拐ってきた子どもたち
「おはよう!」
「おはようございます」
調理場に立つヤトのうしろに来て、そう挨拶をするアリアとライル。
朝食を作る手元からふたりへと視線を移し、ヤトもおはようと返す。
「もうすぐできるから、座って待ってな」
「はぁい!」
嬉しそうに返事をしてから、渋面で右の扉から出てきたソリッドの前へと移動する。
「ソリッド。おはよう」
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「………寝れるわけねぇだろ…」
ぼそりと零し、ふたりには応えないままソリッドはヤトの隣へと行った。
「何フツーに話してんだよ。馴染んでんじゃねぇって」
小声で耳打ちするソリッドに、ヤトは何やら悟りきった笑みを見せる。
「いや、もうなんかそういうもんなんだって思わなきゃやってられねぇっつーか、疲れたからどうでもいいっつーか…」
「諦めんじゃねぇ!」
「だってよぉ………」
ちらりとヤトがソリッドの背後に視線をやる。刺さる眼差しを感じてはいたが見ないようにしていたソリッドも、仕方なくそろりとそちらを向いた。
じっと見上げる、金の瞳。
「おはよう?」
「……………おはよ」
引き出した朝の挨拶に満足そうな笑みを見せてから、ぱたぱたとライルの隣へと行くアリアを見送り。
「……なんなんだよあいつら………」
ソリッドは心の底からそうぼやいた。
昨日の昼前にここへ到着してすぐ、アリアとライルを部屋へと閉じ込めたソリッドたち。
気を抜くと鎌首をもたげる罪悪感を振り払うように、『回収』が来るまでここで暮らす準備を始めた。
子どもふたりがいるはずの部屋からは、いつまで経っても泣き声どころか物音ひとつしない。疲れ果てて寝てしまっているのかと思いながら、昼食用のパンと水を置くために警戒しつつ鍵を開けると、ふたりは扉の前で並んで立っていた。
目に飛び込んだ金色に思わず身構えたソリッド。しかしふたりは暴れるどころか騒ぐ様子すらなく、じっと自分を見上げていた。
「それ、アリアたちに?」
手に持つパンの皿と水差しを見て、アリアが首を傾げて尋ねてくる。
「あ…ああ…」
「ありがとう! お水ほしかったの」
満面の笑みのアリア。
「ありがとうございます。持ちますね」
皿をアリアへと渡し、自分は水差しを持つライル。
突っ立つソリッドにくるりと背を向けてベッド一台しかないその部屋へと引き返し、どこに置こうかな、などとふたりで無邪気に話している。
そのうしろ姿を唖然と見つめていたソリッドは、我に返って慌てて扉を閉めた。
そこまで愚鈍には見えないのだが、もしかして状況がわかっていないのだろうか。
そんなことを話しながら近くの町へ買い出しに行ったソリッドとヤト。戻って小屋の扉を開けるなり目にした光景に、ふたりして動きを止める。
入ってすぐのテーブルの上には空の皿と水差し、携帯用の器がふたつ。そして椅子にはアリアとライルがいた。
「おかえり〜!」
「おかえりなさい。先にいただいてしまいました」
手に持つ荷物をすべて床に落としてしまうのも当然だと。
そんなことしか思い浮かばないくらいに動揺しながら、ソリッドは楽しそうにしか見えないふたりを眺めるしかなかった。
ごちそうさまでした、と言って自分たちから部屋に引っ込んだアリアとライル。ぱたりと扉が閉じる音に我に返ったソリッドたちはそのまましばらく無言で顔を見合わせる。
「…………………鍵、かけたよな…」
「……かけてた…けどなんで…」
もちろんふたりが施錠した部屋から出てきていたこともおかしいのだが、それより何より。
「逃げてねぇの?」
あれだけ自由にしておきながら、逃げるどころか自ら部屋に戻るふたり。
何が起こっているのかわからなかった。
その後気を取り直して今度こそ確実に施錠をし、ぶちまけた荷物を片付けて遅い昼食を取って。今日はもう本当に色々あったと溜息をつきながらお茶を飲んでいると、突然ヤトがお茶を吹いた。
