橙五番
五番街道を東に進んだリーとフェイは、その日の夕方には中間地点の宿泊施設へと辿り着いた。
アディーリアたちは北上しているので、おそらく黄の六番から黄の五番へと移動しているのだろう。
問題は明日以降。ふたりが西へと曲がってくれれば途中で会うことができる。しかし本部にはメルシナ村へ行くように言われているので、そのまま黄の街道を北上されるとそれ以上追うことはできなかった。
「そういや、どれくらい近付けば気付くもんなんだ?」
部屋に入り荷を置いてから、ふと気になってリーが尋ねる。
「龍同士もだけど。俺のこともわかるんだよな?」
あまり早く気付かれたら北上されるかもしれないと思ったのだが、問われたフェイは考える様子すら見せずにさぁなと返してくる。
「個体差があるからな。正直わからん」
リーがジト目で見返すと、自分の場合だと前置いて。
「相手が龍ならここから宿場町にいるかはわからんが、リーならわかる」
「…え?」
「龍よりリーの方がよくわかるということだ」
あっさり言い切り、諦めろ、と肩を叩く。
「ふたりとも子どもでまだそんなに範囲は広くないだろうが。アディーリアはリーの片割れだから、普通より敏感かもしれんな」
自分の存在はそんなに遠くから補足されるのかと。
なんとなく素直に頷きたくはないのだが、それでも頷くことしかできず。
「じゃあ北上されるかもしれないな…」
「リーに会いに来ようとしてるんじゃないのか?」
紛らわせるように呟いた言葉にフェイが被せる。
「どうだろうな。アディーリアならそうかもしれねぇけど。ユーディラルがそこまでして俺に会いに来る理由はないだろ?」
嘆息し、リーはベッドに腰掛けた。
「ま、明日早めに出て向かうことにするよ」
馬にさえ乗れれば。
内心思ったことは呑み込んで。とりあえず夕食を取ることにしようと提案した。
翌朝、リーは目覚めるなり気付く。
アディーリアの位置が、かなり近い。
「ここって…」
昨日までの自分との位置と距離。それを考えるとおそらく間違いはない。
少し弾むような、浮かれた気持ちとともに。
橙五番に、今、アディーリアがいた。
「どうした?」
「アディーリア、橙五番まで来てる」
焦るリーに、ああ、と呑気なフェイの声が返る。
「夜の間に飛んだんだろう」
「だろうじゃねぇって! 宿場町なら俺のこと気付かれるんだろ?」
「まぁそうだろうが、今更だしな。向こうもこちらに来るつもりか、そうでなければ追いつかれないとわかっているからそのままいるんだろうし」
「そうだけど!」
あぁもう、と独りごち、リーはガシガシと頭を掻く。
請負人である自分に同行するにあたり、フェイにはいくつか禁止されていることがあった。
生命の危機でもない限り、との注釈はつくものの。許可なく龍へと戻ること、かつ、視覚阻害を使わずに人を乗せて飛ぶこと。龍としての魔力を戦闘に使うこと。必要以上にリーを手助けすること。請負人組織職員ではないのだから、単なる同行者としての範疇を超えぬようにと言われている。
一方でリーにも、フェイの存在を当てにしての依頼は受けないようにと注意がされている。
あと半日の距離にいるというのに。
乗りたくはないがフェイに乗って追いつくことも、フェイを単独で先に行かせることもできなかった。
「急いで出るぞ」
自分に会いに来たならこちらへ、そうでないなら間違いなくふたりは北上するだろう。
今の自分にできることは、なるべく距離を詰めることしかない。
「朝食は…」
「フェイは食う必要ねぇだろうがっ」
携帯食ならわけてやるから、とぼやきながら。
リーは急いで荷を詰め始めた。
橙街道を北上しながら、アリアとライルは疲れたねと笑い合う。
黄の六番から中央の宿泊施設を通り抜け、日が暮れるのを待って目立たぬように夜通し歩くつもりだったのだが。
