第一話:「羊舎で咲いた、初恋の種」
春の柔らかな日差しが、古びた羊舎の屋根を優しく照らしていた。葛城蒼太は深呼吸をして、羊舎の扉に手をかけた。この学校にはこの地方独特のめずらしい取り組みとして羊を育てているのだった。
「よし、がんばるぞ!」
蒼太は今日から飼育委員としての活動を始める。運動は得意だが、勉強は苦手な彼にとって、これは新しい挑戦だった。
扉を開けると、中からかすかに羊の鳴き声が聞こえてきた。そして、予想外の人影が目に入った。
「あ……」
薄暗い羊舎の中で、小柄な少女が羊に餌をやっていた。聞き覚えのある声だ。たしか……鳴海詩音。
詩音は蒼太の気配に気づき、ゆっくりと振り返った。
「あ、葛城くん……おはよう」
「お、おう。おはよう」
詩音の大きな瞳に見つめられ、蒼太は思わず言葉を詰まらせた。
「君も、飼育委員になったのか?」
「うん。去年から……」
詩音の声は小さく、目線は常に下を向いている。蒼太は彼女と同じクラスだが、こんなに間近で話すのは初めてかもしれない。
「そっか。俺、今日から初めてなんだ。よろしく」
蒼太は明るく笑いかけたが、詩音はただ小さくうなずいただけだった。
二人は無言で羊の世話を始めた。餌やり、水やり、羊舎の掃除。蒼太は慣れない作業に戸惑いながらも、一生懸命に取り組んだ。
時折、詩音の方をちらりと見る。彼女は黙々と作業をこなしている。その手際の良さに、蒼太は感心した。
「すごいな、詩音。慣れてるんだな」
「え? あ、うん……去年からやってるから」
詩音は少し驚いたように顔を上げた。その表情には、ほんの少しだけ誇らしげな色が浮かんでいた。
蒼太は「教えてくれよ」と言いかけたが、詩音がすぐに視線を逸らしたので、言葉を飲み込んだ。
作業を終え、二人は羊舎を出た。
「じゃあ、教室で」
蒼太が声をかけると、詩音は小さくうなずいて立ち去った。その後ろ姿を見送りながら、蒼太は不思議な感覚に襲われた。
なんだろう、この気持ち……?
まだ朝靄の残る校庭に、二人の影が伸びていた。これから始まる物語の、ほんの序章に過ぎないことを、二人はまだ知らない。