4-5:嵐 ―寒冷渦―
暗い部屋で、ベッドにセシルが横たわっている。息は荒く、顔も赤い。
サニーが聞くところでは、セシルが倒れたのは収穫祭の終わり。愛犬と共にお屋敷に戻ってきた直後、高熱を出し意識を失ってしまった。
薄暗い部屋は空気まで淀んでいる気がして、サニーは窓辺に寄る。
「窓、少し開けますね」
ベッド脇から、アルバートが脈をとりながら頷いた。
「頼む」
さすがに山小屋での甘い雰囲気はなくなり、錬金術師と助手に戻っていた。
窓の隙間から、夜風が吹き込む。
サニー達は正装からすでに着替えているが、外にはまだお祭りの雰囲気が残っていた。月明りが照らす村から、耳を澄ますとかすかに笑い声が聞こえる。
リタがセシルの汗を拭きながら、漏らした。
「セシル様、杖を持ってお屋敷に戻ってきて――本当に、どうしたのでしょう」
「サニー、森の方へ行くのを見てます」
「森で倒れなかったのだけは、本当によかったですけどぉ……」
魔導ランプの弱い光に浮かぶのは、サニーの他、アルバートとリタ、それに看病を受けるセシルだけ。他の家族も大挙して押し寄せたが、『これじゃ休まるものも休まらん!』とひとつ前の鐘で若様が追い出したのである。
「……わからん」
アルバートは、セシルの手を離す。
美しい兄弟の横顔は、どちらも苦しげだ。
「なぜ、急に体を壊した? これは、いわゆる魔法熱――正式には魔力異常に近い」
「異常……?」
「主に幼児にみられる症状だ。魔法に不慣れで、体も未発達な子供が、無理やりに高度な魔法を使おうとすると稀に起きる」
サニーは、ベアトリスの話を思い出した。彼女も幼い頃、魔力が関係する事故を起こしたというが――あれが『魔力異常』だろうか。
「魔法の訓練が始まる前にも、魔力は体に宿っている。才能によっては、4、5歳から魔法行使は可能だ。だが体への負荷に、幼児の肉体が負けるのだな」
このため貴族は10歳頃から魔法の訓練を始め、才能ある高位貴族が早めても7歳が限度らしい。
リタが首をひねった。
「リタは難しいお話はわかりません。でもぉ、セシル様は魔法がお嫌いなのでは?」
「ああ、それが声を出せない原因だからな。しかも大抵、こうなる前に魔力操作を止める。走りすぎて死ぬ者が滅多にいないように、本能的にそうなるんだ。セシル、なぜ、お前が急に――」
呻るアルバート。
3人の視線は、ベッドの脇に立てかけられた杖――『峠守』の錫杖に向かう。
「……持っていたあの杖は、なんなんだ?」
サニーは杖をとりあげて、儀式のように掲げてみる。
「うーん、空に向かって――こう……わっ」
天井にごつっとぶつかりそうになって慌てた。
「……なにやってる。このような症状を起こす道具ではないぞ」
「魔法は、サニーにとって不思議なものですから。何が起こってもおかしくない――そう思っています」
サニーは杖を降ろして、先端に埋まった宝石や、金属の飾りをなでる。
(なにか、思い出しそうなんですけどね……?)
もどかしくて、ムムと唸る。前世のなにかを、記憶というディレクトリからもう少しで引っ張り出せそうなのだが。
「――」
少年の唇が震え、サニーは急いで杖を置いた。
「アルバート様、セシル様が!」
「なにっ」
しんと静まり返った部屋に、かすれた少年の声。
「ごめん、なさい」
初めて聞く、セシルの声だ。
リタが息をのみ、アルバートは半立ちになる。
「セシル!? お前、話したのか!?」
うっすらと目を開けるセシル。サニー、リタを順番に見てから、やがてベッド側のアルバートに気づいた。
義兄を見る顔は、かすかに強張ったように思う。
「……セシル?」
力なく微笑み、目を逸らすセシル。
アルバートはほうっと息をつき、椅子に腰を落とした。声を震わせながら、義弟の右手を掴む。
「よかったよ。もう、目覚めないかと……!」
アルバートはすぐに頭を振ると、膝を叩いて席を立つ。リタに子爵らへの連絡を指図し始めた。
セシルが半身を起こし、サニーに赤い目を向ける。
「……どうしました?」
右手が持ち上がり、窓の外を指さす。
月が出ている方角――南西だ。
静かな視線に、気圧されてしまう。
「――」
セシルは口を動かしながら、指で宙に文字を書く。
(『あ』、『ら』、『し』――嵐……?)
