4-4:ターニング・ポイント
サニーとアルバートは、『峠守』の儀式を見守った。
秋晴れの下、広場中央に設けられた祭壇から、まず司祭が朗々と祝詞を響かせる。人々も目を閉じて祈り、荘厳な雰囲気に包まれた。
続いて、涼しげな鈴の音。
子供の背丈ほどの錫杖を揺らしながら、青いローブ姿が歩いてくる。クライン子爵の妻、ノーラ夫人だ。
いつもおっとりした女性だが、今は神秘的に感じる。薄く化粧を施して、フードから艷やかな赤毛がこぼれていた。
半歩後ろには、子爵その人も付き添う。二人は軽く頷きあうと、夫人だけが祭壇に上がり、杖を高く掲げた。
いつかセシルに案内された、峠守の像を思い出す。
(杖を、掲げる……)
不意に、肌が粟立つような感覚。見えない何かが動いたように、サニーには思えた。
杖には魔法が込められていたのか、先端の水晶がまばゆく輝く。
太陽の光を吸い込むように、水晶は陽光を受け輝きを増した。まるでもう一つの太陽のごとくなった水晶は、きらめく水面にも似て、宿した光を揺らめかせる。水晶のプリズム効果か、杖はあちこちに虹色の光を放射。
一時、広場は彩りに染まる。
「すごい……」
目をきらめかせるサニー。
この世界も、人も、不思議だ。
知らないことが溢れている。
光が治まると、子爵夫妻は山に一礼をして、祭壇を降りた。
静まりかえった、厳かな雰囲気が残る。
やがて拍手が巻き起こった。大興奮したサニーも手を叩いていると、若様が教えてくれた。
「古い伝承、峠守を表した儀式だ」
「天気を当てた人、ですよね!? あの杖は――」
「峠守が実際に使っていたものらしい」
「え!? たしか10代以上も前ってことは……軽く200年前!? すごい稼働時間じゃないですか!」
「光はただの演出だ。特別な効果はない。魔力を宿しやすい材質で、魔力をこめれば誰がやっても輝く」
『峠守』本人は男性だったが、奥様が儀式をするのも単に魔力が多いためらしい。てきとうだ。
「原理は魔導ランプと同じだな」
なんだ、とちょっと力が抜ける。
エネルギーを流すとピカピカ光る、ネオンやLEDの仲間だろうか。
「魔力を宿すといえば、技術的には私が作った魔導銀にも似ている」
「……いつも、空気中の魔力を測っているものですよね?」
水銀の代用で、気圧計に収まっている液体金属だ。本来は空気中の魔力を計り、天気予報に役立てるため発明された。
今は研究が進み、本来の魔力測定にも供されているが。
「うむ。あの水晶と、私の魔導銀では、後者の方が感度はかなり高いが……」
何度か見せてもらったが、魔力を受けた魔導銀は単に光るだけでなくて、色とりどりの複雑な波形を生む。その波形から魔力を読み取るらしい。
「あの錫杖もなかなか高度だな」
「……200年前の人となに張り合ってるんですか」
儀式が終わると、義弟セシルが進み出て、奥様から杖を引き受ける。微笑ましい光景に、小さな拍手が起こった。
「あちら、セシル様ですね」
「うん。自分から手伝いを願い出た」
赤い瞳は誇らしげで、かつて魔法を嫌がっていたとは思えない。
胸がぽかぽかした。
「――がんばってますねっ」
「ふ、そうだな。『声』を失ったのが精神的なものなら、治癒もきっと近い。いずれ儀式は、セシルもやるかもしれない」
サニーは目を瞬かせた。
「おそらく才はある。義弟は瞳が赤いだろう? 赤い瞳は、魔法に特別な才をもたらすという説がある。実際、セシルは魔力を『感知』する能力が高い」
サニーはいつか聞いた事情を思い浮かべた。
少年は魔力への『感知』がとても鋭い。しかし、恐れからその感覚を封じ込め、結果として重要な機能――声まで失ってしまったのだと。
(声を失う――それも感覚の変異から起き得ます。魔力の検知も感覚なら、ありうるのでしょうけど……)
とりとめのない考えが頭を過ぎる。
魔力への感知機能――センサーの故障だとすれば。
そのセンサーは、少年のどこにあるのだろうか? たとえばサニー1なら光学センサー、熱赤外センサー、中間赤外センサーと、3つの機器を搭載していたが。
拍手が再び耳を塞ぎ、思考を中断させる。
壇上から子爵が声を張った。
「儀式は、以上だ! さぁ続きは、音楽、それにダンスとまいりましょう」
雰囲気は一転、弦楽器や太鼓が奏でられる。
思わず動き出したくなるような、温かくて、楽しいリズム。
着飾った男女が広場の中央へ向かっていく。
儀式を終えたセシルがサニーににっこりと笑いかけ、忙しく給仕していたリタもふっと微笑みかけた。なんだか『どん』と大きな手で背中を押してもらえた気がする。
「サニー」
アルバートが伸ばした手を、サニーはおずおずと取る。頬が赤くなり、鼓動が騒いだ。
