入社式
暫くすると、数人が舞台上に並んだ。そのうちの一人が前に歩み出て、
「皆様、我がヘブンズ・カンパニーへの御入社、誠にありがとうございます。弊社は福祉や教育に力を入れ、よりクリーンな会社を目指し、皆様に働きやすい環境を提供していきたいと考えております。」
あれ?やっぱ会社なの?いつの間に採用されたの?もしかして強制入社なの?
私の疑問は、周りの人も同じだったらしく、ざわざわと騒がしくなった。
「皆様、ご静粛にお願いいたします。皆様のいらっしゃったこの世界は今までの世界とはかなり違いますので、戸惑う事も多いでしょう。ですが、お一人お一人にお世話係として、先輩が付きますのでご安心ください。」
と、代表者が話すと共に、ぶわっと空気が動いた気がした。
ふと横を見ると、どこかで見たような、なんだか懐かしいような人が私を見下ろすように笑顔で立っていた。
また会場がざわめいた。それもそのはず、さっきまで席に座っていた各人の隣に、突然お世話係達が現れたのだ。
「しいちゃん。よく来たねぇ。久し振りだよねぇ。」
私のお世話係と思しき彼女はそう言って肩を優しく撫でてきた。
「…!? お…おばあちゃん?」
若い姿をしていたが、わたしには不思議と彼女が誰かが判った。私がまだ中学生だった頃に亡くなったおばあちゃんだ。
「ちょっとぉ、せっかく二十歳のギャルになってるのに、‘おばあちゃん’はやめてぇ。美代ちゃんって呼んでちょうだぁい。」
そうだった。おばあちゃんって、こういう人だった。推しのアイドルがいて、ライブやイベントによく行くような人だった。残念ながら、病気で亡くなってしまったが…
「しいちゃんのお世話係は任せてちょうだいね。分からないことは何でも聞いてぇ。」
なんだか安心なような懐かしいような、でもどこか不安なような複雑な心境だった。
説明によると、ここはヘブンズ・カンパニーの日本支社で、本社というものはなく、各国に支社があるらしい。
その後、代表者によるこの会社の長い長い歴史のような話のあと、【トク】と【ゴウ】の説明があった。
長すぎてよく分からなかったが、要約すると、お仕事を続けていく上で【トク】という単位のお給料がもらえる。そしてその【トク】は首から下げているストラップのIDカードに振り込まれる。この【トク】でお家賃を払ったり、食費を捻出したり、ある程度貯めて色々趣味に費やしたりするらしい。
【ゴウ】というのは、云わば借金のようなもので、現世で悪行を働いたりすると、最初からこの【ゴウ】を背負わされてるらしい。まずは、【ゴウ】を返すところから始まるようだ。
ふーん。お給料かぁ。なんか普通の生活っぽい。
「おばあちゃん。私の住むところって、どうしたらいいの?」
「ああ、それならもう決まってるわよぉ。この入社式が終わったら案内するからぁ。」
え?もう住むところ決まってるの?いつの間に?
「しいちゃんはBランクのお部屋よぉ。大抵の人がBランク。Aランクは広くて高級だけど【トク】がかかっちゃうから、よっぽど【トク】の高い‘お【トク】持ち’じゃないと住めないわねぇ。」
「ふぅん…おばあちゃん、CランクとかDランクってあるの?」
「あるわよ。Cランクは云わば児童施設みたいなモノねぇ。20歳未満で亡くなった人達が住む寮のような所よぉ。子供は働くより、まず来世では大人まで生きることが出来るように教育を受ける学校のような所に通うのぉ。今頃5階のホールでは入学式が始まってるわねぇ。あと、Dランクは自殺した人が住む所よぉ。そこでの暮らしはあまりいいとは言えないわねぇ…っていうか、おばあちゃんじゃなくて美代ちゃん。」
死んでまで人間の階級ってあるんだ…なんか空しいね。
次の説明は、出世しながら【トク】を貯めると、来世に生まれ変われるというものだった。この会社にはいろいろな課があって、配属替えもあるらしい。人によっては、すぐ出世して【トク】を貯めて早くに転生する人もいるが、何十年も転生しない人もいるらしい。
ん?
