4-10:気球
季節は進み、子爵領にもどっさり雪が降るようになる。大陸中央へのショートカット・コースである峠も、こうなるとさすがに通れない。
行商人の来訪が減って、領地が静まる季節だった。
サニー達も、研究に明け暮れる。さてそろそろ新年というところで、久しぶりに巨体の行商人が現れた。
「素材屋でございます!」
子爵家にやってきた素材屋は、今日は馬2頭で引く大型ソリを伴っていた。これまた大きな馬らが、ぶふんと蒸気のような息を吐く。
たまたま表にいたサニーは、収穫祭以来の顔に嬉しくなって駆け付けた。
「素材屋さん!」
「これはお天気令嬢、お久しぶりでございます」
馬ソリが非常に目立つためか、後ろには村人たちがゾロゾロ続いていた。冬はみんな暇なのである。
お屋敷からメイド服にマフラーを巻いたリタが飛び出し、持っていたハタキを振った。
「はいは〜い、子爵家のお客様ですよぉ! みんな散って散って!」
羊を散らす牧羊犬に似て、リタが野次馬を追っ払う。
毛皮を着込んだ若様もやってきた。後ろには、セシルと愛犬ロビンも続く。
「久しいな! 冬道は骨が折れただろうに」
「こんにちは、声で話すのはいつ以来でしょう」
可愛らしい声で、セシルが頰を緩める。
素材屋は目を丸くしてサニーとアルバートへ振り返った。
「こ、これは……!」
「声は治ったのだ」
「そうですか! そうですか!」
笑みを深め、素材屋は手を叩く。
はにかむセシルが微笑ましい。セシルの峠守の力は、子爵夫妻、そしてサニーとアルバートだけの秘密で、リタにさえ伏せている。
そのため治った経緯は明かせないが、素材屋は目端を拭った。
「失礼、子供に少し弱いもので。本当に、年の変わり目によいお話を聞けました」
素材屋は、鳶色の目をソリに向けた。
「ご家族でお過ごしのところ、突然のご訪問で申し訳ありません。ですが素材屋、この度は大役を仰せつかりまして」
そう言われると、巨大な馬ソリが気になる。人が住めそうなほど、荷台がこんもり膨らんでいるのだ。
若様は、はっとする。
「まさか」
「若様?」
「……いや、その大荷物では屋敷の門を通らんだろう。中庭に回ってくれ」
◆
馬ソリから覆いがとられ、素材屋と2人の弟子が荷物を中庭に広げる。それは、前世のブルーシートにも似ていたし、巨大なテントのようにも見えた。なにせ幅が8メートル近くある、円い布地の塊なのだ。
巨体の素材屋が荷台から大きな大きな、お風呂サイズの編みカゴを下ろす。
そこで、サニーは荷物の正体に気づいた。
「これ……!」
「やはりか」
それぞれに驚くサニーとアルバート。セシルとリタも、興味深そうに眺めている。
素材屋は得意げに鼻の下をこすった。
「気球です」
青い目をきらめかせるサニーには、2種類の驚きがある。
(異世界にあったんだ……! でも、なんでここに)
気球は、今はぺちゃんこだが、空気が入れば膨らんで空に昇るのだろう。
アルバートが腕を組んだまま固まっていた。
「まさか、いきなり現物が来るとは」
「わ、若様がお頼みに?」
「いや……まぁ、そうとも言えるが」
額に手を当て、アルバートは唸る。
「王立学会宛てに、『気球』の研究者がいないか問い合わせを行っていたんだ。しかし返事よりも早く、気球の現物が来るとは」
あ、とサニーは思う。確かに若様は『高空観測に気球が有用』という論文を書いていたうえ、実際に研究者を探していた。
「それについては、こちらから説明しましょう。アルバート様のご慧眼どおり、気球については一昨年辺りから研究者がいましてね」
「……知らなかったな」
「無理もありませんな。貴族らに口を出されるのを嫌って、伏せていたようなので。公開実験も特許も、今年の冬ようやくです」
