エピローグ:人工衛星サニーの冒険
魔科アンサンブル予報による暴風警報は、港町の被害を大きく減らした。
この時、天気図で引かれた等圧線は、海沿いと、子爵領上空のたった2本。
けれど、その2本が大事なのだ。
『外洋に嵐がある』という情報が加われば、重要な意味が出る。嵐が来る方角に向けて気圧が下り坂ということが、はっきりわかるからだ。
日本初の天気図でも、最初に引かれた等圧線は、九州沖の南北に引かれた一本、そして東北地方太平洋沿岸に引かれたもう一本のみ。
何事も、最初は少しずつ――ということかもしれない。
発された警報によって船は出航を取りやめ、沿岸には嵐の接近を警告する看板も出される。結果、航海中の船も陸地に身を寄せ、被害は記録的な少なさだった。
船の被害が少なかったのは、ベアトリスの貢献もある。晴雨計――船舶用気圧計が少しずつ普及し、船乗りは気圧の概念を知っていたのだ。それが警報を軽んじないことに繋がり、多くの船が素直に出航を取りやめ、運悪く海上にいた船も『晴雨計』の目盛を読んで沿岸に避難した。
もちろん、死者、怪我人、壊れた家屋はゼロになりえない。
けれど『天気予報』によって多くの人を救った錬金術師アルバート、そしてお天気令嬢の存在は、気象学者以外にも知られ始めた。
◆
それは、いつか教科書の載る2人の、教科書に載らない一日だった。
暑さもすっかり落ち着いた、よく晴れた朝。
サニーは2頭立ての馬車に荷物を積み込む。金髪が弾み、青い目がきらめいた。
「よいしょ、と」
魔科アンサンブル予報が成功し、新たに『レーダーを設置してほしい』という街がいくつも現れたのだ。以前の設置作業はアルバートだけで向かったが、今回は先方の求めもあり、サニーも向かう。
未来の気象知識は、海沿いにも必要だ。
「忘れ物はありませんかぁ?」
そう心配げに言うのは、メイドのリタ。
後ろには、子爵様やノーラ夫人、セシル、それにサニーによくしてくれたお屋敷の使用人たち。
「バッチリですよ!」
「どうですかねぇ……サニー様、とっても大事なもの、忘れて旅に出ようとしてましたし」
うっと言葉を詰まらせるサニー。
思い出すのは、暴風警報からの慌ただしさである。
嵐は、やはり子爵領までは到達しなかった。それでも領地での準備作業はあったし、事後的な連絡や、見舞金の手配など執務も多い。
使った気球も難問だった。気球の発明者はすっかりアルバートとサニーを気球の第一人者にする気満々で、暴風警報から10日後に馬車を飛ばしてリンデンを訪れてしまう。このままでは気球研究に巻き込まれるのは明らかだった。
その開発者に『もう気球が必要な観測を終えたこと』『改良した気球をお返しすること』をなんとか説き伏せ、係留気球――地面に繋いで低高度を飛ぶ商用気球――で一稼ぎしようとするベアトリスもそちらに押し付けた。
巨大隕石同士をぶつけて対消滅させたような荒業だった。
(婚約のご報告、子爵様にも遅れちゃいましたし……)
ドタバタがようやく済んで、サニーとアルバートは、子爵様へ正式に婚約したい旨を伝える。以前から内々に進めていた話でもあり、子爵家は喜びに包まれたのだが……。
――新たな港町から依頼があり、2人で気象研究に向かいたい。
2人揃っての研究バカ発言に、子爵家みんなは目が点になる。
ノーラ夫人が笑顔で圧をかけた。
――ねぇ、『式』もやらずにどこへゆくの?
