知るべき昏さ
橙五番を目指して街道を行くリーとフェイ。自分たちのことに気付いているだろうアディーリアたちがそれでもこちらに向かうのではなく北上を始めたことから、合流する意思はないのだと知った。
何も依頼を受けてはいないが、本部からメルシナ村へ向かうよう言われているので北上して追うことはできない。もどかしくはあるが、自分はあくまでただの請負人組織員にすぎない。相手が己の片割れだとて、命に逆らう理由にはならなかった。
橙五番が近付くにつれ、リーはアディーリアの気配がまっすぐ北上していないことに気付いた。北西寄りに進路を取り進んでいる。
各地区内の道の存在についてはリーももちろん知っていた。しかし使い勝手が悪いので、請負人たちも地元などの見知った場所でしか使うことがない。
アディーリアたちが知るはずもないのにと怪訝に思いながら進むうち、アディーリアの動きが止まった。そしてそれ以後、昼を過ぎても動かない。
伝わる感情から、アディーリアが朝から何かに興味を引かれていることがわかっていた。少しの疑問と、楽しい気持ちと、窺うような慎重さ。いつもより強く感じるのは、アディーリア自身が普段より興奮しているからだろうか。
動かなくなってからも、その感情に大きな変化はない。強いていうなら少しだけ心配そうな色が強まってきてはいるのだが、どうにもアディーリア自身に向けられた心配ではなさそうだった。
アディーリアに困っている様子は微塵もない。しかしそれでも、全くわからぬ状況に募るのは心配ばかりで。
自分からも絆を結んでいたならこの心配も伝わって、アディーリア自らこちらに出向いてくれたかと。そんなことまで考えながら、リーはとにかく先を急いだ。
急いだおかげで夕方前に辿り着いた橙五番の宿場町。西門の前に見覚えのある、しかしここにいるはずのない姿を見つけ、リーは驚き駆け寄った。
「トマルさん?」
「ご苦労さん」
苦笑いして迎えたトマルは、とりあえず宿を取ってあるからと告げる。
詳しい話はそこでということなのだろう。リーは頷き、フェイとともにトマルについていった。
支払いは済んでるからといつもより少し値の張る部屋に通される。ゆったりと間の取られた部屋には、四人が座って話せるようソファーとテーブルが置かれていた。
荷物を置いてろ、と言って出ていったトマルは、すぐに三人分のお茶を手に戻ってきた。リーたちにも座るよう促し、自分もソファーに腰掛ける。
「トマルさんがなんでここに…」
置かれたお茶に礼を言ってから尋ねるリーに、仕方ないだろうと言わんばかりのトマルが笑う。
「荷さえなければ地龍と風龍は視覚阻害が必要ねぇからこき使われんだ」
水龍が水に紛れられるように、地龍は土、風龍は風に紛れることができる。
そういえば百番案件用の部屋の奥には地中へ繋がる扉があった、とリーは思い出した。
「で、今どこにいるのかわかるか?」
唐突な言葉が誰を指すかなど確認するまでもない。
「それなんだけど、昼前からガレーシャのどっかで動かなくなってる」
「ガレーシャの? 間違いないのか?」
アディーリアと面識のないトマルには、龍の気配はわかっても、そのどれがアディーリアの気配なのかが探りにくいらしい。
頷くと、そうかと低く呟いて。
「最近はオルストレイトだけじゃなく、こっちでも増えてきてるらしいんだ」
言われた地区名にリーが眉をしかめる。
「子どもの行方不明…」
それが人の手によるものだという証拠はない。しかし魔物の仕業にするには痕跡がなさすぎる。保安もおそらく人為を疑っていることは、請負人に見回りだけを要求したことからも窺えた。
「四男はともかく、末娘は子どもの姿だろうと長男が言っててな」
ウェルトナックの長男のシェルバルク。正式な百番依頼と迷惑をかけた詫びを本部に伝えに来たらしい。
「今は次男が探して回ってるそうだ」
「オートヴィリスが」
「ああ。とりあえず、一度本部に持ち帰るからこのまま待機しててくれ」
お茶を飲み干し、トマルが立ち上がった。
「アディーリア、ずっと楽しそうなままだけど…」
