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悪善缶

作者: 中条 眞


 『ニュースです。今朝、○△駅の近くの踏切で酔っ払いの男を助けようと、女性が遮断機を越え線路に飛び出し、電車にひかれて死亡しました』

 「あらやだ、近いじゃない。あなた、電車大丈夫だったの?」

 私は夕食をテーブルに並べてながら、テレビ前のソファに腰をおろしている夫に問いかけた。しかし、夫の反応は曖昧で、歯切れの悪い言葉でこう言った。

 「あー、あぁ。大丈夫、だった」

 「そう。ならよかったわ」

 いつもより早く帰ってきた夫は、ただ無言でテレビをじっと見ている。私はどこかの誰かの死を知らせる声を聞きながら、茶碗にごはんをよそった。夫をちらりと見ると、やはりその瞳はニュースのテロップを見つめていた。私は茶碗を食卓に置き、エプロンを脱いで呟いた。

 「ひどいはなしだわ」

 酔っぱらいを助けて死んだなんて、なんてひどい話だろうか。アナウンサーは、その酔っ払いの男は女性が引かれた直後に、逃走したということを告げた。

 「女の人、きっと正義感の強い方だったのね」

 男を助けた直後に引かれたのならば、もう電車はすぐそこまで来ていたのだろう。そんな時に、線路に飛び出し助け出すなんて、並大抵の人間はできない。現に、周りの大勢いた人々は、男を助けるどころか彼女の手助けすらしなかったと思われる。かといって、私がその場にいたら、きっと周りの人達と同じように傍観するのが精いっぱいだったのだろう。人様には文句を言い、自分も人のこと言えない。思わず自嘲めいた言葉が吐かれる。

 「私には、到底できないことだわ」

 「……なかなかできないことだ」

 「きっと、実生活でも彼女は素晴らしい人だったのね。本当、かわいそうだわ」

 夫と向かい合い、両手を合わせて夫の好きな秋刀魚に箸をつけた。ちらりと前にいる夫を見ると、両手を合わせていただきますの言葉も言わないで、ただ目を閉じていた。

 口々に、テレビの中の人は彼女を「かわいそう」と言った。私と同じ意見を、彼らは何度も呟き、酔っ払いの男に対しての少々の悪態をついたあと、政治関係へのニュースへと変わっていった。

 そのアナウンサー達の、先程までの悲しげな表情など微塵も感じさせないものに、私は見知らぬ彼女の死を、頭の隅に追いやった。




 3日前。午後9時2分

 僕はインターネットに接続されたパソコンと向かい合っている。慣れない手つきでキーボードを打ち、検索すべき文字をゆっくり記入した。

 ここ3日ほど、まともに寝ていないせいか、パソコンの画面に薄く映った自分の顔は、とてもひどいものだった。まず、隈がひどいのと、それから目元が赤くはれ上がっている。そんなに泣いた覚えも無いのだが、自分は予想以上に悲観に浸っていたらしい。

 「ただいまー」

 僕はぎしぎしと悲鳴のあげる背骨を剃らせ、首を左右に傾け肩を回しほぐす。体が少しだけ自由になったところで、部屋の扉を開けて彼女を見つけた。

 「お帰り」

 「ただいま。おなか減ってる? 時間かかるけど、食べる?」

 「何時間かかってもいい。食べたい」

 彼女はそっか、と笑って台所へと足を運んだ。僕はまるで親鳥の後をついていく雛のように、一緒に台所へ入った。

 彼女の柔らかい髪を一撫でして、くすぐったそうに笑う彼女に僕も笑みを漏らす。しかし、こんなひどい顔をしては、せっかくの恋人の時間も萎えてしまう。

 「今日はね、カレーにしようと思うんだ。何日か食べられるよう、作り置きしておくね」

 僕は彼女の手が好きだ。すらっとした長い指に、きめ細かな肌。僕は彼女の後ろに回り、細い体を抱きしめた。片手を腰に回して、もう片方は彼女のニンジンを切る右手に添える。