サニーが目を瞬かせると、セシルは頷き、人差し指を唇に当てる。秘密にしてほしい、ということだろうか。
以降、彼がまた声を出すことはなかった。
◆
(なぜ、セシル様は急に倒れてしまったのでしょう……)
意識が戻ったことで、とりあえずサニーは先に自室で休むことになった。
天気予報があるサニーは、体調を崩すわけにはいかない。
(でも、アルバート様、ますます大変に……!?)
ぶるりと震えるのは、錬金術師アルバートには、普段の仕事のうえ看病でさらなる負担がかかるから。
村人への診療は、話を聞いたベアトリスと師匠クレメンスが手伝いを願い出てくれた。素材屋も、薬の材料などを都合するという。
手伝ってくれる人たちに、感謝の気持ちがいっぱい湧いた。
彼らもそう長居はできないが、領地からの旅路が安全になるよう、天気予報には気を抜くまい。
――魔力異常。
ベッドに腰かけると、ふとアルバートの言葉が頭をよぎった。
(魔力……そういえば、私の『天気予報』も、魔法なのでしょうね)
サニーは、天気図を衛星画像のように見ることができた。
ただし、魔力が関わっていそうな制限もある。
一つは距離。人工衛星時代は、日本から太平洋まで納める広範囲だったが、今は半径300キロくらいが限度だ。おそらく地表からだと、魔法の力が行き渡る範囲に限界があるのだろう。惑星の丸みや高い山が、魔法の力を遮るのだ。前世の気象レーダーは、高台に置かれることで、レーダー波が地形に遮られるのを最小限にしている。
もう一つは、太陽光で魔力を補給できない夜は、微妙に範囲が狭まること。
(『太陽光発電』で、かなりの魔力を得ているみたいですね……)
サニーも無理して天気図を広げようとしたら、セシルのように熱を出すのだろうか。『身体強化』のおかげで、よほどのことがない限り体は大丈夫らしいが。
「わたしの力も、魔法によるものなら――」
若様からの授業を思い出す。
――『感知』とは、文字通り魔力を感じる力のこと。
つまり、センサー。
セシルに教えてもらった『峠守』の像。収穫祭では、子爵夫人が杖を掲げていた。
教会では、天気を当てた人の伝承を見ている。
「あ――」
目を閉じて意識を集中した。
頭に、天気図を呼び起こす。
子爵領を中心とした、北側の山地と、西側へ抜ける峠道。東側には平地が広がり、リンデンもそちらにある。
そして、南に向かうと海。
外洋の南西では等圧線の間隔が狭くなり、雨雲が渦を巻くように流れていた。おそらく天気図に映っているのは大きな低気圧の外縁部で、渦の中心はもっと西にある。
「この大きさ――寒冷渦……ですね」
ぽつりと呟く。
中緯度地域で発生する低気圧だ。
北極と赤道の間には温度差があり、この温度差を生めるように北から赤道へ向かう風が生じる。そこに自転が――コリオリ力が影響し、風向きは南西となる。
偏西風だ。
この偏西風が気象条件によって大きく蛇行すると、風速域に包まれたポケット状のエリアができる。ここに渦が生じ、周りの空気を吸い上げるのだ。後は台風と同じで、周りの空気を吸い上げながら低気圧として成長していく。
前世では、しばしば日本海側に雷を伴った大雪を降らせた。
「進路は、東進でしょう。領地に近づくにはしばらくかかるでしょうが――」
寒冷渦は、低気圧としては低速の部類。
サニーの観測可能な範囲に入るまで、まだ幾日かかる。
(セシル様……南西を見てましたよね?)
それは、サニーが寒冷渦を感じた方角と同じ。
(もしかして……!)
空色の目がきらめき、ワンピースの裾をぎゅっと握る。
『天気予報』が思わぬ方向から進むかもしれない。でも、それが『いいこと』なのか、わからない。こんな迷いは初めてだ。
沈みかけの月が、山の尾根からこうこうと領地を照らしていた。




