闘うことと見つけたり
「俺たちは、もっと別の形で出会えていたら――」
それは、心からの言葉というわけではなかった。
もしかしたらそんな道もあったかもしれない、という、漠然とした期待。
もはやこの道を逸せないから零れた、夢想じみた言葉。
「だから――それが甘いと言っているだろうがッ!」
男の咆哮が、強引な叫びと共に遮られる。
拳が強襲。避ける暇も反撃の間も与えられず、眼前で腕を交差させて防御体制をとる。直後、強烈な打撃が交差点に炸裂。
凄まじい衝撃と勢いに、耐え切れず彼はたたらを踏んで数歩退がった。
無防備たる彼に、男は迷わず追撃を選ぶ。跳躍のような前進は瞬く間に開いた距離をゼロに変え、ガードの上からさらに打撃。
また後退。
己を包む強靭な兵装――全身を覆い尽くす特殊合金製の装甲は、一介の対戦車榴弾を凌ぐと言われている。だというのに、男の攻撃は生身で銃弾を受け止めたかのような凄まじい威力があった。
彼ら『機械化白兵』は、人ならざる者から人々を守るために戦っていた。
ならばなぜ、俺はこの男と戦っているのか――。
もはや理由など誰も分からない。
ただ分かるのは、唯一残った己が目の前のこの男を倒さねばならぬということだった。
「死ぬのが怖いかッ!?」
「ああ、怖い! だが――」
さらに追撃。
彼はいつものように体を動かす。選択するのは防御ではなく、攻撃――全身の装甲が、これまでの戦闘で蓄積した癖や多用する行動から、それに該当する動きを検索。該当したデータで適切に肉体を強化し、動きを補助する。
撃ちぬかれる拳に、拳が衝突――衝撃が波紋となって大気に伝播し、弾かれる。
「ここで負ける方が、よっぽど怖い!」
これまでの戦いで命を落としてきた仲間、戦友、そして恋人。脳裏によぎる己を支えてくれた数々の者らの期待、願いは、その強靭な肉体を持つ男とはいえあまりにも大きすぎた。
だが機械化白兵。強化された肉体にとって、それくらいが丁度いい。
「だが、圧倒的な力は根性ではどうしようもない。超えるべき壁はあろうとも、それを打ち破る時間も、越える暇もない!」
「お前が倒れるまで俺が立ち続ける。それだけでいい!」
男の言葉に答えるように拳を握る。だが右の手の感覚は既に失せていた。見るまでもなく、装甲はひしゃげ、骨がずたずたに砕けている。先の衝撃に耐え切れなかったようだ。
「強くなったな――少佐。どれほどのものを犠牲にしてきた、その外道の力を手に入れるために!」
今は敢えて、そう呼んだ。
かつて戦場を共にした男の肩書き。かつて背を合わせ命を預けあった仲間の階級。
敵対していた部隊を滅ぼし、謀反した敵のかつての字名を。
「無駄口はいい。貴様が望むなら、そうしよう――曹長、時間だ。死に絶えろ」
男の冷酷な言葉は、その攻撃の肉薄と共にやってきた。
右腕肘半ばが膨張したかと思えば、腕は見事な一振りの剣となる。
対する男は、気がつけばボロボロと全身の装甲が崩れ落ちていた。あらわにも無防備に晒される鍛え抜かれた肉体の露出。
都市の崩壊、その中心で行われる最期の殺し合いの戦火に晒されるその身は、崩落した建造物よりも脆く柔く見えた。
皮肉にも残ったのは、既に機能しない右腕の手甲のみ。
十分だ。
男の口元は、そうに釣り上がった。
「全てのために、俺はお前を倒す」
「オレのために、オレはお前を倒す」
両者は両者に牙を向き、地面を弾く。その己の最大の力を込めた刃を、拳を振るい――交差する。
男の刃に鮮血が付着し、過ぎたる軌道を血で描く。その一方で――腹を穿った彼の拳は、その男の腹部に大穴を開けていた。
――その二名の命は、残り僅か。喉を切り裂かれた彼は口から血を泡にして吹き出し、男は腹を押さえて脱力するように地面に倒れる。
全てが終わった。
悲しくも正しい終わり方――であるべきはずだった。
世界は未だ終わらない。終わらせない。戦いを、血を欲するようにそれを促し、行動する。
