社員旅行
下の世界では今、お盆という期間だ。カレンダーには赤い文字の祝日扱いにはなっていないが、多くの人がこのお盆の期間にお休みを取る。
ヘブンズ・カンパニーでは、このお盆の期間に社員旅行がある。出発は8月13日、帰りは16日の船旅らしい。
私は拓実と旅の支度をしていた。支度といっても特にすることと言えばストラップを振ること位なんだが。
「拓ちゃん、船の時間って何時?」
「さあ、決めてないよ。乗れる船に乗っていけばいいんだよ。」
「そんなにいっぱい出航してるの?」
「だってさ、ここにいる多くの社員が行くんだよ。たくさん出航しないと乗り切れないよ。」
「そっか。」
私たちはエントランスに降り、受付の丁度裏側にある船着き場に向かった。受付のお仕事をしているのに、裏側にこんな所があるって知らなかった。
「詩織。この船に乗ろう。」
想像していたのは、ボートのような船だったが、豪華客船を小振りにしたような船だった。
船の中は毛足の長い絨毯が敷き詰められ、レストランやプール、ジムまである。
「これは、楽しい船旅になりそうだね。」
私はワクワクしていた。
船はゆっくりと静かな水辺を音もなく進んでいく。
しばらくすると、目的の船着き場に着いた。
「え?墓地?」
「そうだよ。ここから、光を頼りに連れて帰ってもらうんだ。」
「誰に?」
「家族に。」
そっか、お盆って、地方によって違うかもしれないけど、13日に迎え火と言って、墓前で提灯に火を灯し、家に着くまで一言も喋らずに仏さまを連れて帰るっていう習わしがあったね。それをされる方側なんだ。拓実は1年目に帰ってきて以来の帰省だった。
「毎年、早瀬の家と神崎の家と一緒に迎え火してたから、一緒に帰れるね。俺は暫く帰ってなかったけど、今年は詩織と一緒だから。」
「私、矢野に嫁いだのに、神崎の家に帰っていいのかな?」
「いいよ。俺が許す。なんなら、矢野の苗字をやめて早瀬になってもいいよ。」
拓実がこっちを向いて真顔で言うので、ドキッとしてしまった。
死後に離婚して再婚っていう事ができるんだろうか?
墓前で少し待っていると、拓実の両親と私の両親が連れ立って迎えに来てくれた。
「ほらね。詩織を迎えに来てくれた人たちの所へ帰るべきでしょ。」
よく考えたら、矢野家に嫁いだのに、神崎家のお墓に眠っている。なら、いっか。実家に帰ろう。
家路では提灯の中の蝋燭の燃える微かな音が聞こえるほど静かだった。家の玄関に入る前に、ほうろく皿の上に麻殻を燃やした炎を跨いで、無縁の仏を払う。私と拓実以外の間違えてついてきた仏がいたとしても玄関先で払われる事になる。そして、提灯の火を仏壇の蝋燭に灯せば、帰省完了だ。
拓実は早瀬の家に、私は神崎の家に帰ってきた。
「ただいまー。」
仏壇の周りには一対の灯篭が飾られていた。くるくると回って光のアートのようだ。
矢野の家で飼っていた猫のミィ太が出迎えてくれた。
「あ、ミィ太。よかった。お父さんとお母さんに可愛がられてるんだね。」
ミィ太は私の目をじっと見た後、ぷいっと行ってしまった。
社員旅行と言っても、団体旅行ではなく、帰ってきてしまえばあとは自由時間だ。拓実の家にでも行ってみようかな。
玄関を出て、隣の早瀬家に何年かぶりにお邪魔した。
拓実は高校を卒業してすぐから近所で独り暮らしをしていたので、この家に来るのは18年振りになる。
「お邪魔しまぁす。」
仏壇の拓実の遺影が目に入った。「あの時は本当につらかったな。」と、拓実の葬儀のことを思い出していた。
「詩織?」
2階から拓実の声がしたので行ってみると、高校生まで生活していた部屋のドアから拓実がひょっこり顔を出していた。
「見て、詩織。これ懐かしくない?」
拓実が持っていたのは、夏祭りの時に一緒に買ったキャラクターのお面だった。
「懐かしい。これって、まだ私が高校生の時のだよね。」
「そういえば、これを買った日に初めて黒田澄香に、待ち合わせてた駅で声かけられたんだよ。俺、あの人と面識なかったんだけどな。」
「拓ちゃんが覚えてなかっただけじゃなくて?」
「ううん…そうなのかなぁ。」
考えていても埒が明かないので、外を散歩することにした。今日ばかりはストラップで記録しなくても自由に外に行けることになっている。
湿気で蒸し暑い外の空気が、時折の心地よい風で歩いていて気持ちがいい。
「ヘブンズ・カンパニーには寒暖がないから、こういう空気が懐かしいね。」
1年前まで私はこの世界に生きていた。ほんの1年前なのに、何もかも環境が変わって、見るもの、感じるもの全てが懐かしく感じる。
「そろそろ暮れるから帰ろっか。」
ツクツクボウシの鳴き声を聞きながら、手をつないで家路についた。
翌々日の15日、実家で目を覚まし今日もどこかにお出かけしようと拓実を誘いに行った。
「ねえねえ、海行かない?」
天国には一昨日船で渡った川はあるけど、海がない。
「海ってお盆に行っちゃいけないんじゃなかったっけ?」
「え、何で?」
「‘地獄の釜の蓋も開く’ってフレーズ聞いたことない?」
「ない。」
「あれ?それって16日のことだったかな?」
拓実は物知りだけど、たまに年寄り臭い事を言う。
「よくわかんないけど、行こ。」
子供の頃によく早瀬の家と神崎の家総出で訪れた海にやって来た。
浜辺は、たくさんの夏休みを満喫する人たちでごった返している。
「懐かしいねぇ。」
「詩織、懐かしいしか言ってないね。海風は強いから気を付けて。」
そうなのだ。私達は実体がないから風にめっぽう弱い。
拓実としっかりと手をつなぎ、海岸を散歩していた。
突然、沖の方から見覚えのある黒紫の影のような煙が沸き始めた。
「危ない!」
拓実は私を守るように抱きかかえながら、急いでドアを出そうとストラップを振った。周りの人たちには私たちの事も黒紫の影も見えていない。
さらさらとドアが出来上がろうとしていたが、影が大きくなる方が早かった。
「くそっ。間に合わない。」
私はただ、拓実に必死にしがみついていることしか出来なかった。
突然、強い光で眩しくて何も見えなくなった。
気が付くと、拓実と私はエントランスに戻されていた。
次回、ヘルズ・コーポレーション対策のお話です。




