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23話 缶コーヒー


 夜の町を歩く。

 何度目だろう、先輩の背姿を見て歩くのは。

 意外と嫌じゃなかった。

 安心とは違う別のなにか。


 でも、少し思う。

 並んで歩くときが来るのだろうか。

 そんなことを考えていて、先輩にぶつかりそうになった。


「ち、ちょっといきなり止まらないでくださいよ」

「ああ、ごめん」


 先輩は自動販売機に目を向けて言った。


「コーヒー? お茶?」


 僕は黙って指さした。

 先輩は僕の分を買ってから、自分の分を買った。


「はい、これ」

「ありがとうございます」

「ちょっと、時間いい?」


 そう言って自販機の横にあるガードレールに腰を掛けた。

 僕も少し距離を取って並ぶ。

 プルタブの開ける音に続いて、先輩が口を開く。


「ごめんね、急に押しかけて」

「いえ。別にいいですよ」

「そう。ならいい」


 缶を口につける。


「あそこの定食屋さん、美味しいね」

「うん。家庭の味? ってやつかな」


 先輩にしては珍しい。

 世間話をするなんて、いつもなら本題が直接飛んでくるのに、なにかまずいことでも起きたのだろうか。

 そう思うと、思わず缶を握る手に力が入る。


 ジージーと、自販機の音だけが響く。

 僕は手にした缶を開け、口をつけた。

 苦さが口の中に広がり、意識が研ぎすまれた気分になった。


「あのね。私が渡した紙、読んだ?」

「う、うん」


 緊張が走る。

 やっぱり。

 期待と不安が押し寄せる。僕からは絶対に聞けないことだった。


「そっか。じゃあ、もう分かったよね?」

「うん。あれ、先輩のお姉ちゃんだよね?」


 唇が渇き、すぐに缶を押し当てる。


「そう。図書室にあった最後の絵。あれ、お姉ちゃんが作ったの」


 そう、2023年の氏名の欄には、朽木静香と書いてあった。

 2024、2025年と朽木琴音の名前があれば、僕じゃなくても気づく。


「じゃあ、先輩が引き継いだのって、お姉ちゃんだったの?」

「うん。最初は知らなかった。お姉ちゃん、絵が上手だったし、私も描きたいって。ただそれだけ」

「そっか」


 そのとき、図書館の出来事を思い出す。

 朽木先輩は、「死んだ人は戻らない」と言った。

 たぶん、そういうことなのだろう。


 なんて声をかけていいのか分からない。

 ただうつむいて、缶を見ることしか出来なかった。


 どれくらい経っただろう。

 先輩が口を開いた。


「だから少しだけ、この世界のことを知ってる。それもお姉ちゃんが調べたことだけなんだけど」

「それって、あの一覧とメールのこと?」

「うん。お姉ちゃんが私に残してくれてたの」

「……うん」


 重い空気が流れる。

 温かったはずの缶は、すっかり冷めていた。

 なにもかもが、冷たい気がする。


 街灯が瞬いた。


 先輩にとって気分の良い話でないだろう。

 だからといって、僕が慰めるのは違う気がする。


「あ、そうだ。先輩、その服どうしたんですか? いつもと雰囲気が違いすぎて、びっくりしましたよ」


 話題を変えるのが精一杯。

 人の趣味に口出しするつもりはなかったが、これが僕の中の二つ目の疑問だった。


 先輩は自分の服装をみて、首を傾げる。


「これ? 久しぶりに家に帰ったから着てみたんだ」

「……そ、そうですか」


 久しぶり。

 先輩は二年もの間、あの家にいたんだった。

 気まずい雰囲気が漂う。


「それに、この服、お姉ちゃんの趣味なんだ」

「……え、あ、そ、そうですか」


 黒いレースに、胸元のリボン。

 フリルだらけのゴスロリだった。


 予想外の連発に、僕の気分は最悪だった。

 なのに、先輩は声を上げて笑い始めた。


 僕はびっくりして顔を覗き込んだ。


「ごめんね。気、つかわしちゃったね」


 あはは、と先輩は笑った。


 冬の夜。

 先輩の笑い声だけが、暖かった。


「帰ろっか」

「はい」

「色々付き合わせて悪かったね」

「全然、僕なら大丈夫です」

「うん」


 先輩はそれじゃと言って歩き出した。

 帰り道が同じなら、こんなに寂しくはなかっただろう。


 僕は、すっかり冷めた缶コーヒーを一息に飲んで、消えていく先輩と逆の道を歩いた。


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