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08話 覚悟なんて


 授業が始まり、先生が黒板を背に話をしている。


 なのにペン先はノートの端を、塗りつぶしている。


 カバンの中には白い爪切り。

 見ているのは、自分の爪。


「相沢くん、続きを読んで」


 一瞬なにを言われたのか、理解できなかった。

 次に、僕の目に映ったのは、黒板の端にある日直の空欄。

 今日は誰が当番なんだ?


「相沢くん?」

「あ、はい」


 慌てて教科書を開く。


「もういいよ、相沢くん。気分が悪くなったら保健室に行きなさい」


 小さな声で返事をして、顔を伏せた。

 隣の男子が、肘を突く。


「おい、大丈夫か?」


 返事の代りに、小さく頷いた。

 今の僕は笑っている。

 たぶんこんなときは恥ずかしい顔をするのだろう。

 でも、僕は。


 終業を告げるチャイムが鳴り、静寂が追いやられ、喧騒が幅を利かす。

 僕は、無言で教室を後にした。


 向かう先は、美術室。

 階段を降り、廊下を歩き、意識の先は先輩の絵。


 美術室の横にあるドアをあけると、絵の具の匂いが鼻を突く。


 そこには部活用の画材に、石膏像が棚の上からこちらを見ている。

 その奥に、床置きされた絵。


 乾ききってない絵の具が、指先にべたべたと付く。

 不快な粘り気に、いつもなら気にならないが、なぜか神経に障る。


 三枚目を持ち上げたとき、違うとわかった。

 朽木先輩は、どこに置いたのだろう。

 僕はてっきり美術室にあると思い込んでいた。


「そっか。先輩って美術部じゃない」


 絵なら美術部だと決めつけていたのだ。

 絵を元に戻したとき、背後でドアの閉まる音が聞こえ、振り向いた。


 後ろ手で閉めて立つ、朽木先輩。

 窓から差し込む光のせいで、シルエットだけが浮かび上がる。


 口を開きかけて、耳が声を拾う。


「なにしてるの?」

「なにって……それは」


 言いかけてやめる。

 先輩が一歩、また一歩と近づいてくる。


「ええと、忘れ物をして」


 咄嗟にウソを付く。

 でも、見透かされている気がした。

 朽木先輩の目は、僕を見たまま離さない。


「ねえ、戻れなくなるよ?」


 説明のない、選択肢。

 僕は知らず、生唾を飲み込んだ。


「うん。私は、嬉しいけど。覚悟は出来てる?」


 絵の空白が、泥のように頭の中で広がる。

 次の言葉が出るのに、三度、手を握り直した。

 僕はゆっくりと唇をあける。


「覚悟なんて、分からないです。でも、不揃いなのは嫌だから」


 吐く息が重い。

 先輩が一歩、また一歩と僕に近づく。

 モノクロのシルエットの中に、先輩の目だけが澄んでいた。


 朽木先輩は、制服のポケットからなにかを取り出して、それを僕に差し出した。


 僕は黙って、受け取る。


「うん。ありがとう」


 感謝の言葉。

 手の中で感じる冷たい金属。


 僕は、その冷たさだけを信じた。


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