 「ちょっと、やりずらいんだけど」

 言葉だけは迷惑そうだが、身じろぎしないところを見ると、決して嫌がっているわけではないらしい。僕はそのことに安堵して、彼女の細い肩に自分の額をくっつけた。

 彼女のセミロングの髪が僕の耳をくすぐる。彼女のぬくもりが僕の全身に伝わることに、ひどく心が安らぎ、同時に涙を流した。

 「……また泣いてるの?」

 嗚咽を漏らし始めた僕を、呆れたようにため息を吐いた。もう、彼女の手は包丁を握ってはいない。かわりに、僕の右手を握る。水にぬれた指が、僕の指と絡み合う。

 僕はあふれ出る涙をただただ流した。この浮かびはしない心を、彼女はもうすくってはくれない。その事実が僕をどうしようもなくさせる。

 僕は震える声で彼女に言った。

 「君は……ひどい」

 絞り出された言葉を聞いて、彼女はさして動じずに「あらそう」と軽く答える。

 「君は、悪魔だ」

 「その悪魔と恋人やってるあなたは、なんなのかしらね」

 感情の起伏の見えない言葉は、僕の心をえぐる。僕は一度口を開き、また一度閉じてから声を出す。

 「……僕は、被害者だ」

 彼女は短く笑う。そのあと、変わらない調子の声音で呟いた。

 「あなたの言葉のほうが、ひどいわ」

 僕の涙はまだまだ底をつかない。




 1日前。午後11時45分。

 俺は秋の肌寒い駅のホームを歩いている。終電の時間まで、あと15分はある。いつもは4番車両へと乗っていたが、俺は前方に白い煙を見つけて、足を最後部の車両へと足を運んだ。

 白い煙は煙草の煙だった。遠くからでも見間違えるはずはない。俺はそのマナーの悪い人間の許へずかずかと歩いていく。

 こっちは妻に咎められ2週間前から我慢しているというのに、なんて世間知らずな者だろうか。半分はニコチン切れの八つ当たりとは自覚していたが、ここは男らしく、そして年上の者としてガツンと言ってやらなくては。

 妙な責任感を感じながら、俺はヒールを履いた若い女の前に立った。そして、自分の中では威厳たっぷりの目で女を見下ろす。

 「おいあんた、駅内は終日禁煙だ。今すぐその煙草を消せ」

 若い女は、物静かな瞳で俺を見上げた。その空虚な瞳がとても疲れ切った物で、俺は少しばかり眉根を寄せた。

 「消しなさい」

 もう一度強めに言うと、女は煙草を口から外し、口紅の塗られた赤い唇から白煙を吐いた。その懐かしい臭いに、俺は吸いたいという衝動に負けまいと必死に煙を手で撒いた。

 「私はいいんです。だって終日だもの」

 その理解しがたい言葉に、眉根を寄せた。不可解な言動に、彼女はもう一度肩を揺らす。

 「終日って、終わりの日でしょう? 私、あと24時間以内に終わるんです。だから、吸ってもいいの」

 理解できない。意味が分からない。彼女は何を言っているのだろうか。とりあえず、俺は彼女の言っている言葉の間違いを指摘した。

 「よくわからないが、漢字だけで意味を理解したようになるな。辞書を引け。“終日”は“一日中”という意味だ」

 すると、彼女は驚いたように目を見開いた。どうやら、本気で知らなかったらしい。

 「え、そうだったんですか? うわ、恥ずかしい。……じゃあ、消しますね」

 わずかに頬を染めて、ポケットから取り出した携帯灰皿に吸殻を入れた。

 「なんかすみません」

 「いや、もういい」

 そこで、沈黙が降りた。なんとなく離れがたく気まずい空気が流れてしまい、少しそわそわし始めた俺に、彼女が声をかけた。

 「ところで、会社帰りですか?」

 「あぁ、そうだ」

 「朝、早いんですか?」

 「そうだな。6時20分の電車に乗っている」

 「そうなんですか。会社は好きですか?」

 「仕事自体は、別に嫌いではない。同僚や後輩と過ごす時間は、好きだがな。何故そんなことを?」

 「いいえ、なんでもないんです。……ただ、あなたいい人なんで、時間を遅めにしようかな、って思って」

 また、理解できない話だ。彼女の言動は何かが含まれており、彼女の事情も名前すら知らない俺には、到底理解できない言葉だった。

 彼女の顔には笑顔が張り付けられている。俺は、頭の隅で妻が作る夕食はなんだったのだろうか、と意味も無く思った。



 

