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ひな壇は来なかったけれど。

作者: 西奈 りゆ

 私の母は、人形が嫌いだった。


 祖母は私が生まれたとき、自分の雛人形を送ろうとしたらしい。けれど母は、「気持ち悪い」と言って、絶対に受け取らなかったという。今思えば、母と祖母は少し関係にズレがあって、そういうことも、母が祖母からの人形を遠ざけた一因になっていたのかもしれない。祖母の死を機に、雛人形は、ひな壇ごと処分されてしまった。


 母はまた、ひな祭り全般を「くだらない迷信」だと断言して、何一つ祝うことはなかった。父は父で、そのことに何も言うことはなかった。それは私の兄がとても優秀で、私がとても凡庸な子どもだったことと、どこか関係があったのかもしれない。


 二月三日は、豆まきこそしなかったものの、節分の日と受験の日には、玄関に兜が飾られているのを、わたしは毎回見ていたのだから。


 そういうわけで、私は生まれてからほとんど、雛人形や、ましてやひな壇をみたことがない。もっとも、最近はそうした風習自体が下火になっているらしいから、私のことも広い目で見れば、そう珍しいことではないのかもしれない。


 けれど三月四日になると、学校で所属していたグループの女子がひな祭りの話で盛り上がっていた時期もあった。そういうときは、私だけついていけず、曖昧に笑うことでやり過ごしていたのは、いまでも覚えている。


 という話をきみにしてから、我が家には変わった風習ができた。


 仕事帰りのきみが、その日だけはピンクのガーベラと、青い勿忘草わすれなぐさで花束を作って、持って帰ってきてくれるのだ。ガーベラは、お雛様。勿忘草は、お内裏様。ひな壇がないから、リビングのテーブルに、花瓶でそれを飾った。


 さして裕福でもなく、ずっと子どもがいなかった私たちの、それはささやかな遊び心であり、お祝いだった。


 ささくれができたきみの硬い手から手渡される、ピンクと青の花束は、いつもふんわりと温かかった。


「ただいまー」


「おかえりー」


 きみが帰宅して、私は作っていた料理を温めにかかる。


 三月三日は、私たちにとって、特別な日だ。


 六年前のあの日、夜二十三時半時過ぎ。まだ二十代だった私達は、丘の上にある役所に向かっていた。


 役所の夜間窓口の人は婚姻届けを受け取ると、一言「おめでとうございます」と言った。それでおしまいだった。あっけないもんだなと思ったけど、彼にとっては何百回も繰り返した仕事なのだから、こんなものかと思った。


 帰りのバスで、ぼんやりと光る行先電光掲示板を二人で眺めた。二人とも、何も話さなかった。あのとき二人は、とても疲れていた。


 わたしは専門資格を活かせずに、中途半端な時間帯の、手間ばかりがかかる非常勤の掛け持ちだったし、きみはきみで、どう考えてもブラックにしか思えない会社に時間ばかり取られていた。


 あの日は、例によってお互いの仕事が長引いて、合流すら、ままならなかった。三月三日を結婚記念日にしようという私たちの計画は、そういうわけで危うくとん挫するところだったのだ。


 舟を見た話をしよう。


 私たちの住んでいる町は、町中を川があちこち巡っていて、澄んだ水は、名水にしていされている。今どきアメンボやカワセミがいる場所があるなんて、コンクリートの町で育った私達は、引っ越して初めて知った。


 とはいえ、最初から私達は、今住んでいる場所に住んでいたのではない。隣の隣町。それこそ、コンクリートばかりが並ぶ、無機質な、各駅だけれど駅の近くの物件に住んでいた。


 あれは、結婚して二年目だった。危機が、訪れた。


 二人とも、疲れ果てていて、もう限界だったのだと、今なら分かる。けれどそのときは、その疲れも、苛立ちも、迷いも、すべて相手のせいにしか思えなくなっていて、お互いがお互いのあら探しの連続で、甘い飴細工のようになるはずだった日々には徐々にひびが広がり、少しずつ壊れていった。


