後悔
季節がひとつ進んだ頃、許可も取っていない勝手な行動だけど、もう一度矢野家に行ってみることにした。
寛樹、少しは元気になったかな?
この頃になると、私も多少スキルアップしいて、行先の時間を操れるようになっていた。
この前行った時間より少しだけ後に行ってみよう。
【聞き取り課】のドアを出たところにある外出用のドアの前でストラップを振った。途端に目の前が矢野家の玄関ドアになった。
「ただいまぁ。」見えないのはわかっているけど、なんとなく小声でそぉっと入っていく。
また、猫のミィ太とバッチリ目が合ってしまった。
「絶対見えてるよね?間違いなく目が合ってるよね?」
ミィ太はクンクンと匂いを嗅ぐように鼻を突きだしてきた。
「うん。見えてるね。ところでミィ太、寛樹はどこ?」
「リビングにいるにゃ。」
「え、今喋った?」
ミィ太は答えずにスンとした顔をしている。しかし、死後って動物と意思疎通出来ちゃうんだね。知らなかった。
ミィ太に教えられたとおりにリビングに行ってみると、寛樹は誰かと電話しているようだった。
「そのとおりだよ。でも、俺はもう耐えられない。警察へ行く。」
なんだか警察とは穏やかじゃない。一体何がどうなってるんだ?
「なんで詩織が死ななきゃいけないんだよ。未だに理解出来ないんだ。どうしてこんなこと。あ、待ってくれ。俺が悪かった。これから行くよ。」
私?私の死が何か関係あるの?
どこかに向かう寛樹に付いて行くと、近くの喫茶店に入っていった。
待ち合わせの相手は黒田澄香だった。
***
「先輩。」
「詩織ちゃん、どうしたの?」
「私、ここ入力ミスしちゃって。発注の数を間違えちゃって…」
「わかった。私が先方に電話しておいてあげる。」
都心に社屋を構える商社の総務課で私と黒田澄香は働いていた。
「先輩、いつもありがとうございます。尊敬してます。」
「んもう、調子いいんだから。」
私は、2年先輩の澄香に憧れていた。美しい顔立ちにツヤのある巻き髪、化粧も身につけている物も品があって、いつも明るく、それでいて落ち着いた物腰で、街行く人の誰もが振り返るような美貌の持ち主だった。
中途採用で入社してきた寛樹とよく3人で飲みに行ったりもしていた。酔うと益々陽気になり、華やかな美人なのに嫌われる要素が微塵もなかった。拓実が亡くなった後、落ち込んでいる私を元気付けてくれたのも澄香先輩だった。
「詩織ちゃん、実はね私と寛樹君って高校の同級生だったの。」
「そうなんですか。どうりで最初から仲がいいと思ってました。」
「だからね、寛樹君のこと心配で放っておけないの。寛樹君、詩織ちゃんの事が好きなんですって。」
澄香先輩の計らいで、私と寛樹は付き合い始めた。
***
「澄香、お陰様で俺たち結婚することになった。」
「うふふ。おめでとう!これで、あなた達、私に足を向けて寝られないわね。」
「先輩のお陰です。結婚式でスピーチしてくださいね。」
「いいわよ。寛樹の秘密、何でも喋っちゃうから。」
「ちょっと。それは無しで頼むよ。」
「いいですね。先輩、喋っちゃってください。」
***
喫茶店で待っていた澄香の前の椅子を引いて寛樹は座った。
「全て終わったんでしょう。何を心配しているのよ。」
会社でお世話になっていた頃は、こんな険しい表情の澄香を見たことはなかった。
「誰かに監視されてる気がするんだ。」
「警察に?」
「わからない。」
私は「警察」という言葉に驚いて、後ろに気が回っていなかった。背後から何者かが近づいていたのに。
突然まばゆい光に包まれると、私の周りの風景は喫茶店からヘブンズ・カンパニーの1階のエントランスになっていた。
あれ?
ここは、わたしがこの世界にやって来た時に、最初に案内係の人に声をかけられた場所だ。
何が起こったんだろう?
よく分からないままヘブンズ・カンパニーの受付とは反対の方向に目を向けた。
なんか、不穏な空気が漂ってるな。
黒紫の禍々しい煙のような影がヘルズ・コーポレーションの受付カウンターより奥の方から沸々と沸き出ている。
うわっ、見るからに悪そうなブラック企業…
そう思いながら好奇心に勝てず、少し近づいてみようと思った途端、
「行ってはダメです!!」
と後ろから叫び声がした。
驚いて振り返ると、出雲課長が立っていた。
「なんで、ここに?」
「あなたのストラップのセンサーからアラートが出ていたので、ここに戻しました。」
出雲課長は荒らげた声を、意識的に抑えようと静かにそう言った。
「そのストラップは、センサーにより通ったドアに記録が残ります。その他にもGPSのような機能も付いているんです。ストラップを振ることなく、ドアを通ることもなく、場所移動したり、危険を察知するとアラートを発するようになっているんです。」
私は他人事のように感心して、ストラップをまじまじと見つめた。
「おそらくヘルズ・コーポレーションの営業マンに捕まりそうになったのでしょう。」
「あ、そのお隣の?」
「そうです。決して関わってはいけません。さあ、執務室へ戻りましょう。」
そう言って出雲課長はストラップを振ると、シャラシャラと流れる砂が固まるようにドアが現れた。
うわっ。これってまさしく‘ド〇えもん’の‘四次元ポ〇ット’から出す‘どこ〇もドア’じゃん。今まで業務に必死過ぎてドア出すところ初めて見たよ。
「確かに似ていますね。行きますよ。」
出雲課長はドアの前でもう一度ストラップを振った。ドアは16階の見慣れたドアに変わった。
「すいません。何も分からず勝手な行動をして、ご迷惑をおかけしました。」
「いいえ、大丈夫です。矢野さんはご自分の死因が分からないという事で、予測はしてましたから。」
出雲課長すごい。棋士なみの先読み能力。
私、生前は棋士でしたよ。
出雲課長は小さい声でそう答えた。
「あ、やっぱりそうなんですね。さすがです。」
「そろそろだと思ったんですよ。出来るようになりましたね。」
少しドヤ顔で振り返る出雲課長に
「何がです?」と聞いてみた。
「私今、声に出さずに話してみました。聞き取れましたね。」
「え?私とうとう例のスキル身につけちゃったんですか?大きな声ではなかったけど、はっきりとは聞き取れました。」
「毎日、真面目に聞き取りをしていたからですよ。ところで、この書類は記入して提出してくださいね。」
そう言って渡された書類は、始末書だった。
あ、なんかすいません。やっぱり始末書ものですよね。
次回、【仕分け課】に転属になります。