4-7:人工衛星、兄弟を救う
報せを聞いたとき、ハロルド子爵は声をあげたという。
「セシルがいなくなった!? まさか、もう11才だぞ!?」
一方、ノーラ夫人は落ち着いたもの。
「まだ11才よ、あなた。みんな落ち着いて、まずは家族で探してあげましょう?」
そうしてセシルの捜索が始まった。
サニー達がお屋敷に戻ったのは、騒ぎのすぐ後らしい。どうりでバタバタしていたはずだ。
玄関先で、リタは涙ぐみサニーに迫る。
「――さ、サニー様、居所がおわかりなんですか!?」
「は、はい!」
おそらく『あの場所』だろう。
サニーは後ろを振り返り、夕闇に沈む山と森を見上げる。魔力を補う『太陽光発電』はじきに時間切れ。『身体強化』で森を駆け抜けるのも慎重にやらないといけない。
アルバートが落ち着いた、けれど有無を言わさぬ声で問うた。
「サニー、教えてくれ」
視線を受け止めて、首肯する。
セシルに案内されたことを思い出した。
「きっと『峠守』の像です」
「そ、そういえば倒れる前もあそこに――って、またあんなところへ!? どうして……」
問いかけるリタに、訳をすべて話せないのが苦しい。
「まずはわたしだけで、セシル様を迎えに行きたいです」
「なぜだ?」
「まだ確定じゃないですし、他の場所を探す人もいた方がいいでしょう。それに……」
少年の張り詰めた微笑が胸を過ぎった。
「大勢に会いたくない時って、あると思いますから」
アルバートがはっと眉を上げた。
「セシルは君をよく慕っている。声が出ないことに……魔法に、関わることか?」
「――はい」
「君は、セシルから相談を受けていたのか? なぜ、私ではなく……」
この場合、沈黙が肯定だった。
苦しげな様子で、どれだけ義弟を可愛がっていたのかわかる。すぐにでも迎えに行ってやりたいのだ。
「――くっ」
身をひるがえして屋敷へ駆け込む若様に、サニーは叫んだ。
「アルバート様!?」
「少し待て!」
戻ってきたアルバートは、人差し指ほどの水晶を持ってきた。ポケットから革紐と金属のリングを取り出すと、錬金術で『変質』、水晶のペンダントを作ってしまう。
「これを持っていきなさい。魔力に応じて光る。君なら、遠くから見えるほどの閃光だって出せるはずだ。危ないと思ったり、大勢で向かっていいと思えたら、これで合図を」
若様を追ってきたのか、セシルの愛犬ロビンも玄関にやってくる。
わん!と応援するように吠えた。
「頼む、サニー」
「お任せください! お話、できると思います」
人工衛星サニー1。今のミッションは、兄弟を救うことだ。
◆
陽は完全に落ち、冷たい雨まで降りだした。山道の手前までアルバートに馬で送ってもらい、後は暗い坂道を『身体強化』で急ぐ。水晶の明かりは心細く、羽織ったマントは重い。
実験室と同じ山だが、像はかなり高くにある。セシルのように近道を知らないので、長い坂を上った。
息を切らせて、開けた高台に辿り着く。
幸い、セシルはそこにいた。
峠守という、かつてこの地にいた偉人の像。杖を掲げる高さ8メートルほどの像は、間近だと見上げるようだ。
そこに銀髪の美少年がもたれかかっている。空に残るわずかな光が、セシルの整った横顔と、石像に絡む蔦、そして彼が握る錫杖を浮かび上がらせていた。
「セシル様っ」
駆け寄って抱き締めると、体はひどく冷たい。
冬前の夜、雨にまで濡れているとすれば、風冷指数はかなりのものだ。
あと少し遅れていたら――そう思うとぞっとする。
「……サニー、さん?」
声を震わせるセシル。『身体強化』が働き、サニーの体温を高めた。
「体が冷えてます。このまま、しばらく温めますから」
「ありがとう、でも……もう、平気かな」
セシルはゆっくりと身を離す。2人で雨が当たらない木陰に移動し、一緒のマントに入った。
「……また、気を失ってたんだね」
ぽつりと呟いて、セシルは峠守の錫杖を見やる。
「話せるようになったのですね」
「うん。力に慣れたせいかな」