それは正義を背負った男の機関の仕業かもしれない。また異なる正義を志した男の最後の力が為した技かもしれない。
だがそれは少なくとも誰もが望まぬ形で出現し、効果を及ぼした。
――二人を中心に大地は黒く染まりあがる。影のような漆黒は、瓦礫を、灼熱を全て飲み込んだ。
そしてそうした刹那、影と、世界の境界から沸き上がる影が立体に空へと飛び上がり、半球を作るように飲み込み――。
その瞬間を境に、男が望んだように、男が拒んだように、崩壊した都市と共に世界から消え去り――その闘争の存在の一切を、全てのものが忘却した。
宵闇の雨はまだ降りだしたばかりで、男は全身が小雨でずぶ濡れになった寒さで目を覚ました。
大気は冷え切り、水たまりは凍っているのかと錯覚するほど凍てついている。全身の痛みと共に身体を起こすが――痛みはない。
何故だろうか。考えた所で、また異変に気がついた。
頭の調子が悪い。
まるで突如として知能が低下したかのような違和感。
考える事全てにフィルターがかかるように、鮮明でなくなっている。いつもならば欲しい答えをまっすぐに考えるはずが、遠回りしているような感覚。舌打ちと共にまず最初にすべきだった肉体の調子を確認する。
指を動かし、足を動かし、腕を動かし、立ち上がる。やはり痛みはなく――だが視点はやや低い。
吐息を白く染めながら、半裸の男は多くを見下ろすビルの屋上に立っていることを認識した。
「北極よりマシだ」
自分を慰めるためにそう言ってみる。実際は北極など、作戦でその上空を航空機で通過したことしかないのだが――ともあれ、寒くて仕方がなかった。
右腕の装甲すら無く、またビルから見下ろす街並みもどこか古臭い。ネオンが目に痛い夜の街に、鮮やかな色の傘を手に手に歩く往来の連中は、さすがにそれほど多くはなかった。
「どこだ、ここ」
装備の一切が失われている。どちらにせよ、あの戦いで壊れてしまった。『変身』したとしても、無線などの後方支援は期待できそうにない。
そもそも爆発などなかったはずなのに、なぜこのような場所に飛ばされてきているのか。
看板やネオンの文字を見るかぎり、日本で間違いはないようだ。わざわざ母国に飛ばされたのなら、それほど文句はない。
ともかく衛星通信でもしたかったが、生憎なことに金がない。そもそも、最終決戦前に財布などご丁寧に持っていくヤツがいるだろうか。もし居るなら、そいつは確実に通勤定期や携帯音楽プレーヤーも持っているはずだ。
そんな気楽に生きられれば……。
「ん?」
眼下の繁華街に、二つの大きな傘に挟まれた小さな傘が見える。親子連れだ。父母はまだ小さい少年の手をつなぎ、仲睦まじく歩いている。ごく平和的で、幸福的な光景だ。己が求めていたものの存在を認識して、彼は最確認する。
――戦いは終わった。
おそらく、傷が無いのは機関が回収し治療してくれたからだろう。体質のせいであの装甲は身体から切って離せぬ唯一無二の武器だったが、それは仕方がない。記憶が継続しているのは釈然としないが、機関は目的を終えて消滅。行き場のない己は、適当な場所に捨てられた。
そう考えるのが、ごく自然だった。
「ははっ、良かった。お幸せに、だな」
見知らぬ家族に思わず惹かれるのは、かつての己を投影してしまうからだろう。
自分の中にある最古の記憶は、確か似たようなものだった。
雨の中、翌日が休みだということで家族で外食をした。いつものように帰り、寝る間際に母親に子守唄をきかせられ、穏やかに眠りに落ちる筈だった。
悲劇はその帰宅中に起こる。
眼の前に突如として出現した男の姿。傘もささず、その手には刃物が握られている。最初は幼心に危ない人間だと認識していた。キ○ガイだと思っていた。だがその男はその刃を振りかぶって父の首を切り裂いたかと思うと――傷口に噛み付き、血をすすり肉を咀嚼し、喰らい始めた。
