家族の思い
次の日の朝、あまりよく眠れなかったが、寝起きはすっきりと爽快だった。
私の気分は最悪なのに、なんでこんなに体調がいいのかしら?
この世界では、具合が悪いとか、怪我や病気などというものが一切ないらしい。それはそれでとってもありがたいことなんだが、思っている事と気分にこんなに齟齬があると、どうもしっくりこない。
「しいちゃん、おはよう。昨日は拓実君とのデート楽しかったぁ?」
ノックすることもなく、ドアをいきなり開けておばあちゃんが入ってきた。
「さ、朝ごはん食べに行くわよぉ。」
こんなに沈んだ暗い気分だというのに、おばあちゃんは底抜けに明るいし、ラウンジも虹色の光が窓から差し込んで眩しいくらいだった。
「今日は何食べる?」
普通なら、こんな気分の時は食欲もなくなると思うが、いかんせん体調はバッチリなのでお腹がすいている。
「和定食にする。今日はサバの味噌煮とお味噌汁。」
「私は、クロワッサンとホウレン草のキッシュとコーヒーにするわぁ。」
おばあちゃんは、今朝もはりきって私の分までストラップで注文してくれた。
「ありがとう。」
「いいのよぉ。美代ちゃんに任せときなさぁい。」
「ねえ、おばあちゃん。病気やケガで亡くなった人と、殺された人ってこっちの世界で何か待遇が変わったりするの?」
「何も変わらないわよぉ。殺されても、それがその人の寿命なわけでしょう。まあ、殺した方はそうはいかないけどねぇ。」
おばあちゃんは、顔をしかめて囁くようにこう言った。
「殺した人の方は、このヘブンズ・カンパニーには入社出来ないの。他社に入社になるわぁ。」
「他社って?」
「ヘルズ・コーポレーションっていうお隣の会社よぉ。」
「あ、もしかして、1階の受付の向こう側にある?」
「そうそう。受付は1階にあるけど、執務室は地下深くに潜っていくらしいわよぉ。そちらに入ったら大変なんですってぇ。【ゴウ】を返すために何百年も強制的に肉体労働よぉ。」
どうやら、拓実は何も背負わなくてもいいと分かったので、少し安心した。
「しいちゃんも、生前真面目に生きて来ていい子だったから、こっちでよかったわぁ。」
サバの味噌煮が美味しく感じた上に、おばあちゃんの食べているホウレン草のキッシュも美味しそうに見えた。
明日はキッシュ注文しよっと。
「やだぁ、しいちゃん。早く言ってくれれば、少しあげたのにぃ。」
すっかり平らげてしまったおばあちゃんがコーヒーを飲みながらそう言った。
「昨日は神社やお寺に聞き取りに行きましたが、今日はランダムなおうちへお邪魔して、[思い]を聞き取ってみましょう。」
そう出雲課長は朝礼で今日の業務連絡をした。
「ランダムってことは、どこに行ってもいいんですか?」
高山がそう質問した。
ナイス!高山さん。
出雲課長は、少し小さな声で、
「内緒ですよ。みなさん、ご自分のおうちの様子が心配でしょう。見に行ってもかまいません。ただ、必ず[思い]を聞き取ったら用紙に書き込むことを忘れないで下さい。」
これって、出雲課長の粋な計らいのようだ。
高山は嬉しそうに、「息子の様子が見に行ける。」と満面の笑みで執務室を出て行った。佐藤は「娘に孫が生まれたばかりだから。」と、いそいそと出かけて行った。
私は、実家と、寛樹との家と、どちらを先にするか少し考えて、「親より先に死んじゃて親不孝してるから、まずはお父さんとお母さんの所へ行こう。」と決めた。
執務室を出たところには、外出用の扉が出来ていた。
これの前でストラップ振ればいいのね。実家、実家、実家。
たちまち、そこは懐かしい玄関に変わった。
「お邪魔しまぁす。」そう囁いて入っていく。居間にお父さんとお母さんが揃って座っていた。
「しいちゃんのお葬式、会社関係の人やお友達がたくさん集まってくれたわね。」
お母さんが泣きながら、私の写真を撫でている。チクりと胸が痛くなった。
「あの子は今頃、お母さんや拓実君と会えてるんじゃないか?せめて独りじゃなくて天国で賑やかに過ごして欲しいよな。」
お父さん、見えるの?ていうか、見てたの?私の様子。
お父さんは仏壇のおばあちゃんの遺影に向かって、「母さん、詩織を宜しく頼むよ。」と手を合わせた。
ごめんね。先に死んじゃって。親不孝にも程があるよね。
二人の顔を見ているのが辛くなってきた。
「一人娘を亡くすなんて。私が身代わりになればよかったのよ。」
「なんで詩織が。どうしてうちの娘が。」
お母さんとお父さんの[思い]を泣きながら用紙に書き込んだ。
「お父さん、お母さん、また来るね。本当にごめんね。」
あまりの辛さに、実家を後にした。
ストラップに導かれて、今度は矢野の家に帰ってきた。
寛樹は私のお骨の飾ってある祭壇の前でボーっと宙を見つめて座っていた。飼い猫のミィ太が傍らにいてジィーっとこちらを見ている。というか、めちゃめちゃ目が合っている。
「ミィ太、私が見えるの?」
猫ってたまに謎の空間を見つめたりしてるけど、こういうことなのかな?
私は寛樹とミィ太の横に座り、自分の遺影のある祭壇を不思議な感覚で見つめた。
遺影って、この写真にしたのか…もっといい写真を選んでよ。そういえば、私の亡骸ってもう荼毘に付されてるの?天国行ってまだ2日しか経ってないのに…?
