間章:アルバートの悩み
秋が近づくと、夢を見る。
嵐の中を二頭立ての馬車が走っている。それを遠くから見ているのは、まだ14歳のアルバートだ。
両親が乗っていると知っているのに、迫る危機を馬車に伝えることはできない。全て、結末が決まった過去の情景だから。
風に抗い走っていた馬車は、不意にバランスを崩す。馬がいななき、客車でランプが揺れた。
アルバートは崖に落ちていく馬車に手を伸ばす。が、その手も絶対に届かない。
視界が暗くなり、次に明るくなった時は、がらんとした室内だった。両親が死んだ家に、独りで残されたアルバート。
14歳はまだ子供だが、一家の生き残りであり、無数の手続きに同席しなくてはいけない。書面を読みこなす学識や、錬金術の知識で大人を驚かせつつも、内心は湖のように静かだった。
数日後、同じ銀髪をした男――ハロルド・クライン子爵が家を訪れる。養子にとる相談、そして『辛かったな』と肩を叩かれた時、アルバートはようやく泣けた。
伯父の子爵とは家族ぐるみの付き合いで、父母は旅立つ時にアルバートを数日ほど子爵家に預けた。アルバートの両親、その帰らぬ旅を見送ってしまった悔いは、子爵家も同じだったのかもしれない。当時4歳のセシルも聡く、義弟として新たな兄を受け入れてくれた。
――気象だ。
両親は嵐で死んだ。恩人クライン子爵も、領地の変わりやすい気象に悩まされている。
ならば錬金術師となり、自分が気象を解き明かす。その義務と責任がある。
優れた師と出会い、都の王立学会に招かれて、いつしか決意は焦りと驕りに変わっていた。アルバートは天才といわれるほど、研究者として有能だったのだ。
新しい理論を考えた場合、実験器具による証明がいる。そうした器具の設計、作成にもアルバートは才能を発揮した。
その才を活かして作ったのが、錬金術による『レンズ』である。気象予測が成功した場合、予測を広い範囲に伝えなければならない。そのため『レンズ』で遠くの魔導ランプの点滅や、標識を確認させたりすることで、通信の高速化に先手を打った。だが『レンズ』はガラス職人組合、通信は伝令組合を怒らせただけで終わる。
――私は……私は……。
今にして思えば、王立学会からの追放は、周りの嫉妬や攻撃をかわすための、師匠から配慮でもあったのだろう。ベアトリスのような仲間も、陰ながら名誉回復に動いてくれたようだ。
――なのに、私は……!
自分を追い詰めそうになる直前、夢の景色がふいに鮮やかになった。
日が差し込む実験室で、金髪の少女がちょこちょこと実験器具を弄っている。
――きっと、大丈夫です。
微笑む彼女は、差し込む陽光に青い目をきらめかせて、アルバートに手を伸ばす。
今度は、届く。アルバートは、やってきた少女サニーに右手を伸ばし――
◆
ゴンッ、と固い音が響いた。こめかみの鈍痛で、頭をぶつけたのだとわかる。
床に手をついて身を起こすと、後ろに研究用の机と椅子があるのに気づいた。
(机で、眠っていたのか……)
バランスを崩し床に落ち、頭を打ったらしい。
窓から差し込む陽は明るく、そう長くは眠っていないはずだが。
(最近、夜も遅くなってきた……いかん、またサニーに心配をかけてしまうぞ)
頭をさすりながら身を起こすと、実験室にはメイドの少女もいた。
独りきりだと思っていたので、アルバートは驚く。
「大丈夫ですかぁ?」
「り、リタか……」
侍女が持つカゴには、山小屋で用いる敷物など。洗濯日を前に、汚れ物を回収に来たのだろう。はたきを持ってきてくれている辺り、軽く掃除もしてくれるらしい。
「ありがとう、少し眠っていただけで、私は――」
「『サニー』って寝言を呟いていらっしゃいました」
座った直後、アルバートはぎくりと身を強張らせた。結った茶髪を揺らして、リタはにやりと肩をすくめる。
「これは重症ですねぇ」
「…………うん」
あまり隠せている自信はなかったが、アルバートはここ最近、はっきり自覚していた。整った横顔を、悩ましく歪める。
(惹かれている……)
