【天使】養殖(7)
「硬直した日々のくりかえしが能の【準民】を大量に殖やした『牧場主』は、次に『家畜ら』をもっと効率的に利用しうる言語を求めた」
ようやく【神女】は本題に入り、
「幾世代にもわたり刷りこまれた『飼われるものとしての無思考』を、さらに純化し、結晶化して『本能的反射的な全従属』にまで到らしめる……。それこそが標準語を超えた標準語、【超準語】にてそかり。開発は難航せるも……いざ完成してみれば、そはおそるべき威力を発揮した。【準民】を『御しやすき家畜』から『意思も感情もなき素材』に、すなわち『畜人』から『材人』へと堕とす言語なりしゆえ。神の、とまではゆかねど、もはや【天使】の言語、と呼びてよし」
今度は【天使長】も口はさみよらん。
続けて【神女】は、
「もと予備調査段階から、汝はとりわけ有望な【爆心者候補】なりしそかり。内面が肥大していそうな挙動、いかにも傷つきやすげな感受性、そして、これがもっとも重要そかりが、標語の羅列でしかない道徳教科書に染まりおらぬ独特の『善意』……! 『畜人』のまま捨て置くには惜しすぎた」
言葉を切って、微笑の気配。
「吾が汝に与えし力は今後、汝の好きにふるうべし。されど、学ぶべきものがあるうちは吾に付き従うが良策ぞ。『家畜』から【天使】への急激な進化は、総身にまわりかねようそかり」
種明かしが終わる。人海の上を歩み去った【神女】も、海中を駆け去った【天使長】も、とうに波濤の彼方、姿は見えん。
「あーあ」
両手いっぱいのびをして、首を左右に振り振り、襟紗鈴があきれた微苦笑うかべて、
「あんだけへんな日本語で、好き放題の言いたい放題だったねえ」
「聞こえたの?」
「ぶつ切れのとぎれとぎれだったけど、すっごく失礼な煽りぶっこかれたことだけはわかったよ。悔しいねえ……あの人ってさ、どっかの国のセレブさん?」
「わかんない……ごめん」
襟紗鈴は顔ほころばして、
「なんであやまる? とにかく、言われっぱなしはないよね? ね、あの傲慢ちきな『そかりはん』に目にもの見せてやろうよ!」
「え?」
「ね、私を使って!」
群衆が差し上げた手のひらの上を【神女】は軽やかに歩みつつ、人海の潮目を読む。
刃物を持つ巾着人間たちといえど、『海』は切れん。海流と化した人々がやさしくまつわりついて、彼らの手から奪った刃物を路上に沈めよる。
流れに揉まれるいくつもの巾着らを尻目に、【神女】は巾着人間の分布が濃い方角を見定める。
ゆくてにこのパニックを仕掛けた【天使】がおるはず……。
海流と化した人々にできるだけ触れんよう、コマ落としの倍速再生みたいな動きで【神女】の足元を走っとった【天使長】は、後ろに異変感じて振りかえり、意外に形のええ目を裂けるほどひらいて、ぶったまげよった。
少女が追ってきてよる。
すさまじい速度で。
腕を軽くひろげ、腰を微妙にひねった立ち姿で。
その裸足の下には、気をつけしてうつ伏せた襟紗鈴が、静まりかえった無表情を前に向け、こうつぶやいてて。
「ワタシハ、サーフボード……!」
「いいよ、襟紗鈴ちゃん! ごきげんな波が来てる!」
すこぶるサーファーなせりふを叫び、少女は人海のかたちづくるウェーブをとらえ、すべり、反転し、高速で過ぎゆく水面に指先をつけ……。
次々に触れては去る、見知らぬ人々のみずみずしい手……!
あっちゅう間に【神女】と【天使長】に追いつき、横を行く【神女】に、
「そっちは危ないですよ! 先に大きな『渦潮』があって、あなたはきっと足を取られる!」
「ほう」
面白げな顔の【神女】。
仰天しっぱなしの【天使長】。
いま少女は、襟紗鈴の頭に両足を乗せ、遠くの波を見つめてよる。
それは『ハングテン』。
ボードの先端を両足指でつかみ、直立する高等テクニック。
少女の足指にひたいの皮ひっぱられて、襟紗鈴の顔がものすごいことになってしもてる。(『【天使】養殖』(8)』に続)