4-2:人工衛星、街を歩く
転生して半年、地面をこんなに不安定に感じることはなかった。
ドキドキして、フワフワする。しっかり歩いているはずなのに、まるで雲の上を進んでいるみたいだった。いつもと違う、飾り付きの靴のせいだろうか。
はっきりと感じるのは、アルバートとつないだ手、そして少し熱い頬。
(いえ、雲は水蒸気の塊なので、実際には歩けないのですが……)
などと、とりとめのないことまで考えてしまう。
今日のサニーは、ワンピースも髪飾りも少しお洒落にして、恰好からしてもいつもと違った。
ちらりと右隣の若様を見やる。アルバートは長身の上に整った顔立ちのため、自然と通行人の目線も吸い寄せていた。
今までのサニーも心の乱れに翻弄されたが――
(よしっ)
サニーは、アルバートを逆に見つめ返した。
気象衛星としてだけではなく、人として、女性としても変わりたい。デートは絶好の機会だ。
「ど、どうした?」
「決意を新たにしたのです」
ふんと意気込むサニーに、アルバートは苦笑した。
「嬉しいが、いつも通りでいい。むしろ、ワガママも言ってほしいくらいだ」
「わ、ワガママ……?」
「ああ。案内のし甲斐がある」
彼は言った通りに、事前に2人乗りの小型馬車を押さえてくれていたらしい。手を引かれた角で、馬車がすぐに待っていた。
並んで座るように乗り込むと、軽快に走り出す。
向かった先は、大通り。
「ここは、リンデンの中心だ」
秋晴れの下、店や屋台が軒を連ね、外に席を並べた喫茶店もあった。馬車から見ると、賑やかな街並みが後ろに流れていく。
「ほとんどのものが揃う。連れてゆきたい服飾店も近いし、屋台や喫茶店、小物屋もある」
服飾店以外に、まず出てくる候補が屋台なあたり――初来訪で目をキラキラさせて見ていたことは、ばれているかもしれない。
前方に人混みがあり、馬車が停まる。近くに屋台があって、焼き菓子のいい匂いもした。
「丁度いい。以前来た時、屋台に興味を持っていたな」
「……えっと、そうですけど……」
初めて来た時は、若様の言う通り。
今は、食い意地ばかりのようで少し恥ずかしい。食べるのは変わらず好きなのだが。
「遠慮することはない。蹄鉄型の焼き菓子はこの街の名物だ」
「え、遠慮とかじゃなくてですねっ」
「そう、なのか?」
サニーは腕を組んでしまう。
(……診療所にあんなに女性が集まって、どうしてちょっと無学なんでしょう)
おそらく錬金術に没頭していたせいだ。それでも察して欲しいものである。
「馬車で酔ったか? 食欲が――」
お腹がきゅうと鳴いた。胃袋の警報め。
2人で馬車を降り、焼きたてのクッキーを買う。
「…………」
「店主、焼きたてを2つ」
「あいよ」
リンデンは行商の街ということもあって、クッキーもU字の蹄鉄型だった。
「物流が豊かだから、バターも小麦もぜいたくに使える。香りもとてもいい」
「わ、ほんとですねっ」
「菓子は錬金術に似る。パンと材料はそう変わらぬのに、こう平たいのは不思議なものだ」
「塩やタネの有無で起きる化学反応が変わるからですね」
「反応、なるほどな。熱して砂糖を溶かすのも、融点を利用した加工といえる」
「……お客さん、食べないと冷めますよ」
話す2人の理系に、店主が変な顔をした。
少し涼しい秋の中、まだホカホカした焼き菓子は格別に美味しい。口に入れると、サクリとほどけ、素晴らしい小麦の香りが広がる。
緊張が吹き飛び、笑顔が弾けた。
「美味しい……!」
「よかった。ついでに軽食をとって、街を巡るか」
「! はいっ」
喫茶店で軽食をつまんで馬車に戻ると、若様はリンデンの案内を再開する。絵を売っている店、錬金術の材料を売っている店、かつて義兄達と来たという年季入りの食堂。食堂は、アルバートの師匠も気に入っていたらしい。
木彫りを商っている店もあり、サニーは小さなものを買ってもらった。
「その木箱がいいのか?」
「ええっ。模様も素敵ですし……」
なんとなく、形が『前世』に似ている。人工衛星は箱に太陽光パネルがついた形をしているのだ。
サニー2は元気にやっているだろうか……。
「ありがとうございます、これまで買っていただいて……」
「ふふ、気にするな。言っただろう? この方が、案内のし甲斐がある」
続いてアルバートが案内してくれたのは、リンデンを一望できる鐘楼。地上7階ほどで、この辺りでは最も高いという。
長い階段を『身体強化』ですいすい上った。
手摺に身を乗り出せば、買い物した通りを見下ろせる。視線を上げると、城壁に、都市周辺の畑、さらには子爵領の山まで一望できた。
「わぁ……!」