 当日。午前7時4分。

 ネットで買ったカツラを、適当に汚しぼさぼさにして頭からかぶった。同様に着け髭も薄汚くして顎につける。どぶ川に浸して3日洗わずに放置した服を身にまとい、適当に穴を空け泥をつけた片方違う種類のスニーカーを履く。それから彼女から借りたチークを塗りたくる。泣きはらしたひどい顔が、多少ましになっただろうか。それから傍に置いてあった酒瓶を手に取り、少し口に含んだ。口内で転がし、そして苦い味を喉の奥に押し込んだ。僕はたった5分で酔っ払った浮浪者の格好に変身した。

 わざとふらつかせた足取りで僕は道を歩く。時たま転げそうになる演技を挟んで、手に持つ酒瓶を振ったり飲むふりをした。残り6分。この遅さでも余裕で間に合うだろう。

 自分自身が放つ異臭に、僕はカツラに隠れた顔を歪めた。髭に隠れた口も、への字に曲がっている。周りにいる人々も僕の姿を見て顔を顰めた。わざと僕から離れるようにして歩く。そんなに汚いか。そんなに醜いか。いいさ、罵ればいい。周りの人間が僕に罵倒を浴びさせるほど、彼女は喜ぶんだ。

 目的の場所が見えてきた。この踏切の向こうにある駅に行くために、通勤者や主婦達はこぞってここを通る。人が多く、車も後ろからやってきた。その車の速さだと、電車が来るまでに踏切を越えることができるだろう。

 僕もようやく踏切の前に来ることができた。残り2分。カンカンと、お決まりの音が聞こえて、黄色と黒の遮断機が下りてきた。

 僕の跳ねあがる鼓動に合わせるように、警報の音が鳴り響く。人々が急いで走りぬける。遮断機の前に止まる人もいる。僕は、どちらでもない。ゆっくりと降りてくる遮断機のように、僕もふらついた足でゆっくりと線路を歩いた。

 完全に遮断機が収まるところに収まった。そして、僕はうるさい心臓の音を聞こえない振りをして、大きく体を揺らした。

 視界が体に合わせて揺れる。青い空と太陽が見えて眼を細めた。倒れこむ時、ちらりと見えた向かいの遮断機の向こう側にいた彼女を見つけて、少しだけ僕は安心した。

 



 「ねぇ、あれって大丈夫なのか? ちょっとまずくないか」

 「おい、おっさん、起きろー」

 「酔っ払ってたわよ、もしかして寝てるんじゃない?」

 「電車来ちゃうよ、ねぇあの人轢かれちゃうんじゃない?」

 「起きろ、このクソホームレス!!」

 「――――っやばいやばい、電車の音聞こえてきた!」

 「まずいって!! あのおっさん死んじまう!!」

 「おい、さっさと起きろ! 死にたいのか!」

 「おい、誰か――――っ」

 「電車来る、轢かれる!!」

 「おい、向かいの女の人が――――っ!」

 「あんた! 止せ、死んじまう!!」

 「もう時間がない、無理だ! 助けられない!!」

 「危険だ! 早く線路の外に出ろ!!」

 「ダメだ、もう来る――――ッ!!」

 「おい、早く逃げろ!!」

 


