初めてのお使い
下の世界では、ゴールデンウィークという名の大型連休の時期だ。ここ、ヘブンズ・カンパニーでも、やっぱり連休になる。
「ねえ、ゴールデンウィークどう過ごす?」
「そうだなぁ。しいちゃん、あんまりアミューズメントパークが気に入らなかったみたいだからなぁ。部屋でまったり過ごす?」
「気に入らなかった訳じゃないよ。想像と全然違うから戸惑っただけで…。」
言い訳する私の口元を、拓実は指でつまむ。
「言い訳はいいわけないよー。」
「ひょほー、あひふひはいひなっひゃっへふへひょー。」
*訳:ちょっとー、アヒルみたいになっちゃってるでしょー。
拓実は、わたしの平手打ちをひょいとかわし、笑った。
「リーチの差だねー。」
ムカつく。でも、周りにいる人達は微笑ましく私達を見ている。イチャついて見えるんだろうか。
ムカつきはしたけど、拓実のこういう所は昔から変わらない。何かあると揶揄うように和ませてくれる人だ。
「拓ちゃんは、寛樹の件で気を使ってくれてるんだよね。でも、もう大丈夫だよ。っていうか、拓ちゃんも私も、黒田澄香先輩の陰謀で殺されたんだよね。拓ちゃんだってショックだったんじゃない?」
「俺は、今こうして詩織と一緒にいるから、陰謀だろうと何だろうと関係ないよ。もう10年近く前の事だしね。」
不覚にも、突然の呼び捨てにドキッとしてしまった。
長いお休みだというのに、お互いの部屋を行き来して、やることと言ったら、音楽を聴いたり、ゲームをしたり、ご飯を食べに出かけたり、時々イチャついたりするくらいで時間が過ぎて行った。
連休明け、【振り分け課】に出勤すると、私と芳澤ありさが伏見課長に呼ばれた。
「お二人には申し訳ないんですが、ちょっとお使いに行ってもらいたいんです。」
私は芳澤と顔を見合わせた。
「何課にですか?」
2人がかりで行かされるお使いって…大掛かりな事なんだろうか?
「何課というより、地下にですね…」
珍しく、いつも簡潔な物言いをする課長が口籠っている。
「もしかして、地下13階ですか?」
伏見課長の代わりに、芳澤が簡潔に聞いた。
「はい。そうです。決して安全な場所ではないので、お二人連れ立って行っていただくんですが…」
「で、何をするんですか?」
歯切れの悪い伏見課長に、私も簡潔に聞いた。
「こちらの機密書類を地下13階の責任者の波照主任に渡していただきたいんです。」
書類を渡す?そんなこと今まで人の手でやってましたっけ?
私の[思い]は絶対に伏見課長に聞こえてたはずだが、ふいっと横を向いて気付かない振りをしていた。代わりに芳澤ありさがこちらを向いて深く頷いていた。
「数点の注意事項があります。まず一つ目、絶対に波出主任以外の地下13階で働く人たちと話してはいけません。二つ目、声が聞こえても返事をしてはいけません。」
「声?声って何ですか?」
「声は声です。耳元で囁かれたり、直接頭の中に話しかけられるかもしれません。」
怖っ。思っているよりも簡単なお使いではなさそうだ。
「そして三つ目、この機密書類は決して開けてはいけません。そして最後の注意事項は、無事に帰ってきてください。」
真剣に話を聞いていた芳澤ありさが、
「噂に聞いたんですけど、地下13階ってヘルズ・コーポレーションと繋がってるって本当ですか?」
と、質問した。伏見課長はギョッとした顔を急いで無表情に塗り替えた。
「そんな噂をどこで…?」
「みんな言ってますよ。」
私は初めて聞いた。
「そうですね。お二人には危険回避のためにお話しておきましょう。確かに繋がっています。ですが、ヘルズ・コーポレーションとの間には、課長クラスが5人集まって力を合わせなければ開かない頑丈な扉があります。何が起こっても不思議ではないので決して近づかない様にお願いします。」
なんだ、このお使い?怖すぎるんですけど。
地下13階には、所謂どこにでも行けるあのドアでは行くことが出来ない。
伏見課長がデスクの鍵付きの引き出しを開けて黒いカードを取り出し、自分のストラップに入れた。
そして、デスクの後ろに向かって一振りすると、真っ黒なドアが現れた。
「このドアは出しっ放しにしておけないので、お二人が通ったら一度消します。こちらの時計をお持ちください。この時計が5を指した時、またドアが現れます。それまでに用を済ませてドア前でお待ちください。