「心配しました……」
「――ごめんなさい」
薄暗い森で、沈黙すると雨の音がいやに大きい。冷えた空気に、土の匂いが混じる。
同じマントで寄り添いながら、サニーからも話し始めた。
「セシル様、あなたには遠くの嵐を感じる力がある。ここには、それを確かめに来たのでしょう?」
「うん。この高台だと、力をうまく使える気がして」
セシルは峠守の杖を立てる。
「天気をみる力には、少し前から薄々気づいてた。収穫祭が近くなって、峠守の杖を使うことを思いついたんだ。最初は、峠守の像があるなら同じ場所でって理由だけだったけど」
結果、セシルは遠くの嵐を見た。かつての峠守と同じように。
「今日も、遠い『何か』をうっすらと感じた」
仮に、嵐で起きる魔力の変化が、雷の電磁波のように伝わるのだとすれば、高台の方が探知しやすい。周りに遮るものがないからだ。
そして峠守の像がある高台は、南に――海の方角へ大きく開けている。初めて見た時、サニーは像の掲げる杖がまるでアンテナに見えた。
きっと、この高台が南向きの気象レーダーを置くのにぴったりだったから、そう見えたのだ。
場所の性質に気づけば、セシルが再び向かうのは道理となる。
「けど収穫祭の夜みたいに、雨や嵐がはっきり見えたわけじゃなかった。ここでも上手くいく時と、そうじゃない時があるみたい」
なるほど、とサニーは思う。
(……嵐の大きさや、タイミング、進む方向によって、探知のしやすさが変わるのかもですね)
まさにレーダーだ。嵐の強弱と探知しやすさは比例するのかもしれない。大きな嵐なら、杖という補助具が要らなかったり、山の上でなくても感知される場合もあろう。
――つい分析をしてしまう辺り、職業病というか、気象衛星というか。
「みんなは?」
「探してらっしゃいます。サニーが見つけるとは言ってありますけど」
「……ほんとに、ごめん。戻ってこれると思ったんだけど、また――気絶しちゃった」
今まで声と共に封じていた力を、目覚めさせたのだ。負荷はかかるだろう。
サニーは、ふっと微笑んだ。
「……少し休んで、一緒に謝りましょうね」
「サニーさん」
「それまで、お話してもいいですか? どうしてお一人で力を確かめようとしたのです?」
俯くセシル。
「アルバート様に、力を内緒にしたかったことと……関係が?」
サニーは待つ。少年は、過去を語る糸口を必死に探しているようにも見えた。
「――ちょっと長くなるけど」
やがて、セシルは語り始めた。
「声を失ったのは、10歳で魔法の修行を始めた時。ボク、遠くの嵐を見た気がしたんだ。その時、なぜだかとても怖くて……『もう見たくない』と思ったら、魔法を使えなくなった」
セシルは寂しげに言った。
「しばらくしたら、声も出なくなった。それが、だいたい1年半前」
サニーは顎を引く。
同じタイミングで、確か当時の錬金術師が引退したのだ。だからアルバートが戻ってきて、セシルに薬を調合したり、魔法を教えることになる。
「どうしてこんなに魔法が怖くなったのか、わからなかった。当時は、『天気を当てる力がある』なんて、思いもしなかったし。でも、お天気を当てるサニーさんが来てから、気づいた」
言いよどむセシル。
「ボクにも、あなたに似た力があるのかもって」
赤い目が揺れ、声も震えた。
「どころか、もっと前、ボクも遠くの天気を見たことがあるって――思い出した」
「前……?」
「4歳の秋だ。アルバート義兄さんと一緒に、義兄さんのご両親を見送った時。その後、本当に嵐が来て、ご両親は馬車で亡くなってしまった」
サニーは身を強張らせる。アルバートが気象研究に向かうきっかけとなった、一番大きな悔い。
(その時、セシル様も若様の近くに……?)
若様とクライン子爵は、伯父と甥の関係だ。旅立つ両親は息子を従兄弟たち――つまりクライン子爵家に預けた。
「ボクは、その時にも、遠くの嵐を見たと思う。でも、誰にも言わなかった」
……本当だろうか?
