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4-6:消えたセシル

 サニーは状況から、セシルの力に対し『ある仮説』を抱く。けれど口に出せないまま、1日が過ぎ、2日目も過ぎる。

 言えなかったのには、理由があった。


 セシルは自分の力について早くから気づいていたのではないか――そんな予感がする。本人が伏せていたことを問うていいのか、特にサニーには難しい問題だ。

 幸い、セシルの容態は安定する。錬金術師アルバートは薬師としても有能で、翌日から熱はけろりと下がっていた。


「セシル様、ちょっといいでしょうか」


 収穫祭から3日後の昼過ぎ、ようやく決心が固まった。ベッド脇の椅子から、サニーは問いかける。


(まずは、セシル様に確かめませんと……)


 銀髪の美少年は半身を起こした。


「――?」


 看病も一段落し、折良く、今部屋にいるのはサニーだけだった。

 チェストの上には、食べかけのリンゴ。食欲もすっかり戻り、みんなと食事ができるのも近い。

 軽快したことで、ベアトリスに師匠クレメンス、それに素材屋も、午前中に村を後にしている。

 青いワンピースの裾をぎゅっと掴んで、椅子から身を乗り出した。


「わたしの勘違いだったら、ごめんなさい。でも、セシル様は……もしかして倒れた日の夜――」


 言うべきか、また視線が迷う。でもアルバートや、リタ、ベアトリスとの出会いは、サニーを変えていた。

 人と人は、音波で分かり合うことができる。


「『遠くの嵐』を探知したのではありませんか?」


 首を傾げるセシル。義兄と同じ銀髪が、窓からの風に揺れた。

 開いた窓から、葉を落とし始めた木々の向こうに、曇り空が見える。

 懸念していた低気圧『寒冷渦(かんれいうず)』は勢力を弱め南に大きく逸れたが、雲の一部は領地を横切っていた。夜からは雨だろう。


「あ――『探知』というのは、見つけた、とか感じたということです」

「――!」


 セシルは目を見開き、そして寂しげな笑顔を浮かべる。見つかったという恐怖と、隠さなくてもいいという安堵――きっとどちらも含まれた複雑な笑みだ。

 サニーも胸を締め付けられる。


「――」


 赤い目が続きを促す。

 どうして、と。


「わたし、あの後、夜に天気予報をしてみたのです。そうしたら、セシル様がずっと見ていた窓の方角、南西に嵐がありました。もちろん、偶然かもしれません。でも……」


 サニーは息を整えた。

 ここからは根拠だ。


「以前から、セシル様は『峠守』の伝承や、教会に伝わる嵐を当てた人の言い伝えに、興味を持っておいででした。サニーにも、像を案内してくださいましたけど……もしかしたら『自分もそうかも』と考えておいでだったのかも、と」


 思えば。

 初めて峠守の像に案内された時、セシルは『サニーさんも』と問いかけている。当時は分からなかったが、セシルは自分にも同じ力があると感じていたのかもしれない。

 1人目はセシル、もう1人目はサニー――だから、『サニーさんも』という言い方になりえた。


「まだあります。魔法には『感知』という力があると、アルバート様から伺いました。それは魔力を感じる、『センサー』に近い機能です。セシル様はそれが敏感すぎて、逆に魔法が苦手になってしまったと」


 サニーは人差し指を立てた。


「『センサー』とは、なにかを感じるための器具と思ってください」


 不安がせめぎ合い、喉が渇く。

 合っているだろうか。そして、これを尋ねてもいいのだろうか。

 怖いと思うのは――多分、問うと自分で決めたからだ。


「領地の儀式で、奥様が杖を掲げていました。それでわたしは、センサーとセットで使われる装置を思い出したのです」


 息を整えた。


()()()()です」


 人間が持つ、魔力を感じ取る力――『感知』。

 峠守の像も、杖を高く掲げていた。


「高くアンテナを掲げて、雷が起こす電磁波を受信して発雷を観測したり、遠くの雨雲を探知する装置は、サニーの前世にもありました。人工衛星とは異なる、地上から気象を観測するものです」