 「ごめんね。本当にごめんね。ねぇ泣かないで」

 そっと身をかがませた彼女の声が耳に届く。見上げた彼女の顔は、逆光と歪んだ視界でははっきりとは見えなかった。

 涙がこぼれた。おかげで、少しだけ視界が晴れた。少し鮮明となった彼女の顔は、とても穏やかだった。

 「謝るくらいなら……、どうして……っ」

 情けなく震える声を、精一杯絞り出しても、本当に聞きとれるか取れないかの小ささだった。

 雑踏の叫び声も、迫りくる電車の音も、肌で感じる電車の振動も、全てが遠く感じられた。この世界で、今、僕は彼女と2人きりになった。

 「ごめんね」

 今まで一度も謝らなかった彼女が、どうしてこの時になって謝罪するのだろうか。なんて、なんてずるい。これでは、僕は君にひとつ怒ることすらできない。

 「こんなことまでさせて、本当にごめんね。私の自己満足に付き合わせちゃって」

 それでも、彼女の覚悟を知っていても、どうしても諦めきれなくて、僕は縋ってしまう。

 「だったら、……だったら、僕のために、……っ生きてくれ」

 胸が引き裂かれそうだ。いや、彼女はこれから本当に胸を引き裂かれるのだろう。なんて、ひどい。なんて、ひどいんだ。

 彼女は穏やかな笑顔を僕に向けて、こう言った。

 「それは、無理」

 あぁ、君は本当に、ひどい。そんなに、望んでいるのか。僕がいて、君がいれば僕はそれでいいのに。君はそれでは駄目なのか。

 「僕も、僕も……っ、一緒に……っ!」

 縋りついく彼女の腕を掴んだ僕の手を、彼女はやんわりと外した。そして、力を込めて僕の腕を自分の肩に回す。僕は足に力を入れなかった。なかなか立たない僕の体を、僕を生かそうと彼女が必死に支える。

 「ダメよ、あなたは生きて」

 僕の最後の抵抗はあっけなく彼女の言葉に崩れ去った。

 僕の両足には力がこめられ、ようやく体が起きあがる。横目で電車が見えた。運転手の蒼白な顔が窺えて、同時に耳を劈くほどの音が突き抜ける。

 ずるずると引きずるように僕の体は移動され、ドンと彼女の細腕が僕の背中を突き飛ばした。倒れこむ直前見えた彼女は、僕を見て何の影も無い綺麗な顔で笑った。

 「ありがとう。ちゃんと、逃げてね。――――バイバイ」


 

 「おぇ、……っう」

 「うぷ」

 「ひ、轢かれたよな、今。め、目の前で、ひ、人が……」

 「ひどい、ひどいよ。だって、あの人助けようとしたんだよ? なんで」

 「おい、あのホームレスどこいった! あいつのせいで、あの女の人は轢かれたんだ!」

 「見つけろ、とっ捕まえろ!!」

 「あのおっさんのせいで、なんであんないい人が、死ななきゃなんないんだ……っ!」

 「おい、あいつ逃げやがったぞ! くそ、ふざけんなっ!!」

 


 シャワー音。水の流れる音。その音たちは、僕の心臓の音をかき消した。

 僕の心臓は動いている。動いてしまっている。どうして、あの時彼女と共に止まってくれなかったのだろうか。

 帰った時、彼女の作り置きしてくれたカレーの臭いがしたが、どうしても食べる気分にはなれなかった。血のついた服を適当に洗って、洗濯機の中に突っ込んだ。そして、どうしても離れない臭い匂いとわずかにする血の臭いを消すために風呂に入る。

 どぶ川の臭いは消えた。でも、どうしても血の臭いが消えない。彼女の臭いが、どうしても離れない。

 冷水を頭からかぶり、僕はただ風呂場で立ち続ける。体が冷えていく。あれだけ走った後も、まるで血が凍りついたように体は冷たく震えが止まらなかった。今も、手足の震えは止まらない。