奴はバケモノだった。
それが、己がこの『機械化白兵』になる契機となる出来事だった。
「……ッ!?」
そして同様の事態が、眼下で起こっていた。
――金褐色の髪の男。彼はその手に、既に唸り声を上げているチェーンソーを構えていた。
次第に強くなりつつある雨の中、周囲の喧騒を飲み込むエンジンのけたたましい稼動音が繁華街に響き渡る。
ぞわり、と凍える大気の中で全身の毛が粟立った。
「うそだろ……いや、だが……」
男との距離は二十メートル弱。だが彼は既に、少年の父を見定めていた。
どこにでもいそうな平凡な男。そう目立つはずもないのに、正面にいるからというだけの理由で狙われた運の悪い中年男性。
――考えている暇はない。
精神が激しく揺さぶられる。
魂が慄える。
――心に炎が灯る時。
己の正義が体現する。
「特装ッ!」
その感情の変化が――精神感応する。瞬時にして周囲が高熱に晒され、瞬く間に辺りの水分が蒸発。煙を巻き起こすように、あたりは水蒸気に飲み込まれ――青年の肉体は、その刹那にして装甲を纏った。が……。
「くそ……まだ、なのか!?」
右腕の肘から先までの装甲。本来ならば全身を飲み込む強靭な装備は、だが最終決戦で衰えてしまったのか、壊れてしまったのか、本来の力を発揮し得なかった。
だが構わない。
男は思考する暇も惜しいと、十数メートルはあろうかというビルの屋上から飛び降りた。
眼下から吹き荒れる烈風が全身を嬲り、全身に弾丸が如く撃ちぬいてくる水のつぶては身体に触れる前に彼が纏う外気に蒸発していった。
胃の腑が浮き上がるような不快な浮遊感。自由の利かない落下感。だがそれは、堪えるよりも早く終了した。
爆発音じみた衝撃が、盛大な音を掻き鳴らした。
――周囲から悲鳴が湧き上がる中。
青年と言うべき外見を持った男は、やはりその場に居ること事態に、既知を覚えていた。
男の姿は違う。武器も違う。周囲の状況など、物心つく前だからそもそもおぼろげだった。
だが俺は知っている。
男はその既知の感覚に、言い知れぬ畏怖を味わった。
見たことがある、のではなく――知っている。俺はこの状況を知っている。
まさか、とは思う。
だがそれに答えを導く前に、本来ならば出来るであろう思考はそうするに至る前に、目の前の男は、彼にとって忌々しいほど聞きなれたシュマイザー……短機関銃のような細切れで甲高い叫び声を挙げて重量感があらわになるチェーンソーと共に襲いかかってきた。
「公僕は何をやっているッ!?」
こんな異常者が居るならすぐに気付けるだろうに――。
毒づきながら、高速回転する鋸を右腕で受け止める。小刻みに伝わってくる凄まじい衝撃に、また装甲が削られてあがる火花が全身に振りかかる。
だが、それでも装甲に傷ひとつ付けられない。削られているのは、鋸のほうだった。
「くそ、がァ――ッ!」
右腕でチェーンソーを弾き、男の懐が無防備に晒される。青年は深く踏み込んで――鳩尾を撃ちぬく。男はツバと共に大量の息を吐き出して、僅かに意識を白く染めた。そして白く剥くはずの瞳は黒く染まりあがり――。
男の肉体が変異する。
本能の赴くままに。
化物たる己を暴走させた際に起こる怪奇。その肉体は膨張し、衣服を引き裂き、骨をバキボキとへし折るような音を鳴らして――それは一回りほど大きくなった。
浅黒く染まる肌。瞳は黒く染まり、タテガミのような金褐色の髪は雨にぬれて肌に張り付く。ゴリラのような姿になる男は、すでにその握力でチェーンソーの持ち手を砕いて投げ捨てていた。
――やはりこいつだ。
青年は確信する。
己が幼少の頃、父親のみならず母親、周囲で逃げ惑う多くの者たちを食い散らかした異様な化物。
己がそれを契機に、その人ならざる者『突然変異体』、あるいは『暴走種』対策本部に保護され――。
まさか、やはり――否定できない。
「右腕装甲――回転ッ!」
