干支交代式
下の世界では12月も終わりが近付き、年の瀬がやってきた。近々、ここヘブンズ・カンパニー日本支社ならではの催し『干支交代式』というものがあるらしい。中国支社にも似たような催しがあるようだけど、この干支交代式は日本支社独自のものだ。
「毎年この時期にこの催しがあるけど、年の瀬って寿命が尽きる人多いから忙しいんだよな。」
と、元銀行マンの野中健太郎が言った。
「ほんとよね。」
元エステティシャンの小杉かなも同意見のようだ。
「干支交代式って?」
「ああ、矢野さんは初めての年越しよね。年末と年始はホント死にそうに忙しいのよ。ってもう死んでるけどね。うふっ。」
「で、干支交代式って?」小杉の寒いジョークを受け流すように、もう一度聞いてみた。
「干支が交代する儀式だよ。」
二人共、あまり説明する気がないようだ。たまたま後ろを通りがかった伏見課長が、眼鏡を押さえながら丁寧に「2階のホールのオブジェを、今年の干支から来年の干支に変える儀式があるんです。」と教えてくれた。
ああ、そういえば何か色々飾りがあったな。入社式の時はまだ目が慣れてなくて殺風景だと思っていたけど。
「それで、【宴会課】の方々が取り仕切って、儀式を行うんです。」
「あ、【宴会課】って私のおばあちゃんがいる課です。宴会するだけじゃないんですね。」
「【宴会課】は春の宴の他に干支交代式も取り仕切っています。色々と下準備が大変なようですよ。」
伏見課長は文句を言いたそうな野中と小杉をチラリと見ながらそう言った。
野中と小杉はばつが悪そうにしていたが、すぐに話題を変えてきた。
「そういえばさ、この前入社したばかりの藤本和馬さん。」
「ああ、国境なき医師団だった人?」
「そうそう、あの人すでに【トク】が充分あるから、もう転生するらしいわよ。」
「まじか。そんなにトク積んでたら、もう積む必要ないもんな。」
下の世界も、上の世界も、みんな他人のうわさ話は好きなんだね。
終業後、久しぶりにおばあちゃんに連絡してみた。
「おばあちゃん…じゃなかった。美代ちゃん、久し振り。干支交代式の準備はどう?」
「あらぁ、しいちゃぁん。久し振りねぇ。干支交代式のことよく知ってるわねぇ。」
「うん。今日知ったの。準備が大変だって聞いたから。」
「そぉねぇ。忙しいわねぇ。それより、拓実君元気ぃ?」
「うん。元気だよ。ねえ、美代ちゃん。お正月は一緒に食事しない?」
「いいわねぇ。和食屋さんでも予約しておこうかしらねぇ。」
この世界でも、着物を着たり、お節やお雑煮を食べるような風習がある。ゲン担ぎと言われる食べ物の黒豆やエビ、蓮根や伊達巻など、ゲンを担ぐ必要がなくなったこの世界でも食べたりするらしい。
「楽しみにしてるね。また連絡する。」
電話を切って、ふと和食が食べたくなってしまったので、「今日の晩御飯は和食にしよう。」と3階の待ち合わせ場所に待っていた拓実に言ってみた。
「いいね。日本酒も飲んじゃう?」
本当にノリのいい人で嬉しい。こういうところ大好き。
うっかり、そう思ってしまった。拓実はこちらを向いてニヤケながら
「それ、声に出して言ってよ。でも、そういう所だけ?」
「そんなの言わなくてもわかるでしょっ。」私は真っ赤な顔がバレないように急ぎ足で拓実を追い越して店に入った。
日本酒でほんのり頬がピンクになった。でも、さっきの照れて真っ赤な顔よりはマシな気がする。
「お正月は、おばあちゃんと和食屋さんでご飯食べる約束したんだけど、拓ちゃんも来るでしょ?」
私は至極当然というつもりで拓実に聞いた。
「いや、やめておくよ。」
と、予想外の答えが返ってきた。
「え、なんで?お正月一緒に過ごそうよ。」