 アルバートは、研究成果として『気象変化で空気中の魔力にも変化が起きる』と言っていた。

 若様の着眼点はある意味で正しかったといえる。

 この世界にある『峠守』の伝承や、教会にあった天候悪化を予測した人々。

 言い伝えで片付けられているが、その力は本物だったのではないか――。人工衛星でもなければ、彼らの正しさを検証できなかっただけで。

 サニー達の世界が科学を発展させ気象を予報したように、魔法がある世界には、遠くの嵐を探知できる力を受け継ぐ一族が――生来の気象レーダーがいた。それが峠守だったというのは、あり得ない発想だろうか。


「――?」


 困ったように身じろぎするセシルに、また前世の言葉を使いすぎたことに気が付いた。


「あ、つまりですね! 『峠守』は、あの杖、そして魔法を感じる力で、遠くの嵐を探知できた人。セシル様も同じ力を持っているのでは――という話をしています」


 セシルは腕を組んで、納得するようなジェスチャーをした。


「まだ原理はわかりません。でも、嵐のエネルギーは大型発電所数百基分――そこで起こる大きな変化は、魔力にも影響するのかもしれません。後は、アルバート様でないとわからないと思いますが……」


 今は百葉箱による短期的な予報や、晴雨計による船舶用の暴風警報装置がある。

 それらと組み合わせれば、遠くの嵐発生を探知して、海沿いに前もって警報を出せるかもしれない。


(少し、怖いこともありますけど……)


 天気予報を広める――『お役に立つ』ために必要なこと。

 でもこの警報が多くの人の知るところになれば、特許を取った時のような反発や、無理解にきっとぶつかる。

 慎重にやらなければならないだろう。サニーが存在を伏せられているように、セシルの力もまた、伏せられるべきかもしれないのだから。


「――」


 セシルは指を1つ立て、唇の前に当てる。


「まだ誰にも言わないで、ということですか?」


 その反応が、推論が正しい証に思えた。

 ベッドから、セシルはサニーの手のひらを取る。指で文字を書いてきた。


「アルバート様には……特に秘密?」

「――」


 真剣に顎を引く。

 アルバートは、『セシルは魔法を怖がっている』と言っていた。今の顔は真摯だけど不安げで、若様のいう通りに思える。

 同じ表情を見たのは、夏の嵐。サニーと若様が馬車の救助に向かう前も、彼はひどく心細そうだった。兄弟の間には、2人にしかわからない悔いのようなものがあるのかもしれない。


(……サニーが関わっていいのでしょうか)


 それでも、おずおずとサニーはベッドに手を置く。


「サニーにも、話せませんか?」


 セシルはちょっと目を瞬かせる。

 兄弟や家族には言いづらくても、外からやってきたサニーになら、話せることもあるかもしれないから。


「セシル様も、アルバート様も、わたしは大好きです。ですから……その、ご相談には乗れるかも、と」


 少年は本当に嬉しそうに顔をほころばせる。サニーの手を励ますように握ってくれた。


「……待っていれば、いいですか?」


 顎を引くセシル。

 怒らせたり、傷つけたりせずに済んで、頬が緩む。

 やがて部屋に、メイドのリタが水差しを持ってやってきた。


「サニー様、ご看病ありがとうございます。後はリタに交代を」


 丁度、村の教会が鐘を鳴らした。心配でベッドを見やると、彼はもう窓の外を見ている。

 リタを廊下に連れ出して囁いた。


「リタさん」

「はぁい?」

「セシル様のこと……その、しっかり見ていてあげてください!」

「? はぁい、もちろんです」


 いつもの調子で少し気になったが、あんまり念押しするのも怪しいだろう。

 サニーはその場を離れて、山小屋の実験室(アトリエ)へ向かった。



     ◆



「来たか、サニー」


 アルバートはすでに壁際の机についていた。サニーの机は彼の左側で、上から見ると、右に倒したL字型の配置である。普段は背中合わせで作業をして、話し合う時は互いにくるりと向き合えばいい。