私と芳澤ありさは時計を腕にはめた。生前に使っていたような腕時計とは少し違って、キラキラとした砂が中でくるくる回っている。その砂が時々止まって数字を指すようになっている。
「さあ、お気をつけて。いってらっしゃい。」と機密書類の封筒を渡された。
黒いドアを通ると、冷たく重い空気に変わった。
後ろで伏見課長がドアを閉める音がする。途端に辺りが真っ暗になった。
「♬だーれにもぉないしょでぇ♬」
突然、芳澤ありさが歌い出した。
「びっくりした。急に歌い出すから…」
「なんかね、前に雑誌で読んだことがあるんだけど、怖い時や空気が重い時って明るい歌を大声で歌うといいんだって。」
なるほど、悪い‘気’を明るい‘気’で吹っ飛ばす作戦か。
「じゃあ、私も一緒に歌う! ♬だーれにもぉないしょでぇ♬」
芳澤が一緒でよかった。この人のこの頼りがいのある感じ、尊敬する。
二人で少しの間立ちすくんでいると、段々目が慣れてきて周りの様子がうっすらと見えてきた。二人の腕にはまっている腕時計もキラキラ光っているので、少しは灯かり取りになって助かる。
薄暗い廊下を歩いて行くと、突然キーーンという耳鳴りがした。
「うわっ、耳鳴り。」芳澤ありさも同じらしい。
狭い廊下を曲がると、突然ガラス張りの広い部屋が見えた。ガラスの向こうにはいくつかの大きな円筒の中で、中心の芯になっている柱に繋がれた鎖を重そうに引っ張りながら只管ぐるぐると歩いて回っている人達がいる。
ガラス張りといっても、上の階のガラスとは違って、不衛生に茶色く汚れている。
「これって、古くなった血みたいじゃない?」
「え?怖っ。」
芳澤ありさの言う通り、確かに茶色く変色してしまった血が、ガラスに飛び散っているように見える。
あまりの環境の悪さに、早く波出主任を探し出して、書類を渡して帰ろうと二人で目を凝らした。
「いた。あれ、そうじゃない?」
いくつかの円筒の向こう側に、直立不動できちんと立っている人がいた。
「気を付けないと、違う人に話しかけたら大変。」
2人で様子を見ていると、こちらに気付いたその人が近付いてきた。
「お疲れ様です。波出です。書類をお持ちいただいたんですよね?」
ほっとした。どうやら波出主任本人だったようだ。
私は、機密書類の封筒を波出主任に渡して、中身を確認してもらった。
「あの、波出主任。私たちはその書類を見てはいけないことになっているので…」
「ああ、失礼。見えない様に確認しますね。」
波出主任は書類を確認した後、丁寧に封筒に戻した。
「確認いたしました。伏見課長によろしく。気を付けてお帰りください。」
私たちは来た道を帰り始めた。ふと、物陰に人の気配があった気がしたのは気のせいだろうか?
薄暗い廊下を歩いて戻る。また酷い耳鳴りに襲われた。
「お前なんか、クズだ。世間のゴミだ。消えてしまえばいいんだ。」
頭の中に直接、低い嗄れ声が囁くように響き渡った。
「消えろ。消えろ。消えてしまえ。」「恨むぞ。恨むぞ。」
私は怖くて、耳を押さえてしゃがみ込んでしまった。芳澤はいつもとは違う強い目で
「矢野さん。負けちゃダメ。さぁ、立って歩きましょ。」
腕を引っ張られて立たされた。芳澤のこの細い腕のどこにそんな力があるんだろう?
廊下を歩きながら何度も何度も囁かれた。
「答えてはダメよ。もうすぐだから。」
また、後ろで人影のような物が動いた。
「何かいる!」私が人の気配の方を指差すと、芳澤も振り返った。
「大丈夫。いざとなったら私達には護身術があるでしょ。」
芳澤に励まされながら、元のドアの位置まで戻ってきた。
「ドアがない。」
時計を見ると、キラキラ光る砂は、まだ4を指している。
「早く、早く。」
人影が近付いてくる気配が強くなった。
「伏見課長、早くドア出して…」
キラキラと光る砂がやっと5を指した。さらさらと真っ黒いドアが現れた。私たちは急いでドアを開け、執務室に飛び込んだ。
「伏見課長、何かがついてきてます。早くドアを消してください。」
芳澤がそう叫ぶと、伏見課長はドアを開け、櫛田チーフを招き入れた。
人影は、念のため護衛についてきてくれた櫛田チーフだった。
私と芳澤ありさは、安心してその場で腰を抜かしてしまった。
「無事でよかったです。でもあの‘声’はホンモノですからね。」
伏見課長の一言にゾッとした。
次回は、課長たちが持っている台帳のお話です。