「おばあちゃんって、20年近く生まれ変わってないよね。」
「そうよぉ。だって、ここって楽しいじゃなぁい。現世の方が苦労が多いから、ここでのらりくらりしてた方が楽なのよぉ。あとね、私ジョリー事務所のストーム&ハリケーンのケント君のファンじゃなぁい。だから【トク】をそこに使っちゃうのぉ。」
…なるほど20年ここにいるワケだ。
「でも、ここからライブのチケットを取る事なんて出来るの?」
「チケットなんかいらないわよぉ。ライブ会場にこっそりお邪魔するのよぉ。」
「え、でもそれに費用がかかるって、どういうこと?」
「現世に行く移動代みたいなモノかしらねぇ。」
そう言っておばあちゃんは笑った。
最後の説明は地下13階には決して足を踏み入れてはいけないというものだった。その説明によると、地下13階は修行の場とされていて、自殺でこちらに来た人々がそちらに送られる。おばあちゃんによると、Dランクの住居もそこにあるらしい。
「美代ちゃん。」そう呼ぶ声に振り替える。
「あらぁ、ハナちゃん。」
「そちら美代ちゃんのお孫さん?」
「そうなのよぉ。孫の詩織。しいちゃん、こちらお友達のハナエさん。」
そう紹介されて、挨拶をする。ふとハナエさんの後ろに目をやると若い男性が座っていた。
「そちらは?」
「ああ、この人は私の旦那様よ。やっと一緒になれたの。私の方が先に死んじゃったんだけど、この人再婚もしないで私の事を想っててくれたみたいで♡」
「あらぁ、それはご馳走様ぁ。」
おばあちゃんは、照れるハナエさんの腕を肘で軽く小突くようにヒヤかした。
「そう言えばおじいちゃんは?」
「ああ、あの人ならもう生まれ変わって次の人生歩んでるわよぉ。」
ハナエさんと違って、えらくドライなものだ。ま、おばあちゃんがアイドルに夢中だったら、おじいちゃんの立場もあったもんじゃないだろう。
どうやらお世話係には近親者が就くらしいことが分かった。私の場合、父も母も旦那もまだ生きてるから、おばあちゃんになったんだろう。
お父さんとお母さん元気かな。寛樹もどうしてるんだろう。ちゃんとご飯食べてるかな。先に死んじゃってごめんね。
「ねえ、おば…美代ちゃん。お父さんやお母さんや寛樹の様子って知ること出来るの?」
「ヒロキ?ヒロキってだぁれ?」
「あ、おばあちゃんは私が中学の時に死んじゃったから知らないよね。私4年前に結婚して。旦那の名前が矢野寛樹。」
「あらそぉ。おめでとう。あ、死別したんだからおめでたくはないかぁ。あはははっ。」
おばあちゃん笑いすぎ…
「そぉねぇ。【トク】がかかるけど、様子を見に行けるわよぉ。」
なるほど。分かってきた。何をするにもお金がかかるのと一緒だ。
「とにかく【トク】を貯めなきゃ始まらないってことだね。」
「そ。世の中、現世もあの世も金次第なのよぉ。」
一通りの説明が終わり、入社式の催しは終わった。
ハナエさんと旦那さんに別れを告げて、おばあちゃんに連れられ住宅棟へ向かう。
巨大で、立派な彫刻がなされている重厚な扉の前で立ち止まった。
「ここが皆のおうちよ。この扉の前でそのストラップを振ってごらん。」
周りの人も同じ説明を受けていたらしく、私と同時に何人もの人がストラップを振った。
大きな扉がゆっくりと開いた。
同時に何人もが振ったはずなのに、気付くとそこには私とおばあちゃんしかいなかった。中は快適そうなカラフルな玄関、その奥にリビング、左右にドアがあり、寝室や浴室になっているようだ。床にはフカフカの綺麗な生成り色の絨毯が敷かれていて、家具も揃っていた。
「素敵!!ホテルのお部屋みたい。これは快適に暮らせそうだね。おばあちゃんも一緒なの?」
「もぉ。美代ちゃんだって何回言ったら…お部屋は一人に一部屋よぉ。私の部屋はまた別にあるの。ここはしいちゃんだけの部屋だから好きに使いなさぁい。」
そう言っておばあちゃんは、ソファの座り心地を確かめるように座った。
「明日から出社してバリバリ働かないとねぇ。また明日迎えに来るわぁ。」
おばあちゃんは立ち上がり、裏側にケント君の写真の入ったストラップを振りながらドアを開けた。ドアの向こう側には別の部屋が現れた。同じような間取りだが、だいぶ派手に装飾されている。ハートのモチーフが施してある額縁に飾られた、ストーム&ハリケーンのケント君のポスターが目を引く。
「おばあちゃん、筋金入りだね。」
「うふふっ。じゃあねぇ。」
そう言ってドアを閉めた。
「ドアの向こうはおばあちゃん家か。」
そう呟きながらドアを開けてみた。そこにはホテルの廊下のような風景が広がっていた。
次回はいよいよお仕事開始です。