 何故だろうか。彼女が“死”を宣言した時からずっと流れていた涙が、今は流れない。何故だろうか。

 あれだけ涙を流して目元を晴らしていたのに、どうしてもあの液体はこみあげてこない。ただ、胸の中を渦巻く感情が、僕の体を震わせるだけだ。

 彼女の笑顔が離れない。“浮浪者”を助けた“女の人”が、頭から離れない。“愚者”を命がけで救った“善人”の顔が、どうしても離れないんだ。


 彼女は死んだ。僕を残して。

 彼女は善人としてこの世を去った。僕を悪人に仕立て上げて。

 彼女の『善人として死にたい』という願いは叶った。僕の「君と一緒に生きていたい」という願いを捨てて。

 世間から見れば、彼女は“善”だろう。当然だ、人一人の命を救い、代わりに死んだのだから。


 でも、僕にとって彼女は確かに“悪”だった。





 「ねぇ、私さ、自殺しようと思うんだ」

 「……それって何の冗談? 笑えないよ」

 「本気。だから、協力してほしいの」

 「嫌だ」

 「ねぇ、お願い」

 「なら、僕も一緒に死ぬ」

 「ダメ、それじゃあ協力してもらう意味がないわ」

 「……何がしたいの」

 「私ね、“善人”として死にたいの。だってさ、ただの自殺じゃ両親に悪いわ。皆嫌な気持ちになっちゃうし、今まで私にやさしくしてれた人達に失礼だと思うの。それに、ただ死ぬだけじゃ、今までの“私”という人物像が全て台無しになっちゃうじゃない。だからね、事故に見せかけた自殺をすれば、“私”という人物像は壊れずに保てられる。どう?」

 「……君は、狂ってる」

 「うん。知ってる」

 「死にたい?」

 「うん。死にたい」

 「そっか」

 「ありがとう」




 

 『ニュースです。今朝、○△駅の近くの踏切で酔っ払いの男を助けようと、女性が遮断機を越え線路に飛び出し、電車にひかれて死亡しました』

 液晶越しのニュースキャスターが、淡々と今朝のニュースを流した。俺は、そのニュースのテロップに、眼が離せなかった。

 「あらやだ、近いじゃない。あなた、電車大丈夫だったの?」

 妻の声が聞こえたが、どうもうまく耳に入ってこずに、適当に返事をする。 

 「あー、あぁ。大丈夫、だった」

 妻が何か返事をしたらしいが、今度こそ妻の声は聞こえなかった。ソファに深く腰を落としていたのに、今は体を起こし食い入るように俺は画面を見る。片手に握られたテレビのリモコンに、手汗がじっとりとついて不快感をもたらした。

 『死亡した女性の名前は、秋本明日香さん24歳で、会社の通勤途中で――――……』

 画面に現れた女性の顔写真に、サァっと血の気が引いていく。彼女の顔は、昨夜出会った女性そのものだった。

 ――――『私、あと24時間以内に終わるんです。』 

 彼女のセリフが、脳内に呼び起こされる。あぁ、あのときの言葉はそういうことだったのか。

 何故通勤時間を聞かれたのかも理解できた。時間をずらしたのだ。そうか、そうだったのか。

 テレビの中の人は、彼女を“素晴らしい人”だと褒め称えた。そして彼女の死を惜しいと言った。だが、俺はどうしても彼等の言葉が理解できなかった。だって、彼女は――――。

 俺は一度深く息を吐き出して、肺の中の空気を失くした。無性に、煙草が吸いたいと思った。禁煙を初めて、今日が一番あの苦い味を欲した日だと思う。

 俺は妙な脱力感を紛らわそうと、コップにある酒を一気に煽った。それでも、気分は紛れない。

 後ろから茶碗を並べる音と、秋刀魚のいい臭いが鼻をかすめた。

 ニュースのテロップは彼女の死を嘆いている。俺は、彼女の死をどうしても悲しめなかった。むしろ、ひどく不快なものと感じられた。

 世間から見れば、俺の気持ちは非情なものととらえられるだろう。何人の人間が俺の感情を否定しようとも、おそらく俺はこの気持ちを変えることはできない。きっと。


 俺は前のめりになっていた体をソファに預けた。後ろから、妻の気の毒そうな声が聞こえる。

 「ひどいはなしだわ」

 あぁ、本当に、ひどい話だ。





 

≪END≫

僕が「終日」という言葉を間違って解釈したことがきっかけでできたお話です。

一気に書いてしまい、誤字脱字が多いと思いますし、話もそんなに細かく書けませんでした。

でも、なぜか唐突に浮かんできてやっと書けた話です。

“善人”として死ぬことは世間から見たら「惜しい人をなくした」と思われるかもしれません。

でも、実際はどうなのかと聞かれたら、きっと本人しかわからないんでしょうね。

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