掃除しているリタに見えないよう、アルバートはスケッチ用の紙束を取り出した。どれも実験器具の素描や、設計図のメモばかり。リンデンで行った大気圧実験、その金属半球ももともとはこのスケッチからのアイデアだ。
いくつか、実験室の情景を描いたものがある。
アルバートがめくったのは、部屋に置かれた天体望遠鏡と、それを興味深く眺める少女の絵だ。初めは、ほんの練習感覚で、ある時の情景を写しただけ。
しかし絵には、描き手の気持ちが宿るもの。
絵心がある者が見れば、主題は望遠鏡ではなく少女と気づくだろう。線の繊細さも柔らかさも、表情の切り取り方も、光の当たり具合も、作者の特別な感情が伝わりかねない。
というか、ベアトリスには一発でばれた。
「おそらく……そういうことなのだと思う」
「『そういうこと』ってなんですか。乙女ですか。当年とって21歳が」
ぐっとアルバートは黙る。リタは割とアルバートにも容赦がない。
「それなら、もう少々大事にしてあげてくださいませ。差し出がましいようですが、研究に熱が入ると若様は少しぶっきらぼうになりすぎます」
ぐさぐさと言葉が刺さる。自分でもそう思うだけに、何も言えない。
「若様には執務も診療もありますし、お仕事量は存じ上げています。正直なところリタも心苦しいです。でも……この間の公開実験の前、若様は一週間も準備にかかりきりで、しかもあまり会話もされず……どれだけサニー様が心配したか」
「それについては謝った……反省もしている」
サニーは許してくれた。そして結果的に実験はうまく行った。おかげで、アルバートが抱いていた子爵家への引け目も薄らいだように思う。
リンデンの街にも、百葉箱や予報が伝わった。
「頑張っていい所を見せたい、とかも思っていたのではぁ?」
「……! そ、それもある」
「いや、『それもある』じゃないですよ」
彼女の理論を引用するだけの自分に焦りがあったのは、確かだ。
熱くなる耳たぶを隠すように銀髪を掴む。
(博識で、理論も完璧なくせに、世間知らずで……)
青い目をきらめかせて知識を披露したかと思えば、子供のように他愛なく屋台や動物にも目を輝かせる。
最初は研究への興味だったが、だんだんと――人としての魅力にも囚われた。
「まったく。サニー様が同じことをしたらどう思うか、ご自身でも考えてくださいませ」
アルバートは目元を揉んだ。指摘されている通り、完全にペースが乱されている。
(だが彼女はまだ……恋愛というものを、おそらくよくわかっていない)
なにせ、『ジンコウエイセイ』である。いきなり気持ちを明らかにしたところで、戸惑うばかりに違いない。
もちろん彼女だって成長している。特にベアトリスに会ってから、商いに駆け引きがあること、理解ない他者から時に悪意がぶつけられることを、学んでいる。恋愛や、結婚についても――おぼろげに意識するようになったようだ。
それでも、迷う。
どこまで伝えていいのか、素直になっていいのか。
伝わってほしく、まだ早いとも思う。そもそも、他人にこんなに気を揉むこと自体が始めてで。
「――埋め合わせは、しなければいけない」
アルバートは窓の外を見やる。夏の陽はだいぶ大人しくなり、秋が始まろうとしていた。
「そろそろ収穫祭だ」
「ああ、お食事に、踊りもあるのでしたねぇ」
村育ちで内容はわかっているだろうに、リタはわざとらしく言った。
「村にもだいぶ慣れた様子だし、サニーも参加して大丈夫だろう。ドレス――は華美すぎるが、リンデンで衣装や装身具を揃えてあげたい。あの街には興味もありそうだし、私なら案内もできる」
「へぇ~……」
「……立場は『助手』であるし、収穫祭も子爵家の行事と思えば、私が用立てても体面上もそれほどおかしくはない――と思う」
「そうですねぇ~」
「――さっきから、なんだね」
「別にぃ~」
によによするリタに、アルバートは『話は終わりだ』とばかりに羽ペンをインク壺に突っ込む。おかげで、論文『気球による高層大気観測の必要性について』の出だしは筆圧強めになってしまった。
(ああ、まったく――私も、変わってしまった)
かつて両親を失った季節に、少しずつよい思い出が増えていきそうだった。特に、サニーのおかげで。