「街を見たいなら、この場所からの眺めが一番だ」
秋の風が通って、銀髪と金髪をそよがせる。
「リンデン、お詳しいのですね」
「ほんの5、6歳の頃から来ているからな。両親がここの聖堂に勤めていたんだ」
エメラルドの瞳を細めて、昔を思い出している。
「――これも昔の話だな」
「いえ、聞かせてください。サニーも知りたいです」
若様はくすぐったそうに微笑み、続きを話してくれる。
「父母は聖職者でな。おかげで、私にもよく本を買ってくれた。嵐で亡くなったのは、このくらいの時期で……少し辛い頃合いだったが、君のおかげで、今年は墓前によい報告ができそうだ。本当に、感謝してる」
濡れたエメラルドの瞳と、目線が交わった。
一言。
伝えたい言葉が生まれそうなのに、うまく口から出てくれない。いつも、何かが引っ掛かる。
(『お役に立つ』って、難しいです)
サニーは、少しずつ状況を理解しつつあった。
人工衛星は、多くの人の役に立つもの。特別な誰か――数億人のための機械ではなく、たった一人のための機械になることに、特別な抵抗があるのではないか。
(以前は、こんなこと悩まなかったのに……)
好きなものを好きと、裏表なく言えた頃が懐かしかった。
「少し、疲れたか? 秋は気温の変化が激しい」
「い、いえ! 今日は高気圧が空を覆って、気持ちのいい秋晴れです! 夕方までお天気は安定するでしょうっ」
若様はぽかんとして、やがてくつくつと笑った。
「予報は、いつでも健在か」
「――はいっ。これだけは、譲れません」
「そろそろ、降りるか」
サニーは背を向ける若様の手を取って、両手でぎゅっと握った。
「ありがとうございます。最近のわたしは、少しおかしいかもしれませんが……でも本当に、楽しいです」
「っ――そ、そうか。ありがとう」
余裕のある佇まいが、サニーの熱を心地よく緩ませた。
(若様、優しいです……やっぱり色々なことをご存じなのですね)
なおアルバートの内面もサニーと大差なかったが、彼女は知らない。
「さて、次は……君の衣服だな」
長い階段を2人で降りて、服飾店へ。
遠出の目的、サニーの収穫祭での服選びだ。
「事前に文を送っていた、アルバート・クラインだ」
「お待ちしておりました」
「こちらの女性に、一式を」
明るい店内には、色も形も違う衣服がたくさん並んでいた。どれも布遣いがゆったりとしており、レースやフリルの装飾も華美である。
圧倒されるサニーを見つつ、若様は女性店員と話していた。
しかし、これほどのドレスの山となると、簡単には選べない。若様はその辺りも考えていたようだ。
「今、無理に決めなくてもいい。子爵家がよく使う店でもあるし、候補を見繕ってもらえば一週間ほど後に村まで来てくれる。靴、装飾品、一そろい選んでいい」
「……でも、かなりお高く……」
「村への貢献を考えれば、これでも少ない。元手は気にするな、私も王立学会時代にかなりの特許を取っている」
そこまで言われては、さすがに遠慮はできない。相場などまったく分からないサニーだが、事前にきちんと用向きは店に伝わっていたようで、『村の屋外で着用』『奥様など目上の人より華美になりすぎない』などなど、店員に詳細な仕様がインプットされていた。
貴族の盛装となれば、生地から選び、用意に数か月がかかることも珍しくないが、収穫祭ならばこうした既製衣装を直すくらいが丁度良いという。逆に手間をかけ過ぎると浮き上がるとのこと。
「あ……」
若様を待たせて、自分で選ぶサニー。青い目が、一つのドレスを映す。
店員に手伝ってもらい、服を自分の胸元に当てた。
「これ……どうでしょう?」
「――よく似合う。とても」
緑の瞳がきらめいて、それに決まった。サイズは少し直す必要があるが、一週間後にまた村まで来てくれるという。
「ありがとうございます、若様」
「光栄だ」
店を出た。二人きりの街歩きも、そろそろ終わる。
楽しかった分、名残惜しい。
サニーは今、わからない、未知の宙域に進んでいる。これでは静止衛星ではなく、ボイジャーのような探査機だ。
なのに不思議と心地よいのは、アルバートが隣にいてくれるからだろう――子爵領のみんなとの合流場所に向かいながら、そんなことを考える。
(ミッション……わたしの、この世界での……)
お役に立つ。
アルバートと気象を解き明かし、人を知り、大勢に天気予報を信じてもらうことだと思っていた。
一人を好きになった時、果たして自分は――今までのようにミッションを果たせるだろうか? そもそも、果たさないといけないものなのだろうか?
初めての疑問に、サニーは戸惑った。