「俺より美代子おばあちゃんと一緒に過ごした方がいいだろ。あと少しなんだから。」
そうか。いよいよおばあちゃんとのお別れが近付いているのか。そう思うと、胸の真ん中辺りをきゅっと掴まれてるように痛んだ。
「来週の干支交代式でのおばあちゃんのお仕事っぷりをしっかり目に焼き付けないとね。」
干支交換式の朝、ラウンジで拓実と二人で朝食を摂っていると、おばあちゃんが、「私も入れてぇ。」とやってきた。
「もちろんですよ。」
拓実は立ち上がり、おばあちゃんが座りやすいように椅子を引いた。
「拓実君は、こういうところ紳士よねぇ。おじいちゃんは、こんなことしてくれなかったわぁ。」
前なら、ここで出てくる名前はケント君だったのにと思いながら聞いていた。
おばあちゃんは、ちらりとこっちを向いて
「だって、ケント君は私の伴侶じゃないものぉ。」と口を尖らせてみせた。文句は言っても結局おじいちゃんの事が大好きなようだ。
朝食後、「じゃあ、準備があるから一足先に行くわねぇ。」とおばあちゃんは席を立って行ってしまった。
「干支交代式の当日は34階の執務室ではなく、2階のホールへ出勤してください。」と伏見課長に言われていたので、拓実と一緒に2階のホールへと向かった。野中と小杉は面倒臭そうだったが、私はちょっと楽しみだった。
ホールには入社式の時とは比べ物にならないほどの社員達でいっぱいだった。拓実と空いている席を確保して座った。
座席は、舞台の方ではなく、上手側(舞台に向かって右側)の方を向いて設置されていた。
その正面には、人間の何百倍もある大きさの寅のオブジェが飾られている。
「あ、美代子おばあちゃんだよ。ほらあそこ。」
拓実が指を指す方向に、他の社員達と打ち合わせをしている真剣な顔のおばあちゃんがいた。
ふっと会場の照明が消えた。すぐに寅のオブジェが光を放って動き出した。
「すごい。これ、どうなってるの?」
「しーーっ。見てて。」
オブジェの寅は一吠えすると台座から降り、会場の天井近くまで舞い上がって、空中を走り出した。やがて、段々と低い位置まで降りてきて、社員の数人に噛みつくような仕草をしてみせた。実際はプロジェクションマッピングの映像のように噛みつかれることはないが、当事者の数人の社員は短い悲鳴をあげていた。
「すごいね。エンターテインメントじゃない!」わたしが興奮していると、拓実は「これが美代子おばあちゃんの仕事だよ。」とおばあちゃんの方を見ながら言った。
私もおばあちゃんの方に目を向けると、数人の同僚と共に、寅のオブジェに向かってストラップを動かしている。
寅のオブジェはまた高く跳ね上がって周りを走り回った後、天井の中心部分に消えて行った。
なんだか、足元がもぞもぞする。そう思って下を見ると、光る子ウサギ達が跳ね回っている。それがあまりにも可愛かったので、会場のあちらこちらから愛でるように溜息が漏れた。
たくさんの子ウサギ達は、社員達の頭より少し高い位置を追いかけっこするように走り回った。くるくると回るうちに大きな卯になった。卯はニンジンを食べるような仕草のあと、
注意するように少し伸びて周りを見渡した。そして、さっきまで寅のオブジェがあった台座にちょこんと座った。
会場から拍手が沸き上がった。スタンディングオベーションもおこった。私も拓実も立ち上がり、拍手を惜しまなかった。
「美代子おばあちゃん、すごいよ。毎年こんなに拍手おきないし、今までで一番、見ていて面白かった。」と、拓実が興奮気味に言ったので、私は自分の事じゃないけど、少し鼻が高かった。
よく見てた?野中さんと小杉さん。
次回、年明けのお話です。




