14話 世界の方が狂っている
息が白かった。
旧校舎の裏門には誰もいなかった。
自転車を降りて、門の横に立つと、指先の感覚がなかった。
寒さのせいかどうか、自分でも分からなかった。
しばらくすると、学校の塀伝いに歩いてくる朽木先輩の姿が見えた。
彼女は僕の前までくると、自転車の方をちらりと見て、
「便利なのに、止まったら倒れるって不便ね」
「えっ」
言葉が浮かばない。
普通なら、早かったね、とか、急に呼び出して、とか。
まさか、自転車の利便性を言われるとは。
戸惑っている間に、先輩は裏門を開けてくぐっていった。
鍵は、とは思ったが再度、予想外の展開に声を掛ける機会を失った。
だから、きっと先生から鍵を預かっている、と無理やり思うことにした。
先輩の三歩後ろを歩く。
あの日と同じだった。
違うのは、袖を掴まれていないだけ。
僕たちは無言のまま旧校舎へ向かった。
裏門から行くのは初めてだった。砂利が靴底で鳴った。
木造三階建て。
静まり返った学校は、どこにも属していない場所のようだった。
正面に回り、玄関から入る。
午前中にも関わらず、室内は薄暗く、歩く足音がうるさかった。
二階の突き当り。
前と同じで、ここが図書館だと言われなければ分からない。
朽木先輩はドアを開けて中に入り、僕も続く。
ひんやりした空間。
息を吸うと鼻が少し痛い。
「相沢太郎くん。ズレたら戻れないよ?」
部屋の真ん中で、僕に背を向けて朽木先輩はそう言った。
「良いです、とは言えません。でも、終わらせたいんですよね?」
少しだけ、言葉が鋭くなった。
ホームルームで手を上げたとき、先輩は僕を見なかった。
それが悔しい、のとは違うが、僕じゃなきゃだめだと思った。
本心だった。
「うん。どうしたい?」
僕は言葉に詰まった。
先輩はときどき、違う、ほとんど僕の質問に向き合ってくれない。
どうしてなんだ?
僕のことが嫌いなのか?
いや、待って。
これって。
動画を逆再生するみたいに、先輩との会話を思い返した。
先輩との会話のほとんどは、「うん」から始まることに気づいた。
これって、相手の質問に答えているようで違う。
「もしかして、先輩……」
朽木先輩はゆっくりと振り返った。
その顔は、笑顔にも見えたし、少しだけ寂しそうにも見えた。
「太郎くんって、やっぱり気づくのね」
「先輩、もしかして時間がズレてます?」
そう考えた瞬間、言葉が早くなった。
「ズレてるから、ダブって聞こえて。だから、誤魔化して、『うん』から始まって。ええと……」
言いながら考える。
そんなはずはない。だって、もしそうなら。
「世界の方が狂っている……」
膝から崩れそうになった。
こんなの手に負えない。
無理だ。
僕なんかじゃ……。
先輩は僕の顔を見て、使い古された爪切りを差し出した。
握っていた自分の手がゆっくりと持ち上がるのを、僕は呼吸も忘れて見ていた。




