ボイラーメーカー
琥珀色に輝くそれが、しゅわっとした刺激と共に喉を通る。ジョッキの中はどんどん減り、私が口を離した頃には見事に空になった。
働くようになってから、ビールのおいしさがやっとわかった。労働後のビールはどんなオアシスも敵わない。喉に心地よい苦みを残しながら、私は口角を上げてふふっと息を漏らした。
「先輩、さすがの飲みっぷりですねぇ。私はビールなんて苦くて飲めなぁい」
大理石柄のテーブルを挟んだ向かいの席で、瀬川が私を見て笑った。私は「うるさいな」と呟きながら新しいビール缶を開ける。瀬川の笑い声も、ぷしゅっという音で消えていく。
そういう彼女だって、ショットグラスに注いだウイスキーを呷ったばかりだ。カシスオレンジとかファジーネーブルとか飲んでいそうな見た目をしているくせに、私と「女っぽくなさ」で競ったら同率一位に違いない。
「ほらほら、おつまみもありますから。食べてください」
カッティングボードにチェダーやらゴーダやらのチーズが置かれていたり、ナッツやピンチョスなんかも並んでいたりしている。ここは瀬川の自宅だというのに、まるで都心のバーにあるようなラインナップだ。
「……妙に用意がいいわね」
「好きなんですよぉ、こういう晩酌。……あっ、先輩、ちゃんとジョッキに注いでから飲んでって言ったじゃないですか!」
缶に直接口を付けてビールを飲んだ私に、瀬川は頬を膨らませた。私はもう一度「うるさいな」と言ったが、ここは彼女の家なので大人しく従った。そもそも、私はこんなところに来る予定なんかなかったのだ。
事の発端は小一時間前に遡る。
勤務を終え、せっかくだから飲みに行こうと同僚たちを誘ったのだが、「彼氏とディナー」だとか、「今日から発売のゲームを徹夜でやる」だとかの理由で断られまくり、撃沈。すっかり飲む気でいて、ビールのことしか考えられなかった私に瀬川が声をかけてくれたのだった。
「もうさ、こっちは飲むつもりなわけ。飲みたすぎてもう二杯くらい生を飲んだ気になってるわけ。なのに何よ、彼氏とかゲームとか。ねえ?」
職場の更衣室で愚痴を言いながらだらだらと着替える私を見て、瀬川が微笑む。
「なら先輩、私と飲みましょうよぉ」
彼女はいかにも美容部員らしい、かわいらしい見た目をしている。話し方も語尾に音符マークがついていそうな感じで、女だらけの職場じゃなかったら男から狙われまくっていただろうな、と思う。
一方私は、職業柄身なりには気を付けているものの、その「きちんと」の反動で見た目以外は杜撰だ。現に、バッグからスマートフォンを取り出すはずが、なぜかお菓子の包装を破った切れ端が出てくるし。同じ職場なのにこんなにも違うのかと笑えてくる。
「あんたと? 近所の居酒屋でいいなら奢るけど」
「え~! 嫌です、バーでご馳走してください!」
今度は私が「え~」と言う番だった。バーなんて行ったことがない。一杯で四桁の値段を取ってくるそうじゃないか。酔いたいなら質より量という私のポリシーに反する。
それをそのまま瀬川に返すと、彼女は「あっ!」と言って私に提案を持ちかけたのだった。
「じゃあ、うちで飲みませんか? おいしいクラフトビール、たくさんありますよ」
というわけで、バー派と居酒屋派との折衷案として急遽宅飲みが開催されたのだ。
「おうちでも、缶や瓶からグラスに注いで飲む方がよりおいしいですよぉ」
瀬川が二杯目のウイスキーを飲む。私はキッチンをちらりと盗み見た。
シンクの向かい側に食器棚があって、そこにはいくつものお皿、マグカップ、グラスが行儀よく並んでいる。その隣はお酒専用ゾーンなのか、カクテルグラスとジョッキ、ジンやリキュールの瓶がずらりとあって、なんとカクテルシェイカーも置かれていた。
私に振舞ってくれているクラフトビールもここから取り出しているらしい。あんな見た目で結構飲むのだな。
「瀬川って、スーパーのお寿司もわざわざお皿に移してから食べるタイプでしょ」
「え? それ以外があるんですか?」
「……なんでもない」
私は「下駄に乗せるとか……?」などと考え込んでいる彼女を無視して、新たにビール瓶からジョッキに注いだ。
彼女はいわゆる「丁寧な暮らし」というものの中にいる人間なのだろう。
瀬川の部屋は、急な来客にも対応できるほど片付いていて、彼女らしいガーリーな雰囲気でまとまっている。美容部員なんて職も暇ではないのに、どこからそんな時間と心の余裕があるのだろう。私は自分の部屋を思い出しそうになり、慌ててジョッキを傾ける。
「あっ、これおいしい」
「それですか? 去年あたりに流行ったIPAです」
「なにそれ」
「クラフトビールの種類ですよぉ。ホップがよく効くみたいですね」
「ふぅん。ビール飲まないのに詳しいね」
「ウイスキーとかワインとか好きなので……その延長線? 最近は家でカクテルも作るんですよ」
「好きなものには、のめり込んじゃうタイプなんです」と瀬川が笑った。
「家なら安上がりでいいね。私もジントニックは好き」
「おいしいですよね! ハイボールもおうちなら飲み放題ですし」
「いいね、それ。瀬川んち通おうかな」
すると瀬川は急に目を丸くして、酔いが回ったのか赤らんだ顔で私を見つめた。そのまま黙ったままなので、私は慌てて軽口であることを告げる。
「冗談だって! 彼氏にたくさん飲ませてあげるんだもんねえ?」
私は空気を変えようとにやりと笑い、からかうように瀬川の顔を覗き込んだ。
「彼氏いませんよ、私」
「あ、そうなの? バー行くなら出会い多そうだけど」
「それはおいしいお酒が飲みたいだけです。……それに、好きな人くらいいますもん」
「マジ? どんな人よ」
「仕事ができて、顔も綺麗で、ビールが好物な人です」
私は「だから家にビールがあるのか」と納得した。
「あと、女の人によくあるような嫌なねちっぽさがないというか……からっとした性格で、話しやすいんですよね」
「あ、女の子なんだ?」
「はい。……同じ職場の、とっても尊敬できる先輩です」
瀬川がじっとこちらに視線を向けた。私は内心どきりとした。まさか、これって。
「時に先輩、先輩の好きなビールと、私の好きなウイスキーで作るカクテルがあるんですよぉ」
「な、なにそれ。めっちゃ酔いそ~」
「ご名答♪」
瀬川はウイスキーで満たされたショットグラスを手に取り、ビールの入った私のジョッキへ、グラスごと落とした。
どぼん。
ジョッキからビールがあふれて、中でウイスキーとビールとが混ざり合う。泡がきらきらして、金色に輝く。それを私は、ただ見つめることしかできなかった。
「先輩、」
「一緒に悪酔いしよ?」