「何しやがんだよっ!」
まともにかかったソリッドがわめくその前で、ヤトは顔面蒼白で一か所を見つめている。
狭い小屋の中。視線の先などすぐにわかる。
冷や汗が流れていくのを感じながら、ソリッドもゆっくりそちらへ目線を向けた。
なぜだか左の扉が開いていて。
ぽてぽて歩いてきたアリアが携帯用の水入れを差し出す。
「アリアにもお水ちょうだい」
固まるふたりを不思議そうに見比べてから、どうしたの、と尋ねてくるのだが。
「……鍵、かけたよな…」
「…かけてた……」
本日二回目となる会話を繰り返しながら、お水、と少し悲しそうな顔をするアリアを見る。
「アリア。ふたりとも休んでるんだから。もうちょっと待ったら?」
部屋の奥から顔を出したライルにそう言われ、アリアはしょぼんと更に視線を落とした。
「はぁい…」
沈んだその声に先に我に返ったヤトが、慌ててアリアに手を差し出す。
「あ、あぁ、水な。それ貸して」
「ありがとう!」
途端に嬉しそうな顔をして、アリアが水入れをヤトに渡した。
「なんならお茶淹れるか?」
「ううん。お水がいい」
調理場の水瓶から水を入れながら尋ねるヤトに、うしろをついていったアリアはふるふると首を振って答える。
「ほら」
「ありがとう」
両手で受け取り、アリアはぱたぱたと部屋へと駆け戻っていった。
しばらく呆然としてから、ソリッドがゆっくりと立ち上がった。
なぜ出てくるのか。
なぜ戻るのか。
考えても考えてもわかりそうにないが。
とにかく今度こそと、ふたりで施錠を確認したにも関わらず、気付けばアリアたちは部屋から出てきていて。
それから五回を数える頃にはもうふたりとも諦め半分で鍵をかけるようになっていた。
夜にはなぜだか四人でテーブルを囲むことになり。ひとつの椅子にふたりで座るアリアとライルを眺めながら、食事とともに溜息を噛み砕き飲み込むソリッド。
湯を沸かしながら傍らに立って食べるヤトを見上げると、苦笑いを返される。
どうやら熱いのは苦手らしくなかなかスープが進まないアリアにライルが冷めるよう少しずつ取り分けて渡しているその様子は、どこからどう見ても誘拐監禁されている子どもには思えず。
それを微笑ましく感じることへのためらいと、お門違いの己の心境への侮蔑が混ざる。
自分たちはこのふたりを拐ってきたのだと。
罪悪感とともに、もう一度胸に刻んだ。
鬱屈とした心に眠ることができず、迎えたこの朝。
変わらず怯える様子も怖がることもないふたり。昨夜と同じ席で朝食を取りながら、出会った時と変わらぬ顔で自分を見てくる。
いっそ泣きわめいて責められた方が割り切れるのかもしれない。
そんな風に思う時点で、自分はこういうことに向いていないと痛感するのだが。
自分も。ヤトも。もうあとには退けない。
「…どうかしたの?」
聞こえた声に我に返ると、向かいのアリアがじっと自分を見ていた。
自分を捉える金の瞳から目が逸らせず、取り繕おうと口を開きかけるが声が出ない。
それ以上何も言わず、ただまっすぐに見つめてくるアリア。どう見ても子どもの風貌であるのに、その眼差しは今までの無邪気なそれではなかった。
「……なんで逃げねぇ?」
心の奥底まで覗いてくるようなその瞳に耐えきれず、本音が零れる。
「…昨日だって、夜だって、いくらでも逃げれただろ?」
「どうして逃げないといけないの?」
まっすぐソリッドを見つめたまま、アリアは平坦な声で返した。
「アリアたちは自分からここに来て、ここにいたいからいるんだよ。なのにどうして逃げないといけないの?」
「拐われてんだぞっ?」
「ソリッド」
立ち上がりかけたソリッドの肩を押さえて窘めるヤトに、何か言いたげな視線を向け、彷徨わせてから。ソリッドは脱力したように椅子へと戻る。
もう視線を合わせようとしないソリッドを、それでも見つめて。
「アリアたちはついてきたかったからついてきたんだよ」
アリアはもう一度、きっぱりとそう告げた。