 二人の間を手紙や論文が行き来するため、自然と机も近づいた。


「う、うむ」


 着席するサニーに、咳払いする若様。その頬は、ちょっと赤い。ついでにサニーの頬もおんなじだろう。

 つい先日、ここで互いに抱き合ったからなのだが――セシルの体調で『そういう空気』が霧散して以降、2人してこんな具合だった。


(『好き』って言えばいいだけなんですけど……)


 なんで、たったそれだけがこんなに難しいのだろう?


「い、いいかな。今日は空気塊(くうきかい)の高度と熱変化の関係を、論文用にわかりやすくまとめたい」

「は、はいっ」


 若様の論文も進み、内容はいよいよ熱力学に入ってきた。

 天気予報の基本となる考え方、『温位(おんい)』。例えるなら、空気を断熱性のある袋に封じて、1000hPa(約1気圧 つまり地上)に持っていったら何度になるか――という考え方だ。

 この断熱性のある袋に入った空気の塊を、『空気塊(くうきかい)』という。

 乾燥した空気塊は、温位(おんい)の地点、つまり地上から1キロ上昇すると温度を約10度下げる。周りの気圧が下がった結果、空気塊が膨張して温度が下がるのだ。空気塊の体積が増えると、熱エネルギーが拡散して全体が冷える。


 ここで、上空に強い寒気が流れ込んできたらどうだろう? たとえば、上昇する空気塊よりも周りの気温低下が急だったら?

 地表からの空気は常に周りより暖かいので、どんどん上っていく。

 湿った空気はさらに顕著だ。水蒸気を多く含む空気塊は冷めにくく、やはりどんどん高空へ昇る。

 温かく湿った空気が地上にあると、雨が降りやすい所以だ。


「……気圧の違いが風を生み、地上と高空の温度の違いが雨を生むわけだな」


 おさらいすると、アルバートは唸りながら羽ペンで文字を書きつける。けれども、ふと手を止めると、ペンを放り出し目元を揉んだ。


「――また、君の理論ばかりが先に広まるな」

「あ! アルバート様。まさか公開実験の時みたいに、私に悪いとか思ってませんよね?」


 あんなに思い詰めて、山小屋にこもられるのはもう嫌だ。

 次は引っ張り出す――そんな決意で、目もちょっと厳しくなる。


「だが私の研究、魔法と気象の関係は、遅々とした歩みだ。本来、気象研究はすべて君の功績だが……」


 椅子を近づけ、サニーは口を尖らせた。

 整った顔立ちが心臓に悪いが、今は警報を無視する。


「『伝わらない』と意味がないと仰ったのは、アルバート様ですよ? アルバート様の実験器具と論文で、天気予報が伝わっているのですから、アルバート様のおかげです」


 というよりサニーでは特許をとったり、素材屋を巻き込んだり、論文を発表したりは絶対に無理だっただろう。

 言いながら、サニーはふと気づく。


(伝える……ですね)