「子龍とはいえ龍だからな、もしそうでも危機感はねぇだろう。あと、そっちに次男が来たら同じく待つよう頼んでもらえるか? 念のため、掻き回す前に策を練りたい」
トマルの懸念もわかるのだが、ここで待機するくらいならアディーリアを追えるのではと少し思う。アディーリアが拐われたかもしれないならば、なおのこと。
しかし、リーには頷くしかない。
「待機って、いつまで…」
「明日ここを出るまでには来る」
そう残し、トマルは部屋を出ていった。
ふたりとなった部屋。座り込んだままのリーの背を、フェイはポンと叩く。
「心配だろうが。いざとなればどうとでも逃げてくるだろう」
「そうかもしんないけどさ」
伝わる気持ちは変わらず楽しげで、とても拐かされているようには思えない。ただの憂慮であるのかもしれないが、それでも。
「心配なのもあるけど。なんていうか…」
龍としてはまだ幼く、どこまでも無邪気なアディーリア。その様子を思い出し、リーは息をついた。
「…いずれは知るんだろうけど。まだ知らないでいてほしかったかな、って」
護り龍の棲処には滅多と持ち込まれないだろう、人の昏い部分。
人を襲うのは何も魔物だけではないのだ。
「知るべきことではあるがな」
あっさり返された言葉に、わかってるけど、と呻く。
まだあの池で護られたままでいてくれればよかったのに。
人の昏さを知らずにいてくれればよかったのに。
人という種は一様に優しく純粋ではありえない。愚かで浅ましいものでもあるのだと。
まだ自分以外の『ヒト』を知らないアディーリア。がっかりさせたかもしれないと、そんなことを思いながら。
置かれたままのカップを手に取り、リーは冷めかけのお茶を飲んだ。
そのままその部屋に泊まったリーたちは、翌朝、いつトマルが来てもいいようにと早めに起きて荷造りを終えた。
しかし。
「先にオートヴィリスが来たな」
まだ夜明け直後、突然フェイが呟いた。
宿には何時であっても客人が来たら通すように伝えてある。案の定すぐに打診があった。
案内されてきたのは水色の髪に青い瞳をした、二十歳くらいの青年。人の姿は初見だが、こちらにはフェイがいるので疑うまでもないだろう。
「リー、フェイ」
扉が閉まるなり、青年が頭を下げる。
「シルヴァと。ふたりにも迷惑をかけてすみません」
「いや、別に迷惑は…って、そうじゃなくて」
ソファーに座るよう勧めてから、自分たちも向かいに座った。
「本部から少しは聞いてるけど。何があったか教えてもらえるか?」
「はい…」
優しい長男と奔放な三男に挟まれて、どちらかというと一歩下がって周りを見ているような印象のオートヴィリスであったが、今は少し疲れた印象で。やはり弟妹のことを心配しているのだと、リーは思う。
「夜中のうちにふたりで抜け出してて。すぐ追えればよかったんだけど、夜が明けていたし、父さんも取り乱してて…」
「カナート……」
ウェルトナックを人型の名で呼び、呆れたように嘆息するフェイ。
「組織には前から兄さんが行ってるから、僕が探しに」
「大変だったな」
リーの労いに、シルヴァは首を振る。
「おととい見つけた時は逃げきられて。昨夜暗いうちにここまで来て、アリアたちもリーも近くにいるのに動いてないなって…」
「待機命令出てんだよ」
先にこっちに来てくれてよかったと告げ、昨日のトマルの言葉を伝えた。
そんなことに、と呟いたシルヴァ。人型の時のふたりの名と背格好を話し、唇を引き結ぶ。
あのとき捕まえられていればと。そう思っていることは明白で。
明らかに落ち込むその様子に、リーは向かいから手を伸ばしてシルヴァの肩を叩く。
「…まだ決まったわけじゃないし。アディーリア…アリアも、ずっと楽しそうだから」
「…ありがとう」
視線を落としたまま、それでも少しだけシルヴァが笑みを見せた。
その後すぐにやってきたトマルは、リーにはここから馬で、そしてフェイには夜になってから龍へと戻り、別行動でメルシナ村へと向かうように指示を出した。
同席したシルヴァもフェイとともに戻ることを請われ、頷いた。
橙五番からメルシナ村まで二日。
状況がわからぬままガレーシャに残していくことになったアリアとライルを気にしながら、まずはリーが出発した。