腕に指示。音声認識する以前に意思を読み取った装甲は、瞬時に腕から引き剥がれ、個々を高速で回転させはじめた。
無防備な腹へ拳を撃ちぬく。銃弾も効かなかったその鋼の肉体は容易に血肉を弾かせ、その身体に大穴を開け始めた。
抵抗もなく、気がつけば心臓を破壊していて――急所を破壊された怪物は緩慢な動作で前のめりに倒れる。
男は装甲を解除して身を引き、それを回避しながら、家族連れへと振り返る。周囲の多くは逃げ惑っているのにも関わらず、その三人――正確には母親が腰を抜かし、父親がそれを庇う形で硬直していた。呆然とそれを見守る、傘も投げ出した少年の顔は……。
「やっぱり――ハギハラさん、大丈夫ですか?」
苗字を呼ぶと、男が驚いたように肩を弾ませる。
ビンゴだ。
彼は恐る恐ると言った様子で振り返り、男を見る。半裸の不審者だが、先ほどの怪物よりままだマシなはずだ。
「あ、の……ど、どちら様、でしょう……?」
――突然変異体対策本部『対ラーゼン機械化白兵部隊第一班』イチタカ・ハギハラ曹長だ。
そう名乗りたいのを堪えて、イチタカは頷いた。
「しがない自衛隊員ですよ。そのカバンから社員証が落ちてたんで」
指をさして、カバンの持ち手に引かかって吊り下げられいる社員証を示して笑う。
彼は二人――両親に深く頭を下げてから、少年を一瞥。それ以上関わること無く、その場を後にした。
見覚えのある敵。そして今では考えられない、何を契機にしたか分からぬタイミングでの突然変異。
やや古臭い建物。景色。
己の肉体の、若干の――最終決戦時より若返っている事実。だが、装備はそのまま維持されている。
そしてなによりも――あの萩原一家は自分の家族だった。そしてあの少年こそ、自分自身だった。
本当だったら両親は殺され、あそこで警察がかけつけ、だがそれさえも食い殺されて絶望し――対策本部が駆けつけて、保護されたわけだ。
先ほどのビルに戻り様子を伺えば、やはり見慣れた鋭い牙を二本生やす獣のマークを刻んだ一台のバンがやってきて、『ラーゼン』を回収していった。
ややあってから、自衛隊員が周囲の状況確認と現場の清掃にやってくる。彼らは既に対策本部からの事情が通っているはずだった。
――ならば何故、このような事になっているのか。
ただ意識が暗転したかと思ったが、やはり地面から漆黒に塗り固められた、あの異様な現象が原因か。
「それが、世界の選んだ新たな世界のあり方だ」
不意に背後から声が聴こえる。
飛び上がるようにして振り返ると――そこには軍帽を目深に被り、軍服の上に厚手のコートを肩に掛け仁王立ちする男の姿があった。
腰にはサーベル。襟章、そして胸につける階級章は少佐を示している。
つい先ほど――時間が巻き戻っている以上、感覚的に言うしか無いが――決着をつけたばかりの男は、そこに居た。
元、対ラーゼン機械化白兵部隊第一班、エアハルト・バッシュヒルデ少佐。
そして現、『対ラーゼン特殊対応機関』、エアハルト・バッシュヒルデ元帥。
――機械化白兵とは言うが、実際にあのような装甲を自在に装備できるのはほんの一握りしかいなかった。
わざわざ第一班と銘打ったが、部隊は一班しか存在していないし――彼がそこに所属するまでは、一般的なラーゼン対応班だった。
火器類を用いて部隊で動き、作戦通りにラーゼンを殲滅する。その内の一人だった。
この男、エアハルトに裏切られ、殺されるまでは。
「お前……やはり、少佐も、この世界に」
イチタカの言葉に、エアハルトはその口元を緩めた。
「その通りだ。ざっと見る限り、二十年近く前と言ったところか。不思議なことに、貴様は最後にあった頃から五年ほど若返っているらいしが」
「最後、だと? さっきの話じゃないのか」
「さっき……なるほど、なあ。どうやら貴様はついさっきここに飛ばされたようだな。だがオレは違う。今から十年ほど前――初めてラーゼンが出現した時代に飛ばされた」