気球は大気観測に有用な一方で、軍隊の偵察などにも使える。口出しを恐れて秘密にしたのかもしれない。
「目的は、大気中の魔力を高空で観測するため。気象観測ですな。しかし、アルバート様の論文で、気象と魔法にそれほどの関係性がないとわかり、そのほかの研究からも『いっそ渡した方がいい』と考えたのでしょう」
素材屋は、大きく腕を広げた。
直径8メートルほどの、かなり本格的な気球だ。
「おまけに、どうもこちらの気球には欠点といいますか――性能上の限界があったらしく。ただ、アルバート様なら解決可能かもという期待もあって、今回お貸しする運びとなったわけです。詳しくはこの手紙を」
「……ふむ」
サニーとアルバート、2人で文を読んだ。素材屋の話を聞くと込み入った事情のようだが、手紙にはアルバートの論文に感銘を受けたこと、気球の有用性に気づいてくれたことへの感謝、などなどが率直に書かれている。
「有人飛行の実績もあるな。最大到達高度、500フィー……」
「えっすごい!」
大体500メートルだ。
「発明者は、もっと上に昇ると考えていたようだな。なるほど、想定より高度が低かったのか」
「――あ、これ、ガス気球ですね」
サニーはすぐさま気づいた。
「ヘリウムや水素といった空気より軽いガスを、中に充填して昇っていくのだと思います。手紙には、錬金術で空気を『より軽く』変質させて昇ると書いてますけど――たぶん、うまくガスを作れなかったのでしょう」
有人気球は、史実でも初回実験で千メートル近く昇っている。そこに至らなかったのなら、おそらく浮遊ガスの不備だ。
(熱気球なら、もっと簡単なのですけど……)
素材屋が薪のような指を立てる。
「ちなみに、この方もすでに新型の開発に着手しているようです。貸し出しの代わりに、助言もほしいと」
「ふむ、要は改修依頼か。だが、気球だけもらってもやりようがないぞ」
「ご心配なく。お望みなら、無償で技師も派遣するそうです」
アルバートは眉をひそめた。
「――やけに気前がいいな」
「ははは」
「裏があるだろう」
「……実は、クレメンス師とベアトリス様が、貸し出しを渋る学会を説得してくださったのです」
サニーは、2人の思いに感銘を受ける。が、アルバートは複雑な顔。
「ベアトリスか」
友情に胸を打たれる前に、どうも請求書の心配をしたらしい。
「事業家も、『ぜひ飛ぶのを見たい』と」
「――うまくいけば商売にするつもりだな」
若様は銀髪をなで、首を振った。
「今、研究が立て込んでいてな。あいにく、気球観測は後回しになりそうなのだ」
「なんと、左様でしたか」
話し込む2人をよそに、サニーはリタやセシルと一緒にぐるりと気球の周りを巡った。
2人は面白そうに気球を眺めたり、球皮をつまんだり。
「これが空にあがったら、確かにすごいね」
「本当に飛ぶのでしょうかぁ」
ふと、胸に考えが過ぎる。
(高く、飛ぶ? そうしたら――)
ゆっくりと考えをまとめる。魔法について勉強したこと、それにセシルの力から学んだこと。
サニーは、アルバートの袖をひいた。
「若様、若様」
「どうした?」
「――この気球、魔科アンサンブル予報で役立つかもしれません。ちょっと、『ずるい』使い方ですけど」
事情を話すと、若様は緑の目を閃かせた。
「――素材屋、やはり気球技師の手配を伝えてほしい。あと、ベアトリスに言伝を頼まれてくれないか? 気球並みに面白いことがあるから、一度領地に来てほしい、と」
お読みいただきありがとうございます!
明日、1話+エピローグで完結いたします。
転生した気象衛星の物語、最後までお楽しみいただければ幸いです。




