実に見せつけられた光景、それは史帆にとって想像を絶する心の悲鳴をあげ、怒りと悲しみ絶望と憎悪、全ての感情が剥き出しになり自分ではどうにも出来ずに立ち尽くした。
そして吹き荒れる感情の嵐に耐え切れず立ち去ろうとした瞬間に、明らかにドア一枚隔てた台所に人の気配を感じ、史帆は無意識にドア横の壁に身体を貼り付け耳を澄ませた。
“祐輔か?女か?”それを確かめて自分自身がどう言う行動を取るのかは想像出来なかったが、史帆は心臓の高鳴りを感じながら自分を落ち着かせようと呼吸を整えた。
すると突然「何か飲む?」室内から響いたその声は少しハスキーな感じで史帆は大人の女を連想し、そして意外と冷静に女の声を聞いている自分に戸惑った。
声を聞いたら次に相手の顔を見たく成るのは人間の性なのだろうか?史帆は恐る恐るドアの前に身体を移動すると再び少しずつしゃがみ込んだ。
さっき覗き込んで見た台所の残像は有る、その場所に女が居れば間違い無く見ることが出来ると史帆は覚悟を決め再び小窓の蓋を押し上げた。
そして息を殺して覗きこむと、そこには裸の女が、何も身に着けていない女の後ろ姿が史帆の目に飛び込んだ。
背中まで伸びた黒髪の毛先が白く均整の取れた裸体に、汗に濡れているのか張り付き、女の動きに合わせて妖艶さを漂わせ揺れていた。
女は冷蔵庫の冷気に火照った身体を押し当てているようにも見え、中々その態勢を変えないので、史帆は覗くのを止めて額に湧いた汗を拭くと壁に背中をあてて深呼吸をした。
背中に感じるモルタルの熱と真夏の日差しの中で姿を見せずに泣き続ける蝉の声、何もかもが不愉快な気持ちを増長させ、史帆よりも背は高く、張りの有るふくよかな臀部の残像に女としての敗北感が湧き、さっきまでの激情が全身から引いていくのが判った。
そして自然に涙が溢れだし頬を伝わるのを感じると、無意識に手の甲で拭いながらその涙の冷たさに我を忘れ心の思うままに嗚咽を堪えて泣いた。
そうしようと思ったのは自分自身の感情が命令した結果で、史帆はその事が実に有意義で納得の出来る行動だと心に決めて、薬指からルビーの指輪を外し、ドアの小窓から室内に勢いよく投げ捨てた。
女はまだ台所に居るだろうか?指輪に気付きそれを祐輔に見せて詰め寄って居るだろうか?そして指輪の持ち主に気付いた祐輔は追って来るだろうか?史帆はそんな事を思いながら急ぎ足でアパートから離れて行った。
羽田空港に着きチケットの変更を済ませレストランに入るとアイスティーを頼んだ。
身震いする程に冷えた空間は、僅か一時間前の暑さと興奮を何事も無かったように消し去ろうとしていたが、史帆の脳裏には名前も顔も知らないあの女の裸が浮かび、その姿が美しいと感じている自分に驚いていた。
そして自分自身が如何に幼かったのかと後悔する思いが押し寄せると、今更遅いと判っても、いても立ってもいられない気持ちが湧き上がった。
しかし女としての魅力の無さを認めつつも、心の奥底にはマグマのように沸騰する怒りが今にも爆発し溢れ出ようとしていたが、その矛先を向けるべき相手が史帆には見つけられないでいた。
誰が悪いのか?祐輔?あの女?私自身?考えれば考える程に敗北感と自己嫌悪が湧き、史帆はやるせない気持ちのままで氷の溶けたアイスティーを飲んだ。
レストランに出入りする人達、店の外を往来する人の群れを目で追い、そして眼下に空港関係者の乗る特殊車両が走る光景に目を奪われながら、史帆は平穏に暮らすことが如何に幸福かと思わずにはいられなかった。
いずれにしろ万が一祐輔が謝ったとしても、史帆には許すと言う選択肢は無いと自分自身が判っていたから、敗北には潔さが必要だと冷静に考えた結果、祐輔をこれ以上縛り付けるのは止めようと思い書店で便箋と封筒を買った。