 アルバートから、それが大切なことだと習った。

 サニーにも、伝えられていない気持ちがある。

 先ほどの様子では、セシルとアルバートの間にも、まだ何か、伝えていない思いがある気がする。二人だけにある、何かが――。


「……サニー、どうした?」


 不審げなアルバートに、サニーは慌てて目を逸らした。

 セシルの力は、『義兄には秘密』と言われている。魔法と気象の関係が実証できそうなのだが、本人の意思がなければダメだろう。

 サニーはくりくりと目を泳がせた。


「なんでもないのです」

「……君は時々、心配になるほど嘘が下手だな。まぁいい、今は研究だ」


 アルバートは立ち上がって、壁の棚から手紙用の高級紙を取り出す。


「高空の気象条件については、『実際に』計ってみるしかないな」


 驚いたことに、若様は『気球』での観測も検討中だ。師匠のクレメンスとの縁が戻ったことで、師を通して他の錬金術師に気球の問い合わせをするつもりらしい。 

 確かに、ベアトリスやアルバートの素材加工の腕前をみるに、錬金術師なら気球素材の球皮(エンベロープ)は作れそうだし、研究者はいそうだが――。


「焦っちゃだめですよ? 初期の気球はかなり冒険的で……」

「うむ、しかし観測には代えがたくてな」


 うずうずと、関心が抑えきれていないアルバート。

 技術者は、空に向かう装置がやはり好きなのだろうか。


「これをどうぞ、アルバート様」


 嘆息し、自分の机から若様の机に書類をどんと移した。


「……うん?」

「まずは目の前の論文と、質問書にご注力を。こちらの方は気圧の考え方の反証をしてくださって、質問書はちょっと錬金術のお話もあってわかりにくいんです」


 サニーは、笑顔で仕事を振ることを覚えていた。

 若様も苦笑して銀髪をかきあげる。


「研究者らしく、だんだん容赦がなくなってきたな」


 知識が実験器具で証明されていくのは、楽しい。

 どう書いたら伝わるか。より分かりやすい言い方はないか。

 伝えるための創意工夫だ。


「サニーも鉛直安定度グラフ(ダイヤグラム)を考えたのですが」

「……まだ、この世界では少し複雑すぎるな。絵や模式図の方が分かりやすい」


 そんなこんなで、あっという間に夕方の鐘が鳴る。

 窓をみると、薄暗い曇り空はもう雨を落としそうだった。


「――少し早いが、今日はここまでだな」


 席を立ち、手紙や巻物を片付ける。受け取った手紙を差出人ごとに分類する引き出しはもう一杯だ。

 2人とも口元が綻ぶ。


「……増えましたね」

「うむ」


 観測協力者は50人を超えただろうか。

 19世紀末頃、日本の気象予報の黎明期の観測拠点が21か所であった。それを思えば、観測データを集めれば――そろそろ範囲1000キロを超えの天気図を論文に載せられるかもしれない。

 サニーの天気図を超える範囲だし、大勢の協力が要る。


「……いよいよ、広域の天気図が――‼」


 両拳を作ってぶるぶる震える助手に、アルバートはくつくつと笑った。


「君も、あまり焦るなよ? これでも、できることには限りがある。察するに未来の気象予報は、国中に観測所を置いて、情報を高速で連携しなければならないのだろう?」


 現実に引き戻されて、サニーは肩を落とした。


「そうですねぇ……」


 まさにその通り。

 観測データとはいえ馬に乗ってやってくる。広範囲の天気図といっても、リアルタイムなど夢のまた夢、半年前のものが作成できればいい方だ。

 『天気図』の考え方を示すだけで、あらゆる説明が楽になり、予報の信頼性向上にも有用なのだが。


「どの道、『今』できることをやるしかない。まずは少しずつだ。私のように嵐で家族を亡くす人が減れば、それだけで進歩とは思わないか」


 以前なら、もう少し意地を張ったかもしれない。気象衛星としてお役に立とうと、『前世と同じ』を目指したのだ。

 でも今は、小さな進歩が嬉しい。

 若様にはなかなか破壊力のある微笑を結んだ。


「――わかりました、アルバート様」


 この世界で、ちゃんと生きたい。気象衛星としてだけじゃなく、人として、大好きな人達と。

 お屋敷に戻り玄関をくぐると、なぜか騒がしい。

 使用人だけじゃなく、義兄らまで廊下をバタバタ行きかっている。狼狽したリタが前を過ぎり、2人に気づいて急ブレーキをかけた。


「リタさん!? どうしたんですっ?」

「アルバート様、サニー様! セシル様が、そのぅ、目を離した隙にいなくなってしまって……!」


 サニーは息をのむ。

 ベッドの脇にあった、峠守の杖もなくなっていたという。


「落ち着いてください。サニー、居場所がわかるかもしれません」

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