渡されたもの
「オラァっ! そこ!! チンタラ走ってんじゃねぇっっ!」
「はいっ!!!」
怒号が響き渡る中、飛び上がった保安員が慌ててスピードを上げる。
「素人相手なんざ勝って当然だろうが! 差ぁつけろ、差ぁ!!」
赤の五番の宿場町近く、僅かに傾斜はしているものの、見晴らしのいい原っぱで。
大柄な銀髪銀目の男の大声に晒されながら、なぜだか保安員たちと一緒に走るソリッドとヤトの姿があった。
「…んで、俺ら、まで………」
「俺…が、知、るかよ……」
「お前ら文句言ってる余裕あんなら足動かせっっ!! 周回抜かれンぞ!」
男とは結構距離があるというのに、会話がバレて怒鳴られる。
「返事はぁっ??」
「「はぁいっっ!!」」
アリアとライルがリーたちとともに去った翌日。保安協同団からひとりの男がやってきた。
団の幹部だというジャイル。モートンからこの場の指揮権を渡された銀髪銀目の大男は、軟禁生活も身体が鈍るだろうと言い張って、ほとんどの保安員とソリッドとヤトをこの場へ引っ張ってきた。
それから二日、みっちり鍛えられながらの合間に教えられた話では、ヤトに遅れてここへ向かっているサーシャがもうすぐ到着することと、そのあとは自分たちもテーラーにある保安協同団の南本部に身柄を移されるということだった。罪の重さはそこでの審議の末に決まるらしい。
こうして一緒に身体を動かす中で、ここの保安員たちとも少し仲良くなれた。子どもたちとは顔を合わせることはなかったが、あらかた親と連絡がついたと聞いた。
以前拐われた子どもたちの行方も聞かれたが、あのアジトしか知らない自分たちには何も答えることができなかった。ただ一度だけ、どうしてこんなに幼い子ばかり拐うのかと聞いたことがあったと思い出し、それだけ伝えた。仕込みやすいから、と答えたシエスタなら、どこに行ったのか知っているかもしれない。
保安員たちが原っぱを五周したところで、ジャイルが暫く休憩だと告げた。自分たちは三周と少し。ヤトとふたり、その場に倒れ込んだ。
距離もそこそこあるのだが、何より走るペースが早すぎる。
保安員がこれなら請負人も同じようなものだろう。なるならないを言う前に、こんな体力ではなれそうもないと苦笑する。
―――やるべきことを終えてからどうするか。
いつ償いきれるかわからぬ己の罪。今はまだそんなことを考えている場合ではないのかもしれないが。
それでもできれば、と。そう思うことがある。
罪を犯した自分。難しいことはわかっているが、それでも。
あの日手放した自分の夢を、再び追うことができたなら、と―――。
暫くヤトと転がっていたら、大丈夫か、と顔見知りの男が手を差し出してくれた。
その手を借りて上半身を起こす。
すぐ指示に従えるようにだろう、皆ジャイルの近くで休息を取っていた。そこに紛れて座るが、まだ会話に入る余裕はない。
息を整えながら聞くともなしに聞いていると、ふと視線に気付いた。数人で会話をしていた男たちが揃ってこちらを見ている。
「ソリッドはラジャートには行ってないんだよな?」
何かと思って首を傾げると、そう聞かれた。
子どもたちはアジトからラジャート村へ連れていかれたというが、自分はラジャート村の存在すら教えられていなかった。そう答えると、男たちは少し残念そうに顔を見合わせる。
「見てたらどんなだったか聞こうと思ったんだけどなぁ」
「知らなかったのか? あそこ、龍が出たって」
顔に疑問符を貼り付けたままのソリッドにそうつけ加えてから、男たちはまた話し出した。
「建物の被害はそこそこあったらしいな」
「そんなに大きい個体じゃなかったらしいけど」
「好き勝手に伐採するから怒りに触れたんじゃないか?」
「子どもたち、鉢合わせなくてよかったよな」
男たちの会話からなんとなく状況が読めたソリッド。
いることは知っているが、龍など自分には関わりのない存在。まさかこんな身近で話を聞くとは思わなかった。
子どもを拐った村が襲われ、怪我をしたのもシエスタひとり。伝え聞くように、やはり龍は人を見透かす眼を持つようだ。