「だ、ダンスはちょっと練習しただけなので、あんまり自信ないですけど……」
「そうかね? 義母上は上出来と言っていたが」
音楽に乗って、体を動かす。2人でくるりと回り、体を投げ出す勢いでターン。
バランスを崩しそうになると、アルバートが支えてくれた。
「ほらな?」
「――ふ、ふふっ」
大勢の人に混じって、手足をいっぱいに使って、楽しんでいる自分に気が付いた。
「どうした?」
「楽しいですっ! アルバート様」
悩む。迷う。それでも、人でいることは、楽しい。
気象衛星から人になったことは、素敵なことなのだ。
(たとえ悩むことがあっても――)
そうか、と若様は微笑んだ。
(アルバート様となら――)
互いの顔は赤い。
薄黄色のドレスは動きやすく、神様にもらった手足は自由だ。
2曲終わると、踊りの組み合わせが交代する。サニーもアルバートも、相手を変えて踊った。飛び入りも歓迎だったようで、ベアトリスは見事なターンを見せたし、巨体の素材屋はサニーをコマのように回した。
子爵家のみんなや、アルバートの師匠も楽しげに手を叩いている。
最後の曲は、やはり若様と。
だいぶ体もほぐれて、一番うまく、楽しく踊れたと思う。
「――君は、やはり体力があるな」
「『太陽光発電』してますからね」
けっこう疲れてそうな男女もいる中、サニーはけろりとしていた。
収穫祭も進み、空はだんだんと日が傾く。
「若様。サニーは、そろそろ」
「――実験室だな?」
「はい、今日の観測データを記録しませんと」
日没前の天気図を、毎日ノートに残しているのだ。
そうしておけば、遠方から観測データが届いた時、突き合せができる。その観測が正しいか、論文に使えるか、助言が可能だ。
「では、私も行こう」
「アルバートっ」
子爵家の義兄たちが、若様を呼び出した。
「……すまないが、先に行ってもらえるか?」
「ええ!」
サニーはお祭りの喧騒を離れて、静かな山道へ向かう。
途中、セシルも愛犬ロビンと休んでいた。彼も人混みは少し苦手なのかもしれない。手にはまだ、儀式の錫杖がある。
「――」
ちょっと手を振ると、セシルも手を振り返す。少年は、愛犬と共に立ち上がると森へ向かった。
(あっちは……確か、『峠守』の像?)
まだ明るくて問題はないが、祭りの最中に抜け出すのが気にかかる。セシルは意外と悪戯好きだ。
(どうしたんでしょう?)
とはいえ、サニーも山小屋での記録をしなければならない。
すっかり秋めいた木々のトンネルを抜け、山小屋へ入る。記録帳に観測結果を書きつけた。
(風速、気圧、と――)
秋にも『寒冷渦』など嵐を引き起こす気象現象があるので、油断できない。
終わって部屋を見渡すと、イーゼル――スケッチ用の台座が、傾いた陽を浴びていた。窓辺にはスケッチ用紙の束も出しっぱなし。
執務に研究が重なり、さすがの若様も整理が滞りがちなのだ。
――実験室で、彼、スケッチしてるでしょ。
甦る、ベアトリスの言葉。
――もし、あなたの気持ちに名前がついたら、それをこっそり見てみなさいな。
いけないことだ、と思う。秘密を見てしまうような気がして。信頼を裏切る気がして。
でも若様と一緒に踊ったせいか、高揚し大胆になっていた。
紐でまとめられたスケッチ用紙を、両手でとってみる。めくろうか、どうしようか――以前のサニーなら、絶対に迷わなかった。
(サニー、おかしくなってる……)
じんわり浮かぶ手汗が、紙に沁みていく。
『お役に立つ』のに、この行動は必要だろうか? 急かすように、鼓動も早い。
(でも、わたしには、大切なんです)
自分に言い聞かせて、紙をめくった。
途端、数々のアイディアが目に飛び込んできた。
(気球、乾式気圧計、積乱雲の模式図、自動記録装置、それにこれ……レーダー? あ、魔法を使って――)
才能の証明。
どこか懐かしいのは、気象衛星は、こうした古風な観測装置の子孫だからだろうか。
サニーは、少しだけ違う絵を見つける。
観測器具『天体望遠鏡』と少女を写したものだった。
なんの変哲もない絵。でもよく見ると、論文用の練習絵や、アイディアのメモ――そうした素描とは、どこか違う。
線が、優しい。天体望遠鏡を興味深く覗き込む少女の横顔や、服の皺、髪の柔らかさまで、日当たりさえ感じられるほど温かく描かれていた。
以前なら『細かく書き込まれているな』と思うだけだっただろう。おかげで少女がサニーだと、きちんとわかる。
無意識に、指で線をなぞった。本人は、ほんの風景の練習のつもりだったのかもしれない。でも繊細な線には、想いを感じずにはいられなかった。
(アルバート様は、これをあまり見せたがらなかった……)
どこか恥ずかしがっていたように思う。
恥ずかしいは、本心を隠す気持ち。
――本心?
