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【短編小説】親切

 ひとに親切するのはやめた。

 もうウンザリなんだよ。「落としましたよ」と声をかけてナンパとかキャッチと間違われるの。


「すみませ……」

「いや、いいです」


 それだけで本当に不愉快だと言うのに、落とし物を指摘したって礼のひとつも言えない奴しかいない。


「落としましたよ」

「え?あぁ、はぁ……」


 世界がクソなのは世間がクソだからだし、世間がクソなのは個人がクソだからだ。

 親の顔が見てみたい。切ってやりたい。


 だから今日も親切をしなかった。

 親切しないと決めたからな。ヘッドホンつけてる女が少し高そうな傘を落としたが、まるで気づいていない。

 いいんじゃない?別に。

 おれが不愉快な思いをしてまで拾ってやる義理も無いしな。見てろ、信号が変わったらそのまま歩きだすぞ。



 ──そう思ってチャリンコのペダルを踏もうとした時だ。

 ババアが来た。

 佐藤琢磨ばりの鋭く厳しいコーナーリングでママチャリを通勤通学のチャリ群にねじ込んだババアは、ヘッドライトの代わりなのか頭に大仏蝋燭を巻いていた。

 まるで長時間露光の写真みたいに細長い光を残してババアは走っていく。




「待てやババア!!」

 おれはババアを追った。

 公道レースで負けるのがイヤなんじゃない。

 おれには見えたのだ。

 車体を傾けたコーナリングで膝を地面に擦りながらも、落ちていた傘を拾って前カゴに入れたババアが。



 正義感なんかじゃない。

 盗まれた女が可哀想とかでもない。

 ただ落ちている傘を盗むのは、何か違う。取り返してやる気は無いが、ババアは注意してやりたいのだ。



 おれは母指球の辺りをペダルにかけて勢いよく踏んだ。ケイデンスとかは知らない、それじゃあ遅いかも知らない。

 ただ、踏むたけだ。



 ワイヤーの伸びたチャリンコはガチャガチャと勝手にギアをシフトする。さっさと整備しときゃよかったが、後の祭りだ。

 おれはガチャガチャのチャリを踏みながらババアを追った。

「速えよ!!」

 ババアはトラックやミニバンを風除けにしながら公道を順調にトばしている。なんて度胸してやがんだ。



 しかし最速のババアにも勝てないものがある。デカい交差点、つまり信号だ。



 おれは肩で息をしながら信号を待つババアに追いついた。

「ババア……てめぇ速過ぎんだよ……あと拾った傘を返せや」

「なんだい?だらしないねぇ。だいたいお前はあの子の何なんだい?」

「なんでもねぇよ!とにかく傘返せ!」

 まったく呼吸を乱していないババアはイヒヒと笑い「全く、あの子もわかんない小僧に好かれるねぇ」と言った。



「あ?好きでもなんでもねぇよ」

「そう言うのはガキの間だけにしときな、若いの。社会人になってまでやるもんじゃないよ」

「だから……」

「ウチまでおいで、娘とのお茶くらいセッティングしてやるよ」

 そう言うとババアは青信号を確認して爆速で走り去っていった。後には再び、例の光が尾を引いている。


「親の顔がアレか……」

 見るもんじゃないな。

 来た道を戻る時に例の女とすれ違ったが、顔は見なかった。

 やはり親切はするもんじゃない。

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