夜が更けた頃、探しに来ていた次男のオートヴィリスに捕捉された。
龍の姿で追いついたオートヴィリスの隙をつき、ライルが龍へと戻ってアリアを乗せて逃げた。
夜とはいえ、さすがに街道を堂々と飛ぶわけにもいかず。ユーディラルは自分より体の大きなオートヴィリスが飛びにくそうな場所を選んで進んでいく。小回りが利くので元のヘビ型のまま、アリアには身を伏せてくっついてもらった。
もちろんアリアも龍の姿へと戻り、自分で飛んだ方が逃げ切れる確率は上がる。しかし黄金龍であるアディーリアの姿を万が一でも見られたりしたら―――。
幸運だと心に留めてくれるだけならいい。しかしそうでない場合どうなり得るのか、アディーリア自身はもちろん、家族にもその懸念は共有されていた。
今回池を抜け出す際に、ふたりは約束していた。
何があってもアリアは決して龍の姿へと戻らない、と―――。
速度で勝るオートヴィリスを、俊敏さで勝るユーディラルが翻弄する。兄と弟妹の追いかけっこは明け方まで続いたが、白みゆく空にオートヴィリスが折れた。追うのをやめたオートヴィリスから距離を取って人の姿へ戻ったのが、橙五番の宿場町近く。
ふたりは町を抜け、当初の予定通り赤の街道を避けて北上することにした。
にこにこと嬉しそうなアリアを振り返り、いいのかとライルが尋ねる。
「リーがいるの、こっちじゃないよね?」
「そうだけど。いいの」
迷いのない声で応えるアリア。
「リーには会いたいけど、今会っちゃうとすぐに帰らなきゃならないもん」
帰りの道中が長ければ長いほど一緒にいられる時間も増える。
「だからもうちょっと頑張るね」
「わかった。行こう」
その手をぎゅっと握り直し、ライルは頷いた。
早朝の街道、肩を落として歩くふたりの男の姿があった。
若くはあるがその眼差しに若者らしい気力はなく、ただ惰性で足を進めているだけのように、碌に前すら見ていない。
「……どうすんだよ」
少し長めの暗青の髪をうしろで結んだ男が、隣の黒髪の男を向きもせずに呟く。
「次で最後だって言われてんだろ」
「んなこと言っても」
同じく見もせずに黒髪の男が零す。
「昼間じゃ目立つし。夜は人いねぇし。どこで見つけろってんだよ」
「俺に言うなっつーの」
「お前以外の誰に言えるってんだよ…」
知るか、と返す男を横目で睨んでから、黒髪の男は深い溜息をついた。
「もうちょい寂れた小さい村とかなら…」
「今から探して間に合うのかよ」
ジト目で見返し、暗青の髪の男が鼻で笑う。
「見つけて? 策練って? 実行して? 連れてくるのか?」
「そうするしか…」
「間に合うわけねぇだろ」
ピシャリと言い切り、足元へと視線を落としてからの。
「…もう、諦めるしか…」
苦々しい呟きの、その隣で。
黒髪の男が不意に足を止めた。
「………なぁ。あれ、見えてんの俺だけか…?」
「はぁ?」
自信なさげな声につられるように、暗青の髪の男も顔を上げて。
直後、自身もぽかんと道の先を見る。
まだ朝も早い、こんな時間だというのに。街道沿いに植えられた木の下に隠れるように、道の端を歩く小さな姿が見えた。
「…なんか子どもがいるんだけど…」
十歳にも届かないだろう幼い子どもが町の方から歩いてきている。どう見ても近くに大人はおらず、男の子と彼に手を引かれる女の子のふたりだけだ。明けたばかりの柔らかな光が木々の隙間から射し込む中、ふたりの金色の髪がきらきらと揺れる様子はどこか現実味がないのだが。
「……俺にも見える…」
暗青の髪の男の間の抜けた返事に現実であるとの確信を得て、黒髪の男はぐっと拳を握りしめた。
「なら夢じゃねぇな」
まだ少し距離のある幼子たちを見据えながら。
「ちっとは運が向いてきたかもな」
少し上ずる声で、行くぞ、と告げた。