時間切れ
下校の時間になり、小学生が昇降口からあふれ出てくる。それを待ち構えたように、
男女の2人連れが、両手になにやら冊子を抱え、門の前に現れた。
「ちょっといいですか。あなたは神を信じますか。新約聖書って知ってますか」
男は明るく、身振り手振りなどを使って、子ども達を話にひきこもうとした。
しかし少年達はお互いに顔を見合わせ、いかにも胡散臭いものを見るような目をして
「いらね~。じゃあな」
と言って、笑いながら去っていった。それから何人もの小学生に声をかけたが、全て
話さえ聞いてもらえず、まったくの玉砕、まったくの撃沈だった。
「もうやめにしようか」
男は弱気になって、そう言った。それを聞いた女は、
「だめよ。今日中にこの冊子を配り終えないと、あなたは・・・」
「わかってるよ。でもこの新約聖書の冊子、100部もあるんだぜ」
冊子を持つ手が重くなってきた。日も暮れ、下校する小学生の数も減った。
2人に焦りの表情が見える。男は胸に手をやった。胸に固い機械の音がする。
「もうだめだ、くそっ、あのエセ神父め」
「とにかく、もらってもらえるように努力しましょ。ほら、小さい女の子来たわ」
そう言って女は、小さな女の子に声をかけた。
「ねえ、ちょっといいかな。これとっても大事なものだから、お母さんに渡してほしいの」
女の子はきょとんとしていたが、
「わかった」
と言って、冊子を受け取った。
「やった、もらってくれた。こういう感じで、さりげなくやればいいのよ。さあ、時間がないわ。早くしましょう」
男は胸ポケットで鳴り続く機械を見てみた。タイマーの時間はあと3時間を切っている。
「あと3時間だ。あと3時間で爆発するんだ。早くしないと」
体から出る冷たい汗を服でぬぐって、男は気を取り直し、冊子を配った。
2人はある諜報機関のスパイで、麻薬組織の壊滅活動をしていた。1年間、麻薬密売の出所を追い続け、ついに2人は教会の神父に辿りついた。しかし、逆に罠にはめられ、体に爆弾をしかけられてしまったのだ。それを解くには、100部の冊子を売るしかない。2人はなぜ冊子を配れば許してもらえるのかわからなかったが、とりあえずやるしかなかった。実はこの冊子の中にはキャンディが同封されていて、そのキャンディには麻薬が入っていたのだが、そんなことは2人は知らない。
その後も冊子を配り続けたが、全然受け取ってもらえなかった。
「もう諦めよう。俺はスパイだ。この仕事に殉ずるよ」
「そんな。あと30分あるわ」
「30分で70部。もう無理だろう」
そう思って、男は冊子をアスファルトの上に投げた。
「なあ、俺君と結婚したかったよ」
「私もよ。スパイなんてやめて、平凡な奥さんになりたかったわ」
2人は抱き合った。触れ合う体に、規則的な音が聞こえる。それは胸の鼓動か、時限爆弾か。
その時、電話が鳴った。
「誰だ」
電話の主は、麻薬組織の神父からだった。
「調子はどうかね。あと30分だが」
2人は何も答えることができない。
「無理なようだな。仕方ない、おとなしく死にたまえ。と言いたいところだが、君たちにチャンスをあげよう。その冊子を開けてみたまえ」
冊子を開けてみた。小さなキャンディが2つ入っていた。
「これは」
「それはとてもうまいキャンディだ。我々が大好きなものが入っている。もしそれを君たちが口にしたなら、爆弾の装置を解いてあげよう」
「何だと。これを食えだと」
「これは麻薬ね。私たちに心を売れというの」
「それしか助かる道はない。そして我々に服従すると誓えば、許してあげよう」
男は、そんなことはできないと言った。胸の中で時限装置が鳴っている。
カチカチカチカチカチカチカチカチ。
「本当に助けてくれるの」
「ああ、嘘は言わんよ。すぐ止めてやろう。ただし装置は我々のところに来ない限り外せないがね」
カチカチカチカチ。
「食べましょう、これを」
女はそう言って、包み紙を開こうとした。
「君、何をやってるんだ。魂を売るのか」
女は泣きながら、
「しかたないじゃない、死ぬよりましだわ」
と訴えた。
「早くしたまえ。時間がないぞ」
時限装置の音がだんだん大きくなってくる。あと10分を切ったのだ。
カチカチカチカチ。
カチカチカチ。
「早く決断して」
「・・・」
「はやく!」
「・・・」
そこで映画は終わり、スタッフロールが流れた。恋人と一緒に映画を見に来ていた女は、
「んもう、決断できない男って最低」
とぽつりとつぶやいた。男はポップコーンを喉につまらせ、ごほごほとむせた。
男性諸君、決断はお早めに!