4歳、というのは少し信じがたい。でも若様がいうには、その年齢で魔法が使える場合もあるという。
低年齢、それに補助具の杖がなくても感知されたというなら、前世でいうスーパー台風――数十年に一度の強い嵐が当たったのだろう。
セシルの顔は青い。サニーは互いを包むマントを直し、肩を抱いてやる。
「――本当に、ボクに峠守と同じ力があったら……」
セシルはぎゅっと膝を抱えた。
「ボクが嵐を言ってたら、アルバート義兄さんのお父さんとお母さん、助かったかもしれないよね?」
サニーは息を呑む。
セシルが怖がっていたもの。魔法を避け、声を失ってしまうほどのもの。
それは事実を直視することだった。
「ボクも、4歳の記憶はほとんど忘れてた。小さかったし、人を助けられた可能性なんて、考えもしなかったと思う。でも、多分――」
セシルは続けた。
「……魔法が怖くなったのは、無意識にわかったんだと思うよ。魔法の力が目覚めて、遠くの嵐がわかるようになったら、ボクのせいってはっきりしちゃうって。だから、怖くなったんだ。魔法も、その練習も」
胸が苦しいほどに締め付けられた。
セシルの肩を抱く手に、力をこめる。1年半――それだけの時間、セシルは『なんの力か分からない』というあいまいで、ある意味優しい状況を保った。
「セシル様」
「でも、サニーさんが来てから、さすがにはっきり気づいたよ」
自嘲的な笑いが、痛々しい。
無邪気で飄々とした態度に隠れて、彼は秘めた悔いと戦っていた。
「それで魔法を頑張った。神様が、ボクがグズグズしてるから、代わりに天気を当てる人を連れてきたのかもって、ちょっと思ったし……遅かったよね、ボク」
抱えた膝に、セシルは目を落とす。
「ちゃんと伝えてたら、もしかしたら義兄さんの家族は……」
アルバートは、セシルが怖がっていると言っていた。義兄は正しかった。セシルが怖がっていたのは、義兄への罪なのだから。
「そんなことっ」
「サニーさんみたいに、ボクもお役に立ててれば――」
セシルは、アルバートが必死に気象を研究してきたのを見ていたはずだ。兄の悔いを知るから、セシルの悔いも強い。
(『それは違う』って伝えたいのに……)
力があるからといって、思い詰める必要はないのだと。
頭の奥がじんとして、うまく言葉がまとまらない。
(どうしたら――)
呼吸を整える。落ち着いて、前を向いて。
人になって、子爵領に来て、色々な思い出ができた。
(今は、これがわたしのミッションです)
サニーにしか言えないことがある。
「いいえ、セシル様」
青い目で、まっすぐに少年を見る。
「お役に立たなくても、いいのです」
言葉は、すとんとサニーの胸にも落ちた。自分を縛っていた見えない鎖が、外れたような気がした。
「お役に立ちたいと思って、ご自身を傷つけたり、本当なら幸せなことを遠ざけたり……そんなの、ひどいことですよ」
アルバートはずっと言ってくれていた。
『お役に立つ』なんて思う必要はない、と。
彼も同じ気持ちだったのだろうか。
「セシル様、どうかそんなに思い詰めないでください。あなたが無事で、帰ってきてくれるだけで……喜ぶ人がたくさんいるんです」
「でも、こんな力があるのに――」
「誰かが、セシル様にそう命じたのですか? 『その力でお役に立ちなさい』、と」
セシルは少し考えて、首を振る。
「サニーも、ずっと思ってました。『お役に立ちたい』って。でも今は、大好きな人がいるからです。大好きな人がいるから、自然とその人を助けたいと、お役に立ちたいと――思えるんです。思ってしまうんですよね」
サニーは胸に手を当て、濡れた赤い目を覗き込んだ。
「セシル様は、お義兄様やご家族が大好きな、優しい方だと思います。だから、アルバート様へ申し訳なく思うのかもしれません」
でも、と言葉を継ぐ。
「セシル様自身も、大切です」
じわりと赤い瞳に涙が浮かぶ。
「それに4歳が嵐を予言しても、信じられなかった可能性はとても高いです。遠くを探知できても、進路予想がないと、実際に領地に来るかはわかりません」
セシルも、きっとそれはわかっているのだろう。
それでも瞳が揺らぐのが、割り切れない人間だ。
