Step:1【出会いが肝心】
休講でもない。教室変更でもない。
そうすると、何なんだ。
予想もできない。学生だけでなく、教員すらサボりか。
もういい。面倒だ。テキトーに時間でもつぶそう。
俺が講義に出席することを諦め、Twitterでもしようと、携帯電話を取りだしたときだった。
「だれも来ないね」
先ほどの栗色ねーちゃんが話しかけてきた。
初対面の異性でも動じず話しかけてくるとはさすがギャル。
「……そうですね」
多分、同い年の相手に敬語を使ってしまう俺とは大違いである。
「今日って講義ないの?」
「わかりません。一応あると思ってたんですけど」
どこで行われているのだ、『社会科学入門A』は。
受講者ふたりが路頭に迷っているぞ。
「ケータイで誰かに聞いてよ。休講ですかって」
「いや、俺、この講義に知り合いいないし」
もっと言えば、大学に友達がいない。
入学して二ヶ月が経とうとしているのに友達のひとりもできやしない。
そろそろ『田舎から出てきて出身高校の同輩がいない』という言い訳も使えなくなってきている。
まったく情けないかぎりである。
「掲示板の確認は?」
「したよ。休講通知は出てなかった。ついでに言えば教務課にも行った」
「だよね。私もさっき確認したし」
俺が見落としたわけではないらしい。
だとすると、あとは前回の講義で、休講の告知がなされたという可能性か。
前回は体調が悪くて欠席したからなぁ。
それでも、教務課が把握してないというのはどういうことだろう。
「君こそ、友達に連絡してみたら?」
話は終わりだと言わんばかりに、俺は携帯電話に目を向けた。
「……私だって友達いないし」
耳を澄まさなければ認識できないほどに、小さな声のつぶやきが聞こえた。
俺に聞こえたのは、教室に俺たち以外に誰もおらず、静寂に包まれていたからだろう。
誰もいない教室というのは嫌になるおど静かなのだ。
空き教室でひとり昼食を摂っている俺が言うんだから間違いない。
しかし、この栗色ねーちゃん、友達がいないとは意外である。
栗色の髪の毛は言わずもがな、俺に話しかけてきたことから鑑みるに、社会性の高そうな出で立ちをしていらっしゃるのに。
美人だし。
「まさか大学デビューしようとして失敗したクチか?」
「違うし!」
おぉ、間髪いれずに否定の声があがったぞ。
栗色ねーちゃんを見ると、顔を真っ赤にしていた。
言われてみると確かに『入学を機に気合いれて染めちゃいました』という感じの栗色具合いだ。
想像すると、ちょっと面白い。
「アンタこそデビューに失敗したんでしょ? ひとりで寂しそうな顔しちゃって」
「……友達つくる気ないだけだ」
「嘘ばっかり。話しかける勇気がないだけでしょ」
そう言いながら、今まで立っていた栗色ねーちゃんが俺の隣に腰を下ろしてくる。
こいつ、講義時間いっぱいまで、俺で暇をつぶす気か。
こっちは今すぐにでも席を立ちたいんだけど。
「それ、自分のことだろ?」
そう言えば、離れてくれると思った。
怒って教室から出ていくと思った。
予想どおり栗色ねーちゃんは、頭にきたようで顔をしかめた。
しかし、教室を出ていくどころか、俺の胸倉をつかんできた。
「そうよ! 勇気なんてないわ! だって、ひとりぼっちの私をみんながバカにしてる気がするし、怖いんだもん!」
俺はアンタのほうが怖いわ。
「入学式が悪いのよ。入学式が。あの日に風邪を引いてなかったら私は友達百人も夢じゃなかったわ」
それはどうだろう。
人付き合いのうまいやつは、色んなところにネットワークを持っていて、友達百人ぐらい余裕かもしれないが、そういうやつは話しかけるのに勇気なんて必要としない。
俺とはまったくの別種なのだ。
そして、目の前の栗色とも。
しばらく無言のときが続いた。
胸倉は解放されたが、隣でうつむいている女子を放って教室を出ていくのは忍びない。
俺にだってそれぐらいの良心はあるのだ。
そうして気まずい雰囲気のなか、栗色が口を開いた。
「……ねぇ、私たち友達にならない?」
「いやだ」
まさかとは思っていたが、こういう展開も予想していた俺は即座に首を横に振った。
「お願い、大学でまともに話した最初の人なの!」
「変なこと言うな!」
「アドレス帳の初めて奪って! 初めて奪ってぇ!」
事情を知らない人が聞いたら誤解されること間違いない台詞が、教室中に響く。
こうして、ぼくの携帯電話に『網本理穂』という連絡先が増えた。
そして、栗色ねーちゃんのケータイにも『吉永栄太』という名前も追加されただろう。