「詩織ごめんな。本当にごめんな。」
「なんで謝ってるの?謝るのはこっちだよ。」
何度聞き取っても寛樹は謝ることしかしない。仕方がないので用紙に「詩織ごめん」とだけ書いた。
お父さんやお母さんの時と違って、寛樹の顔は冷静に見ることが出来た。ミィ太のお陰かな?寛樹にも「また来るね。」と呟いて矢野家を後にした。
一度、社に戻ってきた。出雲課長を捕まえて質問したい事がある。
「あれ?矢野さん。戻ってきたんですか?ご家族の[思い]を聞き取ってこられましたか?」
「はい。でも様子がおかしいんです。私、ここに来て2日しか経っていないのに、もう私の体がお骨になってたんです。それって早過ぎじゃないですか?」
「ああ、それは矢野さんの行った先が10日後位だったからじゃないですか?」
「あっちとこっちって時間の流れが一緒ではないんですか?」
質問に質問で返され、更に質問を投げかけた。
「そうですね。一緒と言えば一緒なんですが…もう少しスキルが上がれば自由に時間を操れます。」
「じゃあ、私が死ぬ前にも行けるってことですか?」
「それは出来ません。あなたが亡くなってから、次の人生が始まるまでの期間のみです。」
「なるほど。じゃあ、どうやって私の死因を調べればいいんですか?」
その質問に出雲課長は、ちらりと台帳に目をやってからゆっくりと答えてくれた。
「それを調べるには、結構な【トク】がかかります。まだ、もう少し先になるでしょうね。」
時間の流れが自由に操れるなんて、なんてご都合的な!あれは ‘ドラ〇もん’の‘ど〇でもドア’みたいなモノだと思っていたけど、違うようだ。
「矢野さん、申し訳ないけど、この書類をコピー室でコピーしてきてもらってもいいですか?」
「あの…コピー室ってどこですか?」
「55階にあります。」
「55階!? わかりました。」
そう言って書類を受け取り、55階を目指した。
55階って…ここ16階だよ。一体何階上がらなきゃいけないんだよっ。この時間はエレベーター出てないし。っていうか、こんなに色々ハイテクなのにコピーは取るんかいっ。
階段を一段一段登りながら、「さすがに20歳でもこれは疲れるよね。」と呟いてはみたものの、実際そんなに疲れてない。というのも、あまり重力を感じてない気がする。
「ついた…55階…コピー室どこ? あ、すいませーん。」
廊下を歩いている男性に聞いてみた。
「ああ、コピー室なら、ここ真っ直ぐ言って2本目の角を左ね。ていうか、階段上ってきたの?なんで?」
「なんでって…他に方法があるんですか?エレベーターは出退勤時にしか現れないし…」
「もしかして新入社員さん?執務室のドアの前で、これ振ればいいんだよ。」
その男性は、私の首から下げているストラップを指差しながらそう教えてくれた。
あ…そっか。移動手段って聞いてたっけ。アホだった。じゃあ、紛らわしく階段なんか設置しないでよ…
「ははは。確かに。でも、階段を使うのって入社式の時だけで、他の時に使ってる人はあまり見たことないかも。」と、その男性は笑いながら行ってしまった。気を取り直し、コピー機に向かう。
「コピー機って、現世もここも使い勝手が一緒だな。下界のテクノロジーと共に進化するのかな。」
コピーを取り終えて、ドアの前で【聞き取り課】と念じながらドアを開けてみた。
「ほんとだ。一瞬じゃん。なんで思いつかなかったんだろう。」
出雲課長のデスクにコピーした書類を届けながら、
階段で55階に行ったことは内緒にしておこう。
と考えようとして慌てて[思い]を消去した。
「そうですか。階段を使いましたか。」
遅かった。消去するのが遅すぎた。
「すいません。まだ、こちらに慣れていないのに、私の説明不足でした。」
「いいえ、とんでもありません。私の思慮不足でしたので、謝らないで下さい。」
申し訳ない。出雲課長に頭を下げさせてしまって…恐縮です。
昼休憩の時間になったので、社食へと向かった。
今日は一人か…寂しいな。よし、景気付けに丼物を注文しよう。
私はテーブルの真ん中に向かってストラップを振る。
「今日はかつ丼~♬」
独りでご機嫌に注文していると、佐藤が号泣しながらやってきた。
「矢〝野〝ざぁーん。」
「どうしたの?大丈夫?」
「娘と孫に会いに行っでぎだのに、全ぐ相手にざれなぐでぇ。」
いや、相手にされたら寧ろ怖いでしょ。と思いながらよしよしと頭を撫でていると、今度は高山も号泣しながらやってきた。
「矢〝野〝ざぁーん。佐〝藤〝ざぁーん。」
「やだぁ、高山さんも?」
「息子が俺に気付いだみだいなんだげど、怖いっで泣き出しぢゃっでぇ。」
え?息子さん霊感強くね?
「まぁまぁ。二人とも、とりあえずお昼ごはん食べましょ。」
二人ともしゃくり上げながら注文する。程なくして料理がふわっと現れた。毎度早くて旨い。どこかのキャッチフレーズのようだけど、これに勝る物はないと思う。
「暫くは、近親者のところへは行かないわ。あんな目に合うんだもの。」
「そうだな。俺も暫く家には行かない。」
二人ともよっぽど辛かったのか、そう宣言していた。
私はまた行ってもいいけどなぁ。あ、でもお父さんとお母さんの所は辛いかも。寛樹の所ならいいんだけど。
そんなことを考えながら、かつ丼を頬張った。なにこれ美味しい。お肉は柔らかくて、衣は香ばしくサクサクしている。上にかかっている卵も丁度いい火の通り具合でトロトロだ。
「うまっ。」
この世界のごはんタイムがどんどん楽しみになってきた。
次回、詩織と拓実が羨ましいおばあちゃんのお話です。