八月一六日、郵便受けから投げ入れられた指輪に気付いた真涼子は、それを手に取りながらもこの有り得ない出来事に戸惑った。
祐輔と付き合い始めて今日まで女の影を感じなかった真涼子だが、投げ入れられた指輪の意味は一つしか無く祐輔の浮気を疑うのは当然の事だった。
だが、指輪を突き付け詰め寄る事が出来ないまま二日が経ち、八月十八日、その祐輔が今度は何かを台所の何処かに隠したと確信すると、祐輔の外出時に真涼子は冷凍庫の中から川澄史帆と書かれた手紙を見つけ出した。
勝ち誇ったようにその手紙を見据えて、薄っすらと覆っていた霜が溶けるのを待ちながら一瞬開けようかと迷ったが、これ以上は気分を害したくないと真涼子は思い留まった。
だが指輪に続いて手紙が出て来た事で真涼子は祐輔に怒りを覚え、生まれて初めて不快感に苛まれた事が自分自身で納得出来ずに、その腹癒せにセロテープで指輪を手紙に貼り付け元の場所に戻した。
祐輔がこれを発見した時の顔を思いながら、その時が来るのを待ったが、その日は訪れないまま真涼子の記憶からも消え去り、ズルズルと続いた付き合いは父親の転勤でアッサリと幕を引き「たまに遊びに来て」と、真涼子は祐輔に心置きなく捨て台詞を残し機上の人と成った。
医師は早くからアメリカでの移植には一億円に近いお金が掛かると言った。
祐輔が手にした保険金一億八千万は荻野淑子の両親に渡っているので、荻野家から手術費を借りられないかと浩二も早くから言っていたが祐輔がそれを頑なに拒否していた。
その気持も判らなくは無かったが、自殺に等しい行為をする祐輔の人生を振り返ると、浩二は奇跡が起こって助けて欲しいと本気で願わずにはいられなかった。
そして時は流れ季節は移った。
歩道には春爛漫の花が咲き乱れ、頬をくすぐる風が桜並木の花びらを散らすと、映画の一場面のように目に映え、史帆の押す車椅子に乗った祐輔は振り向き、史帆の満面の笑みを見てまるで夢の中に居るような錯覚を感じていた。
何かにつけて今は亡き妻、友希と娘、佳菜子を思い出す祐輔に、史帆は決して文句を言わずに、二人で居る事の感謝の言葉を口にして、祐輔と未来を共に生きる喜びを語る。
大阪の南新地でホステスをしていた史帆を探し当てたのは海道が依頼した探偵社で、借金に縛られていた史帆を自由の身にしたのも海道英樹だった。
海道は今日までの経緯を史帆に話すと直ぐに祐輔に会いに行くように言った。
そして祐輔と入籍を済ませた史帆が、自分の子供を祐輔のドナーに希望すると、奇跡的に手術は成功し、史帆の子供はその後海外で暮らしを始めた。
そして奇跡的に元気に成った祐輔が、電話でその子に「有難う」と、何度もお礼を言いながらも、史帆は子供が産めない身体で有り、その子が史帆の養子である事を知っていた。
つまり差し迫った状況で養子縁組に応じ、ドナーに成ることを承諾した人物が、祐輔には一人だけ心当りが有ったが、敢えてその事には触れないことにした。
全ては天の導く運命であり、泣くも笑うもここで生きる全ての者達の生き様の結晶で有るのならば、どんな形であれ三人が家族であることは法律でも認められていることで有り、移植が済んだからといって除籍をする意思は祐輔と史帆には無く、これからも心でも繋がった家族で居る自信が有った。
「あなた、日記を約束通りに持っていてくれて有難う」と、史帆が言うと「君が日記に書いたように二人の宝物になったね」と祐輔が天を仰いで言った。
すると志帆は「随分遠回りしたけど、やっと貴方の元に帰って来たわ」と言って、薬指に光るルビーの指輪を澄みきった青空に翳して笑った。
初めての投函です。ぜひご意見を下さい。