おかしなことに、この肉体は歳を取らなかったがな。
エアハルトは自嘲気味にそう笑った。
「そして今の光景を見るかぎり、貴様はかつての貴様を救出したが――未来は変わらない。この世界にオレたちが干渉しても、世界はオレたちに干渉できないようだ」
「……どういう事だ」
軍帽を引き剥がし、雨に濡れた前髪を掻き上げる。
うんざりとした様子でポケットから細葉巻を取り出し、男は指を鳴らす。すると花火のようにその先から火花が散り、火が灯る。
紫煙をくゆらしてから、エアハルトはうんざりとしたように肩をすくめた。
「映画とかしらないのか? 大体は過去に干渉すれば未来が変異し、その未来に居るオレたちに変化が起こる」
「ああ」
「そして今貴様は、己の家族を助けたはずだ。これで貴様は対策本部に保護されないし、おそらくこれからラーゼンと関わりのない人生を歩むはずだ。だが、貴様は依然としてここにいるし、その肉体に変わりはない」
ならばどうする。
だからどうした。
この世界に自分が居るのだから、当然としてエアハルトも居る筈だ。そして彼は、イチタカの居る居ないに関わらず謀反する。
最終的にはイチタカ以外の機械化白兵が生き残れなかった所を見るに……。
「ここで過去のオレを、貴様は殺せるだろう。ラーゼンの根源を突き止めて滅殺できるだろう。だが何もせず、この世界での暮らしを――貴様が念じたように、これまで出来なかった平和な暮らしもできるだろう。そして、また」
一気に息を吸い込めば、葉巻は早くも半ばまで灰に姿を変えた。
鼻から口から煙を吐き出し、それを吹き出し、軍靴で踏みにじる。じゅう、と水たまりの中で音を鳴らし、エアハルトは嘆息した。
「万全の貴様と、万全のオレとの決着を付けることも――貴様が望んだように、別の出会い方をすることも、可能だ」
「――誰だ、お前?」
「ああ?」
低い声で、エアハルトが脅しにかかる。驚いたのか、すこしばかり上ずった声にイチタカは吹き出しそうになる。
そしてまた、エアハルトも少し考え、納得がいったのだろう。”芝居”に乗ってくれる。
初めて彼と出会った時の、再現を。
「貴様、上官にその口の利き方はどうかと思うがな。我がシュマイザーの金切り声を鼓膜に焼き付けさせるぞ」
「上官? って言うと、対応班の班長か?」
「馬鹿者が。理解できたなら口調を変えろというのだ」
「感じわりい。上官なら、部下を思いやってくださいよぉ、少佐殿?」
「貴様、階級章が理解できて言っていたのか?」
「だったら、どうするんです?」
「せっかく同じ部隊に配属されたのだ。思い知らせてやるさ」
――言い終えるとすぐに、まずイチタカが押し殺すようにくつくつと笑った。
続くようにエアハルトが、愉快そうに目を細めて笑い声を上げる。
「くく……はっはっは! 今思うと、これほど滑稽だったとはな。予想も出来なかっただろう」
「あっはっはっは、本当に……でもまさかこのあと裏切られるとは思わなかったしなあ」
多くのものは殺された。
だが少なくとも、現状を見るに――自分たちが居た世界は、平和になったはずだ。
ならばこれ以上、彼を許そうと殺そうとどちらでもいい。
そしてまた、彼は以前の世界から、彼との親交を望んでいた。
「さて、どうするか」
エアハルトがコートを脱ぎ、イチタカへと投げる。
彼は迷いなくそれを着込んで、彼の前へ移動した。
「暴走種を殲滅してから考えよう。若返ったからにゃ、戦えってことだろ?」
「だが、装甲は既にボロボロだろう」
「あんたと居りゃ関係ないさ」
「なら善は急げ――行くぞ! ハギハラ!」
報われなかった青年の人生は、かつて敵対した男と共に新たに始まる。
英雄と呼ばれるべき男はそれを望まず、永劫封印されるべきだった男は自由を得て行動を共にする。
だが誰も悲しまず。
誰も抗わず。
再びその手で世界を救い、されど崇められずに密かに紛れる。