「……あれ?」
声が出た。
部屋が妙に熱いと思ったら、サニーの頬はリンゴのように真っ赤になっていた。
(おかしいです……)
若様の笑顔や、リンデンを歩いたこと、踊ったこと、服を買ってもらったこと――そんな天気以外のあれやこれや。思い出に意味が生まれて、胸をいっぱいにする。
サニーは鼓動を封じるように、スケッチ用紙の束を胸でぎゅうと抱きしめた。
前世、地球に落ちるのと同じ気分だ。サニーは今、自分ではどうしようもない力に引かれている。
山小屋のドアが開いた。
「すまない、遅れた」
「!?」
跳ね上がるサニーに、アルバートは首を傾げる。
「どうし――」
若様は、真っ赤なサニーが抱える紙束に気づく。
「え、ええとですね、これは……」
言い訳が、行き場のない雲みたいに部屋に浮かんでは消えていく。
頬はどんどん赤くなる。
後ずさったサニーは、床に落ちていた書類を踏み、バランスを崩した。ダンスの時のように支えてくれたのは、若様だった。都合、サニーはアルバートに腰を支えられた形となる。
空色の目と、エメラルドの目が合った。
(なんでしょう、これ……)
頬の冷却機能に問題がある。
(そうです、若様はきっとこういう時、どうすればいいか知って――)
アルバートも瞳を濡らし頬を染めていた。こっちもいっぱいいっぱい。
服越しに、互いの鼓動や温かさが伝わる。
たまらずサニーは目を逸らした。
(わたし……この人のこと『好き』だ……)
彼のことも考えずにはいられない。
(たぶん、きっと……アルバート様も……)
そうであってほしい。
今の表情、繊細な筆遣い、不器用な優しさ。
「わ、わたし……アルバート様のこと、その……」
アルバートは、人差し指でサニーの唇を封じた。
「私は、君が好きだ、サニー」
心臓が跳ねた。たぶん第一宇宙速度超えて、静止軌道までいった。
「――ゆっくりでいい。君は、少しずつでいい。私の心は、決まっているから」
「は、はい……」
湯気が出そうなサニーを落ち着けるように、そっと抱きしめてくれる。
「わたしも、アルバート様のこと――」
『お役に立つ』――そう決めて異世界にやってきた。
それがミッションだ。具体的には、天気予報。
人工衛星はすべての人のお役に立つもの。
しかしサニーは、その中のたった一人を、特別にしようとしていた。
「わ、わたし……」
声が震えるのは、これでも自分の変化に迷うから。
いつもの実験室で、いつもの2人なのに、今は着飾って抱き合っている。顔を若様の胸にうずめた。
鼓動の音に、『この人も』と安堵した。いつまでもそうしていたかった。
(……それでも私、あなたが『好――)
コンコン、と山小屋の扉がノックされる。
若様は静かにサニーを離し、こぼれる涙をハンカチで拭ってくれた。
「ここ最近は、私も、その……先走り過ぎていた。ここで少し休みなさい」
身を整え、玄関に出ていくアルバート。
だがすぐに、呻くような「なに」という声がした。サニーも実験室を出る。
「どうしたんです?」
来訪者は、青い顔をしたリタだった。
「さっき戻られたセシル様が――高熱を出し、倒れられたのです」
開いたドアから、秋の冷たい風が吹き込む。