そう思った己の考えに引っかかりを覚え、ソリッドは動きを止める。
自分を見上げる金の瞳。
もうどうでもいいと頭の片隅に追いやったいくつもの疑問。
突然現れた、小さな龍―――。
弾かれたようにヤトを見る。呆然と宙を見据えていたヤトが、そろりとソリッドへと眼差しを向けた。疑問、困惑、動揺―――自分と同じくうろたえまくったその顔に、ヤトが自分と同じ推論をしていることを知った。
思えばおかしいことはいくつもあった。
子どもらしくあるが子どもらしくないのも、子どもであるが人ではないからと言い換えられる。
自分たちでなんとかできるというのも当然だろう。
そしてあの年齢にはそぐわない、慈愛に満ちた表情。
普通ではない考えは、普通ではないふたりの様子とピタリとはまり。むしろすべての辻褄が合ってくる。
(……龍、なのか…)
心中言葉にしてみると、妙にすとんと胸に落ちる。
アリアの一番大事な人だというリーも、ふたりの正体を知っているのだろう。両親に会いに連れていってくれると言ってくれた時、腰を抜かさなかったらいいんだけどなと笑っていた。
浮かぶふたりの満面の笑み。
―――何であろうが、ふたりはふたり。龍であろうと、人でなくとも。大切だと思えたことは変わらない。
そう思い、気を落ち着けるためにゆっくりと息を吐いて。おそらく同じ結論に辿り着いているだろうヤトを見る。
目が合ったヤトは、言いたいことが言葉にならないのか、何度か口を開けたり閉じたりしたあとで。
「……なぁ、あの名前って……」
ようやく小さく絞り出された言葉に、ソリッドは目を見開いた。
ふたりから教えられた本当の名前。
信頼してる。そのうちわかる。続けられた言葉の意味。
―――今、ようやくすべてが繋がった。
龍の名は信頼の証。
人を見透かす眼を持つ龍が、認めた相手に示す信頼の証。
あの時の自分たちには理解しようがないことを知りながら。それでもいつの日にか真実が伝わると信じて。
ふたりから渡されていた、信頼の証。
ヤトと顔を見合わせたまま、何も言えずに拳を握りしめる。
子どもであるはずのアリアとライル。子どもであっても龍なのだと思い知る。
自分たちは本当に何も知らず。わからぬままに気遣われていた。
わからぬままに、認めてもらえていた。
ふたりにそこまでのつもりはなかったのかもしれない。しかし自分たちにとって、それはそのままこの先を進む糧となる。迷い立ち止まった自分たちが、改めて歩き出すための力となるのだ。
それ以上顔を上げていられずにうつむいて、詰まる喉を吐息で開き。それでも追いつかない分は、時間に任せて。
「……いつの間に、こんな大事なもん渡されてたんだろうな……」
「……ほんとに。なくさなくってよかったよな……」
そうしてなんとか口にした言葉に、お互い苦笑う。
怪訝そうに様子を窺う保安員たちに、放っといてやれとジャイルが息をついた。
その日の夕方、ヤトの姉のサーシャが赤の五番に到着した。
「姉さん大丈夫だった?」
ひとり残すことを心配していたヤトの言葉に、サーシャは微笑んで頷く。
「ええ。皆さんによくしてもらえたわ」
心配事がなくなったからか、気持ちを変える何かがあったのか、サーシャの表情からは儚さが消えて数日前よりしっかりと意思の見えるそれに変わっていた。
安堵の笑みを見せてから、ヤトはソリッドを引っ張る。
「こいつがソリッド」
男性を怖がることを事前にヤトから聞いていたので、ソリッドは距離を取ったまま頭を下げた。
「ソリッドです。…その、色々すみません」
ヤトの事情を知りながら何も力になれなかったことを謝ったつもりのソリッド。見返すサーシャの濃紺の瞳が驚いたように見開かれてから、柔らかく細められる。
「…ソリッドさん」
一歩歩を詰めたサーシャが手を伸ばし、ソリッドの右手を両手で取った。
「…ヤトを支えてくれて、ありがとうございます」
震えながらも包み込む両手に、左手を添えることも、引き抜くこともできず。
固まるソリッドと驚愕するヤトを順に見てから、穏やかな笑みを浮かべたまま、サーシャはその手を放した。