男たちを必要としたその世界は男たちを拒絶し――だが最低限として干渉せず、ただ新たな生き方を、受容した。
――数年が経ち、ようやく元の歳へと成長し……だがそれ以上は老けようとはしない、特異な肉体を持つ男へとエアハルトは訊いた。
「なぜラーゼンとの決着を付けなかった」
そう問う男の昂ぶりは既に無い。
あの時、同じ部隊の仲間を虐殺した時のような崇高な願いや思想は失せている。まるで、『元の世界』に置き去りにしてきたように。
「本来は、この世界の問題だ。俺たちが介入していいのは手助けまで」
それ以上をしてやるつもりはないし、けじめはやはりこの世界の人間たちがやるべきだった。
結局、幾度か組織と接触してしまったが――追手は無いし、干渉もない。その理由こそいざしれず、だが構わなかった。
――それに、この世界ではエアハルトの暴走もなかった。
本来あるべきはずの虐殺はなく、彼は仲間と共に人知れず英雄と呼ばれる。世界の影で蠢く者たちを殲滅し、だがそれでも世界の影としてしか動けぬ者たちの中で、彼は崇められる。
見守った男たちは、今や立派に店名を輝かせるネオンを見上げて、嘆息した。
『暴走屋』と、己らの人生を狂わせた存在を皮肉るように名付けたのは、イチタカのほうだった。
業種は自由業。コンセプトは何でも屋。
都市東京、その郊外に建設した、廃屋を再利用した店。
探しものも人探しも、人殺しも誘拐も――後者はさすがに問題のない限り請け負わないが――なんでも請け負う。それは二人で出しあった案である。
「あ、あの……」
そんな事を考えていると、後ろから声がかかる。振り向いていると、そこには黒スーツの男がサングラスをかけて、いかにも、と言った様子の出立ちだった。
そして男の影から、小さな少女が顔をのぞかせる。腰にしがみつき、何かを恐れるように。
「暴走屋のお二人で、よろしいのですかね」
強い殺気。
それは男からではなく、遥か上空からやってきた。
まだ宵の口に足を突っ込んだばかりの時間。空からは航空機のエンジン音も聞こえてこないし、ヘリコプターのプロペラが空気を斬り裂く音もしない。
だがその闇の中、小さな点が気配と共に大きくなっていくのだけは、良く分かった。
「特装ッ!」
叫んだイチタカの腕が、本来の数倍ほどに巨大な装甲を身につける。
――恐らく彼らは、あの連中に追われてきた。
一応はこの世界でもラーゼンと戦ってきた身だ。少なくとも、その存在は知られているのだろう。ならば彼らは助けを求めに来た、という具合だ。
「ははッ、でかけりゃいいってもんじゃねえだろ」
エアハルトが嘲笑する。
イチタカは笑顔で拳を振り上げた。
「でかいに越したものはないだろ!」
「違いねえな!」
落ちてきた人狼のような姿を殴り飛ばし――肩を蹴り、その拳から跳躍したエアハルトは”敢えて”腰から剣を引き抜く。その刹那、鞘から引きぬかれたその剣は不意にその刀身を膨張させ――幅は数倍、長さは地上から敵を穿てるほどの巨大さに肥大化する。
一閃。
その空高く吹き飛んだ肢体を細切れに変えさせた。
血と肉が地面に叩きつけられ、エアハルトは容易に軽々とその脇に着地する。
「さすがにでかすぎるだろ」
イチタカの非難に、だがエアハルトは構わず大笑した。
「でかけりゃいいんだろうがよ!?」
――彼らの戦いに”待ち”はないし、防ぐことももう諦めた。
どこから来ようとも先手必勝。
未だその死臭を纏う男たちは、どの世界に行こうとも飽きずに戦いに臨んでいた。
イチタカは腕に装甲を体内に戻し、驚愕と畏怖とを表情に張り付かせた男へと対峙した。
「ようこそ、暴走屋へ」
返り血を浴びた軍服を見て舌打ちをしながら、エアハルトは細葉巻を咥えた。
「話は中で聞こう。記念すべき一人目の客として、歓迎する」
――英雄の肩書きを捨てた二人の男たちの戦いが、また新たに始まろうとしていた。