骨折しました
「……あ」
「お」
今朝、いつもの様に……まだこいつが来てから3日目だしいつもと言っていいか分からんがともかく、ライアを連れて大学に行こうとすると、ばったり絵詞 絵梨華……昨日の幽霊女に出くわした。
どうやら部屋を出るタイミングが一緒だったっぽい。
……ところで、全然関係ないが、こういうのってよくあるよな。昨日までは全然知らなかった物が、知った途端次々と目に入るようになるって現象。確か心理学ではちゃんと名前も付いてる事象らしいが。
「……おはよう」
「……ああ、おはよう」
「おはようございます! 絵詞さん!」
挨拶してくるからとりあえず挨拶を返す。別に関わりたい訳でも、仲を深めたい訳でもないのでなるべくそっけなく。ライアは無駄に元気一杯挨拶してたが。
「昨日は……眠れた? 私のせいで……眠れなかったら……ごめんね?」
「いえいえ全然、健人さんはぐっすり寝てました!」
「なぜお前が答える……まぁ、寝れたよ。音の原因も分かったしな」
「そう……なら、良かった。これからは、なるべくうるさくしないように……絵を書くから」
そう、昨日のしゃ……しゃ……という音の原因。
それはこの絵詞 絵梨華が絵を書いてる音だったのだ。
昨夜、俺たちが絵詞の部屋に突撃した時、絵詞は絵を書いていたらしい。
昨夜は特に力が入り、ついうるさくしてしまったとの事だ。
騒々しくて申し訳ないと絵詞は謝ってきたが、もともと謝りに来たのは俺らの方だから、なんとも言えない空気になってしまったのは覚えている。
「いや、ただ昨日がちょっとホラー映画見てきて神経が過敏になっただけだから、別にそんな気にする必要はない」
「ホラー映画……? 怖いのが、好きなの?」
「いや、何というか、成り行き上……」
「健人さんが私を騙したんです! ラブストーリー見るぞとか言って! ひどいですよね!?」
「……騙すのは、良くない……めっ」
「……反省してるよ」
人差し指を立て、めってされた。
というかなぜ怒られてるんだ俺は……。
「うん、反省したなら……えらいえらい」
そう言って、俺の頭を撫でてきた。
柔らかい感触が、俺の頭を往復する。
「な、何?」
「……あっ、ごめんね……」
そう言って、絵詞は手を離した。
とても残念そうな表情だが、急に頭撫でられても反応に……なんというか、その、困る。
「いや別に謝るほどの事じゃないが……」
悲しい事に、俺は初対面の女に子供扱いされるのは慣れている。
この身長と女顔のせいでな。
というか、改めて絵詞を見るが……こいつも背ぇ高いんだよな……あと、胸もでかい。ライアと殆ど同じくらいある気がする。そんでもって特に太っているわけでもなく、寧ろそのでかい胸以外は痩せてるんだから余計にその胸が目立つ。
顔も……前髪が少しもっさりしてるのでぱっと見分からないが、よくよく見ると端正な顔立ちだ。
地味なのにスタイルのいい美人というまるで都合のいい萌えキャラみたいな女性に頭を撫でられて、嫌な気分はしない。
「私、可愛いのが好きだから……つい」
「……」
どうして女というのは、男に向かって可愛いと言うのだろう……。
男に可愛い所なんて一つもないと思うのだが。
頭の中はモテたいとかハーレム作りたいとか、性の事で9割。残りの1割だってロクなもんじゃないぞ。異世界に行って冒険したいとか、もっと名誉や地位が欲しいとか、そんな事しか考えてない男が大半だと思う。
実際問題一昔前の俺は、そんな単純で自分勝手な事しか考えてなかった。
まぁ今の俺は……そんなもん、全部どうでもいいだけどな。
「もう、絵詞さん。ダメですよ。健人さんは素直じゃないんで、そんな風に真正面から褒められると照れちゃってまともに反応できませんからね。例えばこう、髪型が可愛いねとか、声が可愛いねとか、そういう風に褒めませんと」
「……そうなの?」
「そうじゃねえよ!! 勝手に決めんな!! もういい俺は行く!!」
「あっ、待ってくださいよ~~」
いつまでも可愛い可愛いと褒められてたら何だか全身が痒くなってきそうだったので、俺は怒鳴ってずんずんと勢い良く階段を降りていく。
……いや、降りて行こうとして……足を、踏み外した。
「……え」
うそ、マジか。
そう思ったのは一瞬で……俺はバランスを崩し、階段を文字通り転がり落ちた。
「ぐおおおおおおおおお!?」
「け、健人さーん!?」
「さ、佐々木くん……!」
人間、びっくりすると叫ぶ事しか出来ないらしい。
こんな大声を出したのはいつ以来だと思うレベルの大声を上げながら、どんどん転がり落ちて行った。ライアや絵詞の声が聞こえるが、脳みその処理が追いつかない。
な、なんつー不運……!
そう思ったのは一瞬で、あとは全身をそこかしこにぶつけながら転がり落ち、やがて1階の地面に到着。
「び、びっくりしたぜ……」
「健人さん、大丈夫ですか!? ああ、まさか階段から落ちる事で無理やり今の会話にオチを作るなんて……しかもオチと落ちるをダジャレさせるとは……!」
「俺はそこまで芸人気質じゃねえよ!?」
大声で突っ込む。ツッコんでから怪我に響くと思ったが、何故か全身が全く痛くない。
不思議に思っていると、ライアが解説してくれた。
「健人さんの身体から、痛覚を抜いておきました。痛くないですよね?」
「お、おお……ありがとうよ……」
……できれば階段から転ぶ前に予知とかして助けて欲しかったが、高望みをするのはよくないだろう。
本来なら――まぁ打撲程度だろうが――痛みでのたうち回っているのだから、それがないだけありがたい話だ。
……つか、つい素直にライアにありがとうなんて言っちまったな……。
今までぶっきらぼうに接していただけに、ライアも驚いているようだ。
「け、健人さんにお礼言われちゃいました……えへへ、嬉しいですぅ……」
頬に手を当て、喜んでいるライア。
……ったく、何がそんなにいいのかね。
こんな俺の、どこが……
「さ、佐々木くん……!」
そう思っていたら絵詞 絵梨華が、びっくりした声を出しながら俺に近付いてきた。
えらく顔が真っ青だが、一体何があったんだろう。
「どうした絵詞、別に俺は平気だぞ? どうしてそんなに深刻そうな顔をしてるんだ?」
「だ、だって、右腕……」
絵詞が俺の右腕を指差す。
右腕? 別に痛みも何も感じないが……と思って見ると……
俺の右腕が、あらぬ方向に曲がっていた。
「な、なんだとおおおおおおおおおおおお!?」
俺は思わず叫んだのであった。
「骨折ですね。全治一ヶ月です」
直行した病院で医者にそう言われ、ギブスを巻いてもらった俺と滅茶苦茶落ち込んだ顔してるライアは、無言のまま病院を出た。
「……」
「……」
「……」
「……」
「ライアよ……」
「はい……」
「これからは、痛覚を抜くとかじゃなくて、普通に助けてくれた方が、いいかな……」
「はい……」
その後、大学に行く気分にもなれず、俺とライアは静かに家に帰ったのであった。