 二人でいることが幸せだったはずなのに、二人でいることが辛かった。


 外を歩きたいと私が言って、けれどもこんな時間に一人で出歩かせるわけにはいかないからとそれでも言ってくれたきみのやさしさすら、私には痛かった。


 まだ冷たい風が吹く夜の道を、並んで歩いた。行先なんて、何も考えていなかった。ふと耳がさらさらと水の流れる音を捉え、導かれるようにして歩を進めると、そこに暗闇に浮かび上がる小川があった。

「綺麗だな」


「うん」 


 川の両端には、木々の間に線が渡してあり、赤やピンクを基調にした、鶴や亀の布細工や、まりが重ねて吊るしてあった。そういえば。ここではひな祭りの日、女の子の健康と成長を願って、着物姿の女の子たちが小さなどんこ舟に乗って、川下りをする。そんな風習があると、聞いたことがある。そうか、もうそんな時期になっていたのか。


 小さなどんこ舟に乗った、可愛い小さなお姫様たちが、川を下っていく。


 そんな光景が、目の前に浮かんで消えた。


 きみもまた、似たようなことを思っているのだろう。言葉もなく、じっと川のほうを向いている。隣を見てまた、「綺麗だね」と言おうとして、びっくりした。きみが、静かに泣いていたから。


「俺たち、このままじゃいけないよ」


「うん。そうだね」


 それは分かっていると続けようとして、けれどきみはかぶりを振って続けた。


「もう、三月三日は終わってるんだよ。俺も美香も、全然気づきもしなかったじゃないか」


 言われて、愕然とした。去年はあんなに、指折り数えて祝ったのに。たった一年で、こんなに変わってしまったことに。


 好きな気持ちさえあれば、何でも乗り越えられると思っていた。けれどそれは、私が、私達が勝手に抱いていた、幻想だったのか。


「美香」


 こちらに向き直ったきみの目には、はっきりとした色が宿っていた。


 冷たい風が、遠くから吹いてきた。



「ひし餅の色の意味って、知ってる?」


 食卓の中央に、割引になっていたひし餅をどでんと乗せて、きみに訊いてみた。


「いや、知らない」


「三色に、層が分かれてるでしょ。一番上は、ピンク。真ん中、白。一番下は、きみどり。それぞれ、桜、雪、新芽の意味なんだって」


「へぇ」


「だからね、それになぞらえて、雪の下に新芽が芽吹く頃、桜の花が咲くっていう意味なんだって」


「なるほど。それはまた、縁起がいいね」


「ね」


 こんな会話をゆっくりできるようになったのも、ここ二年ばかりだ。


 私達は時期をずらして転職のための準備をし、わたしは給料は中の上でも無茶ぶりばかりしてくる職場を離れた。そしてきみは、専門資格を取って、わたしも知らなかった子どものときからの夢を叶え、中途採用で新しい会社に入職した。とはいえ、お互い、率直に言って、生活は少し厳しくはなった。


 わたしの年収は下がったし、きみも入社して長いわけでもないので、前のそこそこ大きかった会社よりは、やっぱり年収が下がっている。あの頃、使う暇もなかった貯金は、今は前ほどには増えないけれど、それでも贅沢をしなければ確実に増えていく。


 コンクリートの町から、川のあるこの町のアパートに引っ越したのは、お互いが新しい場所を得て、しばらくしてからだった。川の流れが、よそおいが、感じられる場所。生活の質は、下がったかもしれない。それでも前より、幸せだった。


 それでも。どんな理想論でもいいから、きみと生きていたい。あのとき確かに、私は、そしてきっと、私達はそう願ったんだ。そんなことすら、忘れてしまった。


 そんな私に気づくことができたのは、きっと幸運だったのだと思う。


 あの日、そこにいない舟を見た私達は、ようやくそのことを思い出せた。



 ガーベラの花言葉は、「希望」。勿忘草は、「真実の愛」。


 これで私達の、たぶん探せばどこかにはある、ありふれた物語は終わりだ。


「しかし、ひな壇って、結構高いのな。来年までに俺、もっと頑張らないとな」


「ほどほどにしてよね。大丈夫、そのままでいれば、結果はついてくるよ」


 さっきまできみが開いていたPCのブラウザには、ひな壇の価格比較サイトが表示されていた。気が早いよと、心の中で私は笑った。


 半年後。私達に、本物のお雛様がやってくる。

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