だとしたら、気持ちを伝えるしかない。
「――帰ってきてください、セシル様。サニーも、セシル様やロビンと遊んで、楽しかったですっ」
サニーは少し間を置いて、言った。
「辛いなら、アルバート様に、気持ちをお伝えしてもいいと思います」
「……! どう、思うかな」
「あなたの大好きなお義兄様は、4歳の時のことで、あなたを恨む人でしょうか?」
セシルは目を閉じる。
やがて首を振ると、大きな目から雫がこぼれた。
「苦手な魔法に取り組んで、それでも自分の力を確かめて、こんなに頑張ったあなたを恨むなんて、アルバート様は絶対になさりません」
微笑んで言ったものの、ふと顎に手をやる。
「……あ。今日のお説教くらいはするかもですけど」
理詰めで怒ってくるあのやり方は、あんまりよくないと思う。
セシルは泣きはらした目で、噴き出した。
「そういうところ、あるよね」
「でも優しいです。とっても」
2人で目を合わせた。若様から受け取った優しさが、彼にも伝わりますように。
「――大好きな人の役に立ちたいと思うのは、自然なことですよ。わたしも、アルバート様のお役に立ちたいと思ってますもの」
セシルはきょとんとし、気まずそうに頬をかいた。
「……義兄さんへのすごい告白を聞いちゃった気がする」
「え!? え――あ~」
目を泳がせ、咳払い。
「――さて、セシル様、どうなさりたいですか?」
顔を上げた少年は、灯りがつきはじめた子爵領を見つめる。
「……義兄さんと話したい。それから、みんなに謝りたい」
サニーは、首から提げていた水晶を両手で持ち、魔力を込める。まばゆい閃光が生まれて、夕闇の森を照らし、やがて収束。灯台のようにまっすぐに、村へ光の筋が伸びた。
光でやりとりする通信は、人工衛星時代を思わせる。
やがて蹄の音が聞こえて、像の下にある斜面からアルバートの声がした。
「無事か、セシル! サニー!」
坂を駆け降りてきた2人を、アルバートは抱き留める。
「……無事でよかった。本当に、よかった」
顔をくしゃくしゃにするアルバート。
その後ろには、馬に乗った義兄たちも続いている。セシルは、ほっとした様子の彼らを見て、声をあげて泣いた。
「心配かけて、ごめんね」
◆
お屋敷に到着し、冷えた体を湯で温めたセシルとサニー。
子爵夫妻にこってり絞られたセシルは、アルバートの私室で自分の『悔い』を話した。
「――そんな、ことが。力のことも、にわかには信じられない、が」
アルバート、セシル、サニーはそれぞれ椅子に腰かけていた。夜遅いが、魔導ランプが照らす部屋は明るい。
若様はふっと眉を下げた。
「……私の今までの態度が、思い詰めさせたようだな。すまなかった」
椅子から頭を下げたアルバートだが、憮然と目元を揉む。
「だが、背負い込みすぎだ。君は当時、たった4歳だぞ? 4歳が嵐のことを話して、大人が本気にするはずがないっ」
「でも、ボクは――」
「お前に責任はない。その一端もない! 気にするな、自然や気象とは、そういうものなのだっ」
サニーは、思う。
本当に心配していたからこそ、声を荒げるのだろう。そして、強く否定するのは、セシルの悔いをこそ否定するため。
優しい怒り方。
なんでも作れるほど器用なのに、時々微笑ましいほど不器用な人。
(もう……)
若様の表情がふっと和らぐ。
「――などと、私にも叱れた義理はないな」
「ボクこそ、ごめん。義兄さん。やっと、こうして話せるね」
悔いから解き放たれた2人は、音波による話を始める。サニーの胸も温かくなり、暗闇に走ってよかったと、心から思えた。
若様は、サニーにも目を細める。
「ありがとう、君が私達を助けてくれた」
「お気になさらず! サニーも、嬉しいですから」
セシルは椅子から立って、サニーの近くにやってきた。
「?」
「きっと、サニーさんもうまくいくよね」
囁かれて、頬がぼん!と熱くなる。せっかく落ち着いてたのに。
「――話せるとけっこう、ませてますよね」
「♪」
悪戯っぽく笑って、セシルはアルバートの所へ戻る。その夜、ずいぶんと遅くまで、兄弟は久しぶりの会話を楽しんでいた。