まさに、サニー達は『お祝い』をすっかり忘れていた。
婚約の祝いが、子爵領でささやかに開かれた。
正式なお披露目、いわゆる披露宴は今後の収穫祭と一緒にやる。が、こちらは公的な意味合いが強い。つまり堅苦しい。ベアトリスや素材屋などなど――領地の近くにいた仲間と共に、温かな祝いの時間を過ごすことができた。
気象研究も大事だが、人としての幸せも、忘れてはいけない。
子爵家にはもともと貴賤結婚――高位貴族と平民の結婚を禁じる法律――の制約がないし、サニーの身元は子爵家だけでなく、高名な錬金術師クレメンスも保証する。周辺領地からも、婚姻は問題なく認められそうだ。
「サニー、待たせたな」
旅装のアルバートが馬車にやってくる。銀髪を風に揺らし、エメラルドの瞳は優しげにサニーを見つめた。
ちょっと赤くなる。この人の、妻となるのだ。
子爵様が咳払い。
「あー、正式に婚約したとはいえ、あくまで披露宴は収穫祭だ。あまり、その、ハメは外さないように」
アルバートは生真面目に頷いた。
「わかっております」
「――とはいえ、実質婚前旅行だ。僕は大抵のことは大目に見る! しっかりやりなさいっ」
ハロルド子爵は屈託なく笑う。それはもう、アルバートの方が顔を赤らめてしまうくらいだった。
「し、子爵様、これでも気象研究という仕事で向かいますので。領地の天気については、こちらのメモもご参考に」
「うむ」
サニーもアルバートも不在となるため、天気予報の精度はさすがに少し落ちる。
ただ、領地では各所の百葉箱による短期数値予報を実現させていた。錬金術ギルドを通して、旅をする1月間、代理で予報業務をする錬金術師も手配・配置済みである。
もう以前のような低い的中率には戻るまい。
子爵様は、2人の旅を予報業務を誰でも引き継げるようにする契機としたいようだ。
もっとも、サニーの観測範囲なら海沿いからでも子爵領が十分見える。本当に危ない嵐が来たら、魔科アンサンブル予報で置かれた伝書鳩で連絡するつもりなのだが。
子爵様は感慨深げにヒゲを撫でる。
「海沿いの街から『天気予報を広めてほしい』――か。君達の働きに、そのような依頼が来るようになったのだな」
「はい。サニー、お役に立てそうなんです」
気象衛星として、もちろんそれも嬉しい。
サニーは人差し指を立て、一つ付け加える。
「それに! その街にも、峠守とよく似た伝承があるようなのですよ」
「――ほう?」
それだけで、子爵夫妻には伝わるのだろう。セシルも笑いかけた。
「また、新しい予報のヒントになるかもね」
「はい! 海守という人がいたようでして。領地の天気予報の参考になるかもしれませんし」
サニーは頬を緩めた。
「どういう伝承があって、どういう人なのか。わたし、知りたいです」
以前アルバートと話したように、サニーは気象以外の研究テーマを決めていた。
それはこの世界における魔法使いの歴史。峠守の力は公には秘密だが、教会に同様の碑文があったように、天気予報の力を持った人は各地にいたとサニーは見る。
ならば、彼ら、彼女を知ってみたい。
天気予報の先輩だし、気象レーダーのような思わぬ収穫があるかもしれないから。
(――この世界のこと、もっと知りたいんです)
アルバートや、大事な人たちがたくさんいるこの世界のことを。
「では、ゆくか」
さっと馬車に乗り込み、出発する。鞭の音がして、車輪が軽やかに回る。
高気圧に守られた秋晴れの空は、気持ちよく澄んでいた。
「サニー、いよいよだな」
「そうですね」
「天気予報が、広まっていく」
軽快な蹄の音が心地いい。
「私達の旅も」
「旅、ですか」
「――ちょっとキザだったかな」
「ふふ、いいえ」
婚約して、若様と新しい道を歩む。ならばそれも旅だろう。
「ミッション――」
「初めて来た頃に、言っていたな」
「わたし、見つけたんですよ?」
サニーはアルバートに微笑んだ。
「それは、この世界でちゃんと生きること」
だから、いっぱい探求をしよう。
大好きな人達と、大好きな世界を、もっと大好きだといえるようになるために。
生きることは、知ることとほとんど同じなのだから。
「アルバート様」
サニーはアルバートの手を、自分から握ってみる。
揺れる馬車の中、青とエメラルドの瞳も揺れた。唇が重なり合う。
人を愛し、結婚し、いつか子をなし、仕事もして――知らないことはまだまだ続く。
生きることは冒険だ。
だから、『いこう』とサニーは思う。
人工衛星、サニーの冒険に。
お読みいただきありがとうございます!
人工衛星サニーの冒険、これにて完結でございます。
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