桃源郷
翌週、受付カウンターの隣の席に座る芳澤から、
「この前、イタリアンレストランで見かけたから声かけたのにぃ。」
と言われたので、
「ケントくんとの食事楽しかった?お邪魔しちゃ悪いと思って。」
と探りを入れてみた。
芳澤は護身術の話で盛り上がって楽しかったと力説している。どうやら、ケントくんの思いはまだ伝わっていないようだ。頑張れっ!
ここは、協力体制で画策してみるか。
「ねえ、今度4人で3階のアミューズメントパークに遊びに行かない?」
「4人って誰と?」
…ケントくん…何も意識してもらえていないじゃないの…
「芳澤さんと、私と、拓実と、ケントくん。」
「あ、いいですよ。私、一度も行ったことないし。」
その週の部活動の合間にケントくんにWデートの約束をとりつけたことを話し、さっそく計画を立てようと拓実を交えて予定を決めることにした。
意外にも、拓実も嫌がってはいない。ケントくんと一緒だということでへそを曲げて「行かない。」と言うかと思っていたけど。
どうも、ケントくんの前でわざと私にベタベタしてくるような気がする。
そんな私達の様子を、ショッピングモールでの無差別殺人の被害者の松下啓介が、じーっと見ていた。
「松下さん、どうかしました?」
私が聞いてみると、松下は深い溜息をつきながら、
「俺、婚約者がいたんですよ。あの日、あの事件の日に婚約者と一緒に指輪を受け取りに行くところだったんです。彼女は軽傷で済んだけど、俺は死んじゃったから…なんか、すいません。あなた達が羨ましく思えてしまって。」
「あ、ごめんなさい。辛い事を思い出させてしまって…」
「いいんです。ただ、あの時あいつさえいなければ…」
そう呟くと、練習に戻って行った。
次の休みの日、4人でアミューズメントパークへと繰り出した。
意外にも、ケントくんは拓実と同じようなタイプで回転木馬に喜んで乗っていた。ケントくんが乗ると、まるで白馬の王子様のようだ。あ…これを芳澤に見せるのが目的か…
芳澤は私と似たようなタイプで、
「ジェットコースターないんですね…」
と、少しがっかりした様子だった。
「とりあえず、2人ずつに分かれて観覧車に乗ろっか。」
と、私が提案すると芳澤が私と乗ろうとして、拓実に遮られていた。
「この前来た時にはこれに乗らなかったのに、どういう風の吹き回し?」
「ケントくんが芳澤さんのことを…」
「なんだ。そういうことか。」
拓実は私の画策を察知して、心底ほっとした顔で私を見つめた。
「俺は、てっきりライバルなのかと思ったよ。ま、そうじゃなくても詩織にチョッカイ出されるのは面白くはないけどね。」
チョッカイって…
「だから協力してあげて。」
「じゃあ、あの二人に見せつけてあげよう。」
そう言いながら拓実はキスをしてきた。
「ちょっ…拓ちゃん…」
観覧車の窓からは、ゴンドラの外の様子が見えるのかと思っていたら、スクリーンのように大パノラマの映像が映し出されていた。
私は拓実の唇を右手で遮って、美しく映し出される映像に酔いしれた。
「これ、お互いのゴンドラの中は見えないね。見せつけられなくて残念。」
「ってことは、完全個室だね。あの二人どうしてるかな?ケントくーん、頑張れー。」
観覧車を降りると、芳澤が真っ赤な顔をしていて、ケントくんは大満足な顔をしていた。
「景色すごかったね。綺麗だった。」
私の感想にケントくんは、
「あ、全然見てなかった。」
と言うので、サムズアップして見せた。
「あとで、報告するように。」と芳澤に聞こえない様に囁いたら「もちろん。」と満面の笑みだった。
売店のソフトクリームをベンチに座って食べながら4人で話していると、
「早瀬…早瀬拓…実…」と呻くような声が聞こえた。
振り返ると、黒紫の影を纏った松下が立っていた。
「松下…さん…?」
なぜ松下が黒紫の影を纏っているのか、なぜ拓実の名前を呻くように呼ぶのか私達には分からなかった。
拓実とケントくんと芳澤はストラップを首から外し、すぐに戦闘態勢になった。
「待って。松下さんだよ。攻撃したらダメ!」
と私が叫ぶと、拓実は私の手を取って走り始めた。
「二人も早く!」
拓実の声にケントくんも慌てて芳澤の手を取り走り始めた。
「拓ちゃん、どこに行くつもり?」
拓実は黙って私の手を引き、走り続けた。
「桃源郷!?」
黒紫の影を纏った松下は私たちの後を追ってきてストラップをウィップに変化させた。
「早くお湯に浸かって!」
何が何だか分からなかったが、拓実の言う通りにバシャバシャとお湯の中に服のまま入った。
追って来る松下も湯に浸かると
「あれ?俺…」
途端に松下の影が消滅し、我に返ったように見えた。
「俺、なんでここに?」
「良かった。一か八かで確信持てなかったんだけど…」
「拓ちゃん、どういう事?説明して。」
「この桃源郷は、詩織とこの前来た時の事を考えると、欲求を消し去る効果があるって思ったんだ。みんなを守れて本当によかった。」
拓実はほっとして膝の力がぬけるように温泉の中で座り込んだ。私もつられて座り込んだ。
ケントくんと芳澤もほっとはしているが、何だか分かっていない様子だった。
拓実の機転で、操られていた松下の事も傷付けずに事なきを得ることが出来た。私は拓実に尊敬の意を込めて思いっきり抱きついた。けど、他には何の欲求もなかった。
